「神様、僕は気づいてしまった」“僕”、そして我々は何に気づいたのか。素性不明のロックバンドがマンガで伝えたかったこと

素性不明の4人組ロックバンド・神様、僕は気づいてしまった(以下、神僕)。2021年6月、神僕がオリジナルの小説、マンガ、音楽、ミュージックビデオを連動し展開させていくプロジェクトをスタートさせた(参照:神様、僕は気づいてしまったの新プロジェクトがマンガに、ゲッサンで短期連載)。このプロジェクトについて、コミックナタリーではマンガ「神様、僕は気づいてしまった」を軸に紹介。神僕を結成当初から知る音楽ライター・秦理絵にその魅力を掘り下げてもらい、同バンドがプロジェクトを通して伝えたかったことについて迫る。

文 / 秦理絵

神様、僕は気づいてしまったとは何者か

神様、僕は気づいてしまったは、2016年に結成された4人組ロックバンド。メンバーは、どこのだれか(Vo, G)、東野へいと(Gt)、和泉りゅーしん(Ba)、蓮(Dr)によって構成されるが、その素性は一切明かされていない。全員がバンド結成前から音楽経験を持ち、メインコンポーザーとして作詞作曲を手がける実力派集団であることだけが知られている。その楽曲のクオリティの高さは早い段階から注目され、2017年当時まだ無名ながら、TBS系火曜ドラマ「あなたのことはそれほど」の主題歌に「CQCQ」が大抜擢。その後、「CQCQ」を収録した4曲入りシングル「CQCQ」でワーナーミュージック内の名門レーベルAtlantic Japanからメジャーデビューを果たした。以降、初ライブを「SUMMER SONIC 2017」で行ったことも大きな話題となり、2019年には東名阪Zepp会場で初のワンマンツアーを開催し、全公演ソールドアウトを記録している。

「CQCQ」ミュージックビデオより。

「CQCQ」ミュージックビデオより。

神僕の大きな特徴は全員がマスクをかぶり、その素顔を公開していないことだ。その理由について、過去のインタビューで東野が「伝えたいコンセプトが中途半端にブレないために表情を隠している」と言っていた。作り手の情報を徹底的に取り除くことで音楽の純度が高くなる。そうやって生み出されたメッセージ性の強い楽曲は、誰もが心の抱えるマイナスの感情を生々しく抉り出し、独自の世界観を生み出している。

結成5年目での新たなる挑戦

神僕は、昨年6月からバンド初の挑戦として、楽曲、ミュージックビデオ、小説、マンガという異なるジャンルを連動させた新しいプロジェクトを展開してきた。従来通りクオリティの高い楽曲制作を続けることを前提にしつつ、新たに他ジャンルのクリエイターたちとタッグを組むことで、バンドの世界観をさらに押し広げることが目的のひとつだ。

ゲッサン7月号に掲載された「神様、僕は気づいてしまった」の扉ページ。

ゲッサン7月号に掲載された「神様、僕は気づいてしまった」の扉ページ。

このプロジェクトの原点にあるのが、神僕が昨年6月にリリースした「パンスペルミア」という楽曲になる。作詞作曲を手がけたのは東野。この混迷する時代のなかで反旗を翻す少数派の叫びをテーマにしたという激しくキャッチーなロックナンバーだ。そのミュージックビデオと同時に、気鋭の小説家・岩城裕明が原作を書き下ろし、ウエマツ七司が手がけるマンガ「神様、僕は気づいてしまった」の短期集中連載がゲッサン(小学館)でスタートした。人間に能力(ギフト)を与える4体の神が登場するというストーリーは、原作者とともに、神僕のメンバーが出したアイデアをもとに膨らませたもの。オムニバス形式で6つの物語が展開され、神僕というバンドを知らなくても、独立したストーリーとして楽しめる作品であることも大きなポイントになっている。

「神様、僕は気づいてしまった」第1話を読む

また、マンガの最終話が雑誌に掲載されたのに合わせて、昨年11月12日には「神様、僕は気づいてしまった」の挿入歌とも言える「青春のふりをした」のリリックビデオが公開された。「パンスペルミア」とは一転、透明感のあるピアノロックにのせて、どこのだれかの優しく儚い歌唱が印象的な今作には、作詞作曲を手がけた東野が「少年少女の綻んだ日常を綴りました」とコメントを寄せている。

マンガ「神様、僕は気づいてしまった」を読み解く
3つのキーワード

神様の存在

前述のとおり、「神様、僕は気づいてしまった」という物語のポイントになるのが、人間に「ギフト」と呼ばれる不思議な能力を与える神の存在だ。6つの物語に4体の神が登場する。燕尾服を着た笑顔の神。4本腕の不機嫌そうな神。頭が大きな泣き顔の神。腕が長い楽しそうな神。彼らはいわゆる全知全能の神というような神々しい見た目ではない。それぞれの神には個性や喜怒哀楽があり、人間を弄ぶ悪魔のような存在でありながら、どこかチャーミングなキャラクターとして描かれているのが面白いところだ。

第0話より。

第0話より。

4体の神は救いを求める(と神自身が判断した)人間のもとに現れる。それは、神様、僕は気づいてしまったというバンドが楽曲の中で歌っている内容とも密接に関わっている。神僕の楽曲には、誰かに救われたい、何かに縋ることで逆境を変えたいと願う人間の願いが歌われることが多い。過去のインタビューで、「神僕がテーマにする神とは何か?」と聞いたときに、東野が「偶像にすぎないもの、(人間は)自分たちが作り上げたものに縋っている」と答えてくれたことがある。神僕にとっての神とは、人間が苦境に陥ったときに、その最後に縋る存在として生み出された産物というような意味合いだ。それを便宜上、神と呼ぶことにしている。もし、そんな神が目の前に現れたとしたら。そういうifの物語が、この「神様、僕は気づいてしまった」というマンガなのだ。

第0話より。

第0話より。

後味の悪さ

物語の中で神にギフトを与えられた人間は必ずしもハッピーエンドを迎えるわけではない。例えば、第1話で登場する好きな人に告白する勇気を出せない女子高生・尾上智美には、相手が抱いた一時の感情を永遠に固定する【固定】という「ギフト」を与えられる。だが相手からの好意を得ることができなかった尾上は、自分への憎しみの感情を固定させ、倒錯した満足感に酔いしれるところで物語が終わる。

第1話より。

第1話より。

自分の中の怒りをコントロールできず、妻と離婚した第2話の主人公であるサラリーマンの花村将吾には、胸の内に隠している感情を解放させる【解放】というギフトが与えられた。クリスマスの夜、花村は元妻に「やり直したい」と提案するが、ギフトを発動し、お互いが取り繕っていた本心を曝け出すことで話し合いは破綻してしまう。また第3話に登場する男子高生の三谷成久に与えられたのは、今日という1日を永遠に繰り返す【円環(ループ)】というギフト。そのループを止めるには、この日、屋上から飛び降りた同級生・清水真由の自殺を止めなくてはいけない。三谷はループを繰り返すことで得た自分なりの「生きることの意味」を清水に伝えて説得するが、その甲斐もなく真由は屋上から飛び降りてしまう。という具合に、読んだあとに残るなんとも言えない後味の悪さがこのマンガの特徴の1つでもある。

第3話より。

第3話より。

ただ、各エピソードが微妙に重なり合いながら進んでいく6つの物語を読み進めていくと、それぞれの話が関連し合い、すべてが最終話への伏線になっている面白さにも気付くはずだ。第6話は、第3話で自殺をする清水が主人公の物語だ。その話を読み終えたとき、このあまりにも後味の悪い各エピソードを通して、神僕というバンドが、このマンガで伝えたかったものはなんなのかという、読者それぞれの答えに辿り着くのではないだろうか。そのひとつの感想をここで書かせてもらうならば、どんなに神に縋ろうとも、結局のところ運命を変えられるかどうかは自分次第だということだ。「神様、僕は気づいてしまった」というタイトル(バンド名)には、「何に」気づいてしまったのか、という表現が欠けている。その「何に」気付くのかという部分を託されるのがこの物語だと思う。

第6話より。

第6話より。

人間の感情と、そこにある矛盾

神やギフトといったファンタジックな設定にもかかわらず、「神様、僕は気づいてしまった」がどこか他人事とは思えないような圧倒的な没入感を生むのは、リアルな感情の描写があるからだ。神の個性が喜怒哀楽で象徴的に表現されるように、この物語は「感情」が大きなテーマにもなっているように思う。例えば、第1話で登場する尾上は「好き」とは何かという神との問答のなかで、「好き」という感情は決してきれいなものだけではなく、苦しみや妬みを孕んだ生々しいものであることに気付く。感情の解放をテーマにした第2話のサラリーマン花村は、自分が感じていた怒りとは、実は寂しさの裏返しだったと気付いたとき、孤独に泣く。作中、こんな神のセリフもある。「ポジティブな感情にもネガティブな面があるってことだよ。もちろんその反対もね」(単行本P42)。それがこの作品全体を通して描かれていることのようにも思う。ひとつの言葉で切り取られる感情の中に真逆の感情が混在し合い、明快な形容詞では決して捉えることができない。「神様、僕は気づいてしまった」は、人間が抱えるそういった矛盾や複雑さをとてもリアルに活写する。

第1話より。

第1話より。

第2話より。

第2話より。

例えば、「夢」は多くの人が肯定するものだろう。だが、その夢に苦しむ存在として描かれるのが第4話の主人公である教師・伊藤薫子だ。脚本家になる夢を叶えることができず、教師になった薫子は、対象者のもっとも優れた才能を奪うことができる【剥奪】というギフトを神に与えられる。そこで読者が投げかけられるのは、夢は人生を切り開く希望である同時に人生を狂わせる呪いであるという矛盾だ。

また、第3話から第6話につながる三谷と清水の物語では、世界は素晴らしいのか、クソなのかという大きな命題も突きつけられる。この世には遊びきれないほどの娯楽で満ち溢れている一方で、悪意や誹謗中傷は決してなくならない。そんな世界に生きる意味はあるのだろうか。そういったテーマは神僕がこれまでの楽曲で表現してきたことにも共通しているように思う。厭世的な世界観や人間のマイナスの感情をこれでもかと歌にすることで、神僕は生きる意味を問い続けてきた。「救われない歌なのになぜか心が晴れることがある」。これも過去のインタビューで東野が語っていたことだ。矛盾に満ちたこの世界をきれいごとで覆い隠すのではなく、そこにある矛盾も絶望も孕んだまま希望に変えようとする。それが神様、僕は気づいてしまったが描く「神様、僕は気づいてしまった」という作品なのではないだろうか。

第6話より。

第6話より。

プロジェクトを締め括る1曲が完成

なお、すでに公開されている「パンスペルミア」と「青春のふりをした」に続き、今作「神様、僕は気づいてしまった」のテーマソングの1つである新曲「命は誰のもの」のミュージックビデオが1月21日に公開された。神僕の真骨頂とも言える疾走感あふれるロックサウンドにのせて、「正解も間違いも あなたのものだ」と、これまでの神僕の楽曲には珍しく、ストレートなメッセージが綴られた歌詞が印象的なナンバーだ。今回のプロジェクトを始動するにあたり、東野は「70億人が住む星には、70億通りの時間、70億通りの怒りや悲しみ、そして70億通りの孤独が二つとなく存在」するという旨のコメントを寄せていた。この歌は、そこにある70億分の1の感情や選択、人生そのものを肯定するような一曲だ。ぜひ、マンガ「神様、僕は気づいてしまった」と合わせてこの楽曲を聴くことで、その意味を深く噛みしめてほしい。

プロフィール

神様、僕は気づいてしまった(カミサマボクハキヅイテシマッタ)

どこのだれか(Vo, G)、東野へいと(G)、和泉りゅーしん(B)、蓮(Dr)からなるロックバンド。ミュージックビデオでは全員マスクをかぶっており、各メンバーの詳細なプロフィールは明かされていない。2016年11月に初の楽曲「だから僕は不幸に縋っていました」のミュージックビデオをYouTubeで公開。2017年5月発売のメジャーデビューシングル「CQCQ」の表題曲は、TBS系火曜ドラマ「あなたのことはそれほど」の主題歌に選ばれた。同年7月には1stミニアルバム「神様、僕は気づいてしまった」をリリース。2021年6月より、楽曲、ミュージックビデオ、小説、マンガという異なるジャンルを連動させたプロジェクトを展開。この一環として、6月に「パンスペルミア」、11月に「青春のふりをした」、2022年1月に「命は誰のもの」の楽曲配信とミュージックビデオ公開が行われた。