自分の人生と照らし合わせながら読んでほしい作品
浅野 先ほどもお話に出た通り、そもそも「緑の歌」という作品は、インディーズ版の短編がもとになっているとのことですが、それは今回の上・下巻のどのあたりで活かされているエピソードになりますか?
高 インディーズ版として制作した短編がもとになってはいますが、具体的に上・下巻の一部のシーンに組み込まれているというような形ではなく、短編で描いたエッセンスをもとにしつつ、500ページ以上の新たな物語として構成しています。個人的には、32ぺージの短編が「映画の予告編」、今回の上・下巻が「映画の本編」というようなイメージです。インディーズ版の執筆時、すでに私の人生の中に「緑の歌」という物語が存在していて、それをマンガとして描き、届けたいと考えていましたが、当時は力不足で32ページの短編として描くことが精一杯でした。月日と経験を重ねて、当時描きたかった作品のすべてを、今ようやく発表することができました。
浅野 「あとがき」でも書かれていましたが、ヒロインがはっぴいえんどの「風街ろまん」を買うためだけに日本へ行くという展開は、高さんの実体験がもとになっているそうですね。
高 はい、それ以外の場面も含めて、自分の実体験が作品に深く反映されています。マンガやイラストなど、私のすべての創作の根底に、日記の存在があります。過去の日記の記述などから発想して創作を行いますので、そういう意味では私のマンガは全部「私小説」のようなものなのかもしれません。日記を読み返しながら、コロナ禍で海外旅行などがしにくくなった今、あの旅はなんて贅沢な経験だったんだろうと思います。
浅野 「緑の歌」で描かれているいくつかの印象的な場面の説得力は、そうしたリアルな体験がもとになっているからこそなんですね。もちろんマンガはフィクションだから、すべて頭の中で作っても構わないし、実際そういう作家もたくさんいる。でも僕は常に作品を通して作者のことも見ているから、今日実際にお話ししてみて、高さんが作品と深く結びついている作家だと確認できてよかったです。
高 この先どうなるかはわかりませんが、現段階では、読者に対しても作品に対しても嘘はつきたくないので、今の自分が考えていることや好きなことを投影させるのが一番いい手段だろうと考えています。ただ、読者の方はそれを「他者の話」、あるいは「外国の若者の話」として客観的に読むのではなく、日本で暮らしている現在の自分の人生とも照らし合わせていただけたら、作者としてはうれしいです。
やがて忘れてしまうかもしれない“大切なこと”を作品に刻み込む
高 先ほど言ったことの繰り返しになりますが、今日の対談で最も浅野さんにお伝えしたかったのは、そもそも「緑の歌」は「うみべの女の子」がなければ存在しなかったということでした。さらには、はっぴいえんどや、細野さんの台湾公演、村上春樹さんの「ノルウェイの森」や、エドワード・ヤン監督の映画など、そうしたものが1つでも欠けていたら、あのマンガは描けなかったと思います。それは自分自身から自然に出てくる力ではなくて、過去の偉大な先人たちからいただいた力によるものです。その結果、「緑の歌」は日本と台湾で同時発売できることにもなり、改めて「読み続けること」や「作り続けること」の力を実感しています。
浅野 そう言ってもらえると、こちらもやる気が出てきますが、正直、最近の僕はマンガに対する熱意がなくなってきてて……いや、なくなっているというのは言い過ぎだとしても、デビューした頃と比べたら、確実にパワーダウンはしている。特に「ソラニン」を描き終えた後の数年間は、もともと好きだったはずのマンガを描くこと自体、つらくなっていたこともありました。それでも僕にはやはりマンガを描くことしかないんです。だから今後の課題は、いかにして無理をせず、長く作家を続けられるかということですね。確かに、高さんがおっしゃるように、ひたすら物を作り続けていると、それによって生まれる大切な人や物との出会いというものはある。そのためにもとにかく描くしかないというのが、最近の心境なんですよ。
高 高校生の時に「ソラニン」を読みましたが、後半は泣きながら読み進めたのを覚えています。あらゆるものが新鮮で情熱に溢れていた自分の高校生時代に、誠実で真っ直ぐなマンガを受け取ったからこそ、強く感動したのだと思っています。私自身も、10代の頃に音楽や小説から受けた感動だけでなく、日々のささやかな思いなども徐々に薄れていっています。たとえば、「緑の歌」で描いた初恋のドキドキ感などは、今の自分にはちょっと忘れつつある感覚ですね(笑)。もちろんそれも“大人になる”ということなので、一概に悪いこととは言えないのかもしれませんが、「緑の歌」にはそういう「若い頃に経験した、でも、やがて忘れてしまうかもしれない大切なこと」を刻み込みたいとも思いました。
浅野 それでいいと思うし、それが若い作家の最大の強みだとも思います。あと、さっき、日本のマンガは将来先細りになりそうだと言いましたが、高さんは間違いなくそれを突き抜けられる数少ない才能の持ち主だと思うので、20代のうちにもっといろんなことにチャレンジしてほしいですね。マンガやイラストというジャンルはもちろん、台湾や日本ということすらあまり考えなくていいかもしれない。もっと広い場所で勝負できる人だと思うから。僕は僕で、年齢を重ねた今の自分にしか描けない世界を追求していきますよ。「緑の歌」が、マンガにはまだ可能性があるということを教えてくれましたから。
プロフィール
高妍(ガオイェン)
1996年、台湾・台北生まれ。台湾芸術大学視覚伝達デザイン学系卒業、沖縄県立芸術大学絵画専攻に短期留学。イラストレーター・マンガ家として台湾と日本で作品を発表している。月刊コミックビーム(KADOKAWA)にて2021年6月号から2022年5月号まで、「緑の歌」で自身初のマンガ連載を果たした。そのほかの作品に村上春樹の小説「猫を棄てる 父親について語るとき」の装・挿画などがある。
Gao Yan 高 妍 (@_gao_yan) | Twitter
浅野いにお(アサノイニオ)
1980年9月22日茨城県生まれ。1998年、ビッグコミックスピリッツ増刊Manpuku!(小学館)でデビュー。2002年より月刊サンデーGX(小学館)にて「素晴らしい世界」の連載を開始。代表作に「おやすみプンプン」「零落」などがあり、「ソラニン」「うみべの女の子」は実写映画化もされた。2014年からは2022年2月まで週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)にて「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」を連載し、第66回小学館漫画賞の一般向け部門と、第25回文化庁メディア芸術祭のマンガ部門・優秀賞を受賞。なお同作はアニメ化が決定している。
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