丸尾末広 画業40周年記念 Web原画展|ひと目で引き込まれ、のぞき込むと奥が深い。丸尾ワールドの40年を、40枚の原画で巡る

1.丸尾末広の初期・中期 ~「少女椿」「笑う吸血鬼」

丸尾末広は1980年、短編「リボンの騎士」でデビュー。1982年には初の単行本「薔薇色ノ怪物」を上梓、1984年に発売された「少女椿」は初期の代表作となった。夢野久作や小栗虫太郎、江戸川乱歩といった小説家の影響を感じさせる作風、また高畠華宵、伊藤彦造などの挿絵画家を思わせる緻密で耽美な画風は、当時の少年少女をあっという間に魅了。丸尾は後年、この頃のことを「八〇年代という時代の中で、新しい表現をしたい、と思った」「そのために、子供の頃から好きだった表現のテイストを、漫画に持ち込んだ」と振り返っている(※)。
さらに1990年代に入ると、ヤングチャンピオン(秋田書店)にて「犬神博士」「ギチギチくん」「笑う吸血鬼」、少年誌・月刊マンガボーイズ(徳間書店)にて「風の魔転郎」を発表するなど、活動の幅を大きく広げた。
このページではキャリア初期から中期の作品を、代表的なマンガを中心に展示する。
※季刊エス59号(復刊ドットコム)より。

「少女椿」展覧会出品作品(「乱歩パノラマ 丸尾末広画集」収録)

「少女椿」展覧会出品作品
(「乱歩パノラマ 丸尾末広画集」収録)

『少女椿』は、キャリア初の長篇と言えるかもしれませんが、実は連載したわけではないんです。あちこちの雑誌にバラバラで書いたものに、描き下ろしを加えて、繋げて一冊にまとめたので、本当に苦労しました。始めのところも、ラストのほうも単行本用に描き下ろしたんです。
今も多くの読者に『少女椿』は愛されているようで、それはありがたいんですが、作者としては、もう忘れたいんですよね(笑)。私にとって、もう「過去」ですよ。

1992年「おばけ屋敷 麿赤児のパノラマ怪奇館」チラシ(「乱歩パノラマ 丸尾末広画集」収録)

1992年「おばけ屋敷 麿赤児のパノラマ怪奇館」チラシ
(「乱歩パノラマ 丸尾末広画集」収録)

私は、描いた絵は手放してしまうんですが(漫画の原稿は基本売りません)、この絵は、ある人に売った後で、神田の小宮山書店が持っていたけど、現在は大英博物館に所蔵されているんです。
後楽園ゆうえんちの「おばけ屋敷」用に描いたものだけど、総合演出が大駱駝艦の麿赤児さんで、音楽がジョン・ゾーンって、なんであんな企画が通ったんだろう。

「風の魔転郎」イラスト(新装版「風の魔転郎」収録)

「風の魔転郎」イラスト
(新装版「風の魔転郎」収録)

漫画家になったばかりの頃、私はいわゆるエロ劇画誌で作品を描いていたんですが、今考えると、かなり適当にやっていましたよね(笑)。原稿料も安いし。
そうしたら秋田書店から『犬神博士』の依頼があった。やっと一般誌で描けるようになった。
この『風の魔転郎』は、少年誌に描いたものです。三十代の頃は少年誌でやりたいな…とずっと思っていたんです。正直、ポルノとかマイナーな表現にうんざりしていた。だから、このとても少年誌的な作品を描けたのは、良かった。掲載誌が休刊になり終わってしまった漫画ですが、この作品を描いたことで、次作の『ギチギチくん』も描けたんだな、と今にして思いますね。

「笑う吸血鬼」イラスト(新装版「笑う吸血鬼」1巻カバー)

「笑う吸血鬼」イラスト
(新装版「笑う吸血鬼」1巻カバー)

「笑う吸血鬼」イラスト(新装版「笑う吸血鬼」2巻カバー)

「笑う吸血鬼」イラスト
(新装版「笑う吸血鬼」2巻カバー)

『笑う吸血鬼』が、初の長編連載と言えると思います。一話完結ではなく、続きものというのを描いたのは、これが初めて。秋田書店のヤングチャンピオンという雑誌で、『犬神博士』や『ギチギチくん』を描いた後だったので、「ああ、こいつは途中で投げ出したりしないんだな」と、少しは信頼してもらえたんでしょう。だから長篇の連載ができたと思います。
厚めの二冊程度の長さですが、自分は本来、漫画は量がともなわないといけないと思っているんです。どうしても作風的に、そう長いものは描けないから、本人としては忸怩たる思いがあるんですが。

『笑う吸血鬼』は、私としては珍しい現代物です。
正直言うと、現代物は描きやすい、楽でしたね(笑)。だって、勉強しなくて良いし、資料とかも必要ないから。でも、現代の東京だと、街の風景とかが面白くもなんともないんですよ。自動販売機やコンビニは絵にならない。だから、もうあまり描きたくはないかな。
ところで、この作品は何度か演劇化されているんです。観たかたもいますでしょうかね。