平庫ワカ「マイ・ブロークン・マリコ」特集

上記は平庫ワカのマンガ「マイ・ブロークン・マリコ」の筋書きだ。ドラマチックで疾走感あふれる物語展開は多くの読者の心を惹きつけ、無名に近い作家の初連載作にも関わらず、「マイ・ブロークン・マリコ」の名は瞬く間にネット上を駆け巡った。

そんな「マイ・ブロークン・マリコ」の単行本が、2020年1月8日に発売。コミックナタリーではこれに合わせて、ライター・CDBに「マイ・ブロークン・マリコ」の魅力を紐解くコラムを寄せてもらった。第1話が読める試し読みページも用意しているので、未読の人はこの機会にチェックしてほしい。

構成 / 鈴木俊介

平庫ワカ「マイ・ブロークン・マリコ」
発売中 / KADOKAWA
平庫ワカ「マイ・ブロークン・マリコ」

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[コラム  ]マイ・ブロークン・マリコ 彼女の魂を埋める場所を探して

文 / CDB

平庫ワカのWebコミック「マイ・ブロークン・マリコ」の反響は、その第1回が掲載された日からすさまじい速さでネット上を駆け抜けた。Web上では毎日のように、身辺エッセイから政治オピニオンまで大量の無料マンガが供給される。洪水の氾濫のような情報の中で少しでも目を引くために、「XXでXXがXXした話」というタイトルで結末を明かすような手法も定番化している。「マイ・ブロークン・マリコ」はそうではなかった。私の壊れたマリコ、という謎めいたタイトル。どうしようもない女友達が自殺した、誰にもどうすることもできなかった、という第1話の内容。逮捕すべき犯人は存在しない。解くべきトリックや推理もない。でもただそれだけで、この物語はまるで強烈な磁石のように多くの人を引き寄せた。第1話から数千人にリツイートされ、12月17日に発表された第4話まですべてが公開と同時にトレンド入りするという爆発的なリアクションは、この物語の結末がわかっているからではなく、答えのわからない問い、この物語が何に対する問いかけなのか、多くの読者が心に思い当たっていたからではなかったかと思う。

主人公シイノトモヨの友人、イカガワマリコは高校時代から心を病んでいる。主人公は思春期から成人してやさぐれたOLとして働く現在にいたるまで、何度も彼女の人生に関わり、親からの虐待や恋人からの暴力から彼女を守ろうとする。しかし主人公がどれほど果敢に戦い、マリコに暴力をふるう彼氏をフライパンで叩きのめしても、マリコはまるで吸い寄せられるように元の場所にもどっていく。「女同士の魂の結びつきを描く鮮烈なロマンシスストーリー」という編集部によるキャッチコピーは嘘ではない。「ロマンシス」とは、「ブロマンス」という男性同士の友情に対応する形で数年前にネットで考案された、女性同士の友情についての造語だ。だがその友情は、物語の最初でマリコの自殺によって断ち切られてしまっている。主人公は自分がマリコに置き去られたこと、彼女との魂の絆が断ち切られたことに呆然と立ち尽くす。それは壊れた友情、失われたロマンシスから始まる物語なのだ。主人公が暴力的な環境から彼女を救い出し、2人だけの世界をめざして逃避行が始まるラストであれば、この物語は新しいフェミニズムのおとぎ話になったかもしれない。しかし物語が始まる前に既にマリコは自殺し、失われている。この物語は「テルマ&ルイーズ」のような、女友達2人きりの逃避行にはなれないのだ。どれほど主人公が手を差し伸べてもマリコは破滅の方に引き寄せられていく。私の壊れたマリコ、というタイトルのこの物語は、フェミニズムでさえも救いきれなかった女の子をめぐる問いかけ、世界の矛盾から始まる。

中学生時代のシイノとマリコ。シイノはマリコのためにできることを考えた結果、遺骨を奪うという考えに思い至る。

平庫ワカという作者の名を検索して得られる情報は少ない。年齢や性別、どのようなキャリアを重ねた作家なのかも詳細は不明だ。スタイリッシュな画風は大手商業誌の平均水準を軽く超えているし、ストーリーの構成力も見事だ。しかしこの物語が多くの読者を惹きつけた最大の理由は、重いテーマとそれを語る作者の繊細な文体だったと思う。

無料のWebコミックで共感を集めやすい、善悪が単純化された構図を「マイ・ブロークン・マリコ」は取らない。虐待する父と傍観する母にも人間的な陰影と感情が描き込まれ、主人公とマリコの間にも抑圧と依存が描かれる。マリコは天使のように純粋な被害者ではない。それはタイトルの通り壊れた魂であり、自傷によって主人公を傷つける凶暴な弱者なのだ。

もちろん人間はみんな弱さを持っている。しかし本当の弱さというものは本当の強さと同じくらい稀なものなんだ。たえまなく暗闇に引きずり込まれていく弱さというものを君は知らないんだ。そしてそういうものが実際に世の中に存在するのさ。何もかも一般論でかたづけることはできない

村上春樹の小説「羊をめぐる冒険」の中で、「鼠」と呼ばれる主人公の大学以来の親友は、主人公に対して自分の弱さについてそう語る。レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」に登場するテリー・レノックスも、「さらば愛しき女よ」の大鹿マロイも、この社会に適応できずに破滅していく弱い魂たちであり、チャンドラーの描く主人公、フィリップ・マーロウは彼らに深く心を揺さぶられていく。ハードボイルド小説は本当は、車と銃と男の強さではなく、魂の弱さをめぐる小説なのだ。「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵がある時、壁がどれほど正しく、卵がどれほど間違っていても、小説家は常に卵の側に立つ」と村上春樹はイスラエルでの受賞スピーチで語るのだが、「マイ・ブロークン・マリコ」の中でマリコという卵は物語が始まる前にあらかじめ割れてしまっている。主人公はマリコの抜け殻、中身を失った卵の殻のような遺骨を彼女の両親から奪い取り、海を目指してあてのない旅に出る。村上春樹の小説の中で鼠が語るとおり、マリコは一般論では救うことのできない、壊れた女の子だ。だが主人公はその死の理由を問い続ける。手のひらをぴったりと合わせてもこぼれ落ちて消えていく水のように止められなかった彼女の人生を思い続ける。

マリコの遺骨を抱いて涙をにじませるシイノ。

「マイ・ブロークン・マリコ」は完結を迎え、単行本となった。だが平庫ワカという作家の世界への問いかけは、今作以降も形を変えて続くのではないかと思う。単行本に同時収録された著者のデビュー作「YISKA」の中でも、平庫ワカが老いたギャングを通して描いているのは高い壁の前に砕けていく卵のように壊れやすい魂についての問いかけだ。

「マイ・ブロークン・マリコ」の主人公は車も銃も持たず、マリコの自殺にはトリックも仕掛けもない。でもこれはやはり世界の矛盾についての推理譚であり、固く煮えたぎる怒りを抱いた1人の女性のハードボイルドストーリーなのだと思う。村上春樹の主人公が行方不明の恋人を探し続け、チャンドラーの描く私立探偵が弱くはかない魂に惹きつけられたように、平庫ワカの物語はこれからも自分と読者のこめかみに銃ではなく自由をつきつけ、あの子を殺したのは誰だ、と真犯人の名前を問い続けるだろう。「マイ・ブロークン・マリコ」の第1話で主人公シイノが包丁をにぎりしめてそうしたように、「今度こそあたしが助ける、待ってろマリコ」とつぶやきながら。

CDB(シーディービー)
映画・マンガ好きで、さまざまな場所に感想を書いている。過去の執筆記事に「型破りな大河ドラマ『いだてん』を守ったのは誰だったのか」(文春オンライン)、「『映画刀剣乱舞』を傑作たらしめた小林靖子による脚本 “内と外”に向けた構造を読み解く」(リアルサウンド映画部)など。