かいじゅう色の島|「伝奇+百合」を描く、はっとりみつる最新作から見えてきた「百合の現在地」を語り合う 三枝謙介(アニメイト百合部 部長)×ふりっぺ(百合ナビ)×溝口力丸(S-Fマガジン)×もちオーレ(マンガ家)座談会

みんなが百合だと思っているものが百合

──実際に書店で本を売る三枝さんや専門情報サイトとして百合作品を紹介しているふりっぺさんは、その作品が百合であるかという判断はどのように下しているのでしょうか。

三枝 百合部全体としては、そこは完全に各自の自由ですね。自分が百合だと思ったら自由に推せばいいというスタンスでやっています。例えばほかのお店の担当者が、僕が合わないなっていう作品を推していてもそれはそれでいいことだと思っていて。僕らがその対象を狭めてしまうことで、本来お客様が出会えるはずだった作品に出会えなくなったら悲しいことですし。そこは本当に自由で、お店によって推す作品もバラバラだと思います。

百合ナビは、個人運営による百合専門情報サイト。管理人であるふりっぺのキュレーションで百合作品が紹介されている。

ふりっぺ 百合ナビは「みんなが百合だと思っているものが百合」という方針で運営しています。公式で百合と銘打ってないものであっても、できるかぎり広範囲を拾って、その中からユーザーが自分の好みに合う作品を選んでくれたほうが結果的に多くの人が百合を楽しめるんじゃないかと思ってます。

──「みんなが百合だと思っているもの」の「みんな」というのは、具体的にはどういった層のことでしょうか。

ふりっぺ SNS上の百合ファンが主です。もちろん私自身も作品を読んで判断しますがそれだけだと独断になってしまうので、できる限りSNSなどで多くの人の意見を参考にします。作品名+百合とかで検索して、百合ファンの人たちがどれだけ盛り上がっているのかを見ると、そのタイトルが百合作品として楽しまれているのかが見てわかります。

──少し踏み込んだ話になるんですが、公式で百合と謳っていない作品を百合として扱うことの躊躇というか、葛藤みたいなものって感じることあるんでしょうか。

ふりっぺ 躊躇がないわけではないです。特に連載作品だと先がどうなるかわからないので、取り上げていいのかはかなり迷いますね。ただ、実際にとある版元さんとお会いしたときに言われたのですが「百合と明言してしまうと商業的に売れないor売りにくくなってしまう」という考えからあえて百合を明言してない事例がやはりあるみたいで……もちろんすべての版元さんがそういうわけではないですし、ここ最近は名言される作品もかなり増えてきてますが。ただ、そうなると本来届いていたはずの層にも届かなくなってしまうので、今みたいに広範囲に紹介していったほうが、作品に触れてもらえる機会が増えると思ってます。もちろんナイーブな側面もあると思いますが、マイナスよりはプラスのほうが大きいんじゃないかなと思ってます。

三枝 僕らも版元さんや作家さんに「百合だと思われたくないからやめてください」と言われたら、それは絶対に避けます。ただ、個々人で作品に対する印象は全然違うと思うので、極力そういうことがない限りは、自分たちの判断や、お客様の感覚を尊重していったほうがよいのではと思っています。

オーレ 作品を、作り手が想定していない見方をすることって、百合作品に限った話ではないですよね。例えばバトルもので、この子とこの子はくっつくんじゃないかと思ってドキドキするのと、同じ感覚だと思うんです。百合として見るのをやめてくださいって公式が言うのであれば、そういう余地はないと思うんですが……それに期待する、ドキドキするっていうのは、作品の楽しみ方のひとつじゃないかなと。だから百合ナビさんがやってらっしゃるみたいに、ちょっとこの作品、百合っぽい感じがしてドキドキするぞっていうのを教えてくれるのは、楽しみ方として大いにありだと思います。

ふりっぺ ありがとうございます。私としても、もちオーレ先生みたいに、百合を明言してくださる作家さんの作品だと、安心して紹介できるのですごくありがたいです。

オーレ ははは(笑)。恥ずかしいです。

溝口 ジャンルは本当に語ることが難しくて。もともと私が専門にしているSFというジャンルも、定義をめぐるさまざまな、本当にさまざまな歴史があり……(口籠もる)。幸い、自分が編集者になったときにはそういう闘争も一段落ついていて、メディアミックスや周辺のジャンルも含めて幅広くSFを盛り上げていこう、という時代だったんですけど、そういう歴史を経てきた場所にいるからか、あまりジャンルそのものについて語ることに意味はないんじゃないか、と思っています。

──と言いますと。

溝口 「SF」や「百合」と同じ言葉を使っているつもりでも、読者それぞれの経てきたSF作品、それぞれの百合作品があって、その経験の蓄積として自分の好きなものが集まっている場所をジャンルと認識しているという、無数の組み合わせがあるだけだと思うんですよ。「百合」なら「百合」という唯一のジャンルが実在するというより、「百合」という2文字が生みだす共同幻想を作り手と読み手がなんとなく共有していて、その言語圏の中にいると自分の好きな作品がたくさん見つかる、というゆるやかなつながりがあるだけというか。まったく同じようにジャンルを認識している人は1人もいないと思います。だから今は発信するときも、そういう曖昧なつながりのなかで、読者さんが好きな作品を見つける指標として「百合」というタグをつけているイメージですね。

──ご自分が手がけられたもので「百合」を標榜する場合には、ということですね。

溝口 はい。ただそれも2、3年前は状況が違っていました。当時は「百合だと売れない」ってよく言われていて、ライトノベル作家さんに話を聞くと、実際に百合ラノベの企画って全然通らなかったらしくて。でもそんなの単に版元が踏み切れてないだけで、ただの迷信じゃないかなと思ったんです。だから百合と銘打った小説が売れた実績を作りたいなと思って、かなり意識的に仕掛けたのがS-Fマガジンの百合特集だったり、百合SFアンソロジーの「アステリズムに花束を」でした。もしも失敗したとしても責任が作家さんに向かないように編集として名前を出して、幸い好評をいただけたんですが、それはそれで裏方が目立ちすぎた……という反省もありまして(笑)。とにかく、これから百合を書きたい、百合を出したいっていう人が、「あれは売れたじゃないですか」って言える前例を作れるといいなと思ってやっていました。

仲谷鳰「やがて君になる」は2015年〜2019年にかけて月刊コミック電撃大王(KADOKAWA)で連載された作品。TVアニメ化、舞台化もされた。

三枝 マンガ業界では、確かに2018年ぐらいってかなり百合が盛り上がってる時期でした。「やがて君になる」がちょうどヒットを飛ばしていたときで。ただ当時でも、一部の版元さんは百合を掲げることをためらっていたというか、帯に「百合」って書いてある作品の割合は今より明確に少なかった。だから百合ファンは、百合とは謳っていないけどそういう要素がある作品をSNSで探し出して読む、みたいなことをしていました。今では逆に百合が作品の売りになったり、多くの人が目にしてくれるようになったり……そういったところは、当時と今とで一番変わったことかもしれません。

溝口 やっぱり作家が百合を書きたいのに書けないとか、百合として本来世に出るべきだったのにぼかした形で出されて読者に届かないとか、そういうのがいちばんの悲劇だと思うので、商業的にもジャンルは自由であってほしいですね。あとS-Fマガジン百合特集2021の座談会でも出た話題ですが、最近は一般文芸でも百合ファンが読んで楽しめそうな作品、異性愛規範に縛られずに自由な関係性を描く作品がたくさん出るようになってきていて、すごくうれしく思っています。百合が好きなら、読むべき作品は無数にあるなと。

既存のジャンルと百合を複合させた作品が増えてほしい

──皆さんのお話を伺って、百合はまだまだ盛り上がっているということがわかってきました。では、このまま盛り上がって行った先にどうなっていくと思うか、みたいな予測もぜひお聞きしたいなと。最近「淫獄団地」というすごく尖った作品がスタートしてSNSで話題になりました。これは百合ではなくエロティックコメディというジャンルで起きた先鋭化の例ですが、こういった極端なものが生まれて来る土壌も百合にはあると思いますか。

ふりっぺ それで言うと最近は、コミック百合姫(一迅社)さんの作品がすごく尖ってる作品が多いと思います。「きたない君がいちばんかわいい」(まにお)とか「割り切った関係ですから。」(FLOWERCHILD)とか。あとは百合姫さんに限らずレズビアン向けの風俗をテーマにした作品が増えてますね。そういう先鋭化した、尖った作品というのは、百合からもどんどん出てくるのかなあとは思ってます。

──例えばもちオーレさんは、とても尖ったというか、純度の高い百合作品を描かれている印象がありますけれど。

オーレ そうなんですかね……? あまり意識はしていなかったです。僕らがマンガを描くうえで気にするところって、「ドキドキするかどうか」という一点だけなので、やっぱりそこに百合が当てはまってるんですよね。その表現を百合として純度が高いと思っていただいてるってことは、自分でも「百合ってドキドキするやろ」って思って描いてるんだと思います。

──もちオーレさんが今後、百合作品以外を描かれることってあるんでしょうか。

オーレ 描きたい気持ちはあります。ただ、やっぱりもうちょっと、百合というジャンルで絶対的な作品をバンッと残して、それから次のステップに進みたいと考えているので……まだ今はその段階ではないかな、と。今は百合プラスもう1ジャンル、みたいなものを描きたいなと思って、いろんなものを試しているところです。

もちオーレ「悪いが私は百合じゃない」は、担任の男性教師に恋をしている女子・藤堂いつみが惚れ薬を手に入れるも、その惚れ薬を誤って飲んでしまったさまざまな女子たちに迫られる百合作品。

──もちオーレさんが今連載されている「悪いが私は百合じゃない」も、従来の百合要素に何かを足すことで生まれてきたものなんでしょうか。

オーレ ずっと百合でハーレムものをやりたかったんですよ。1対1で恋愛をするのもいいけれど、あの子からもその子からも求められて取り合いになる、みたいなのを。あのマンガを描くとき、最初に意識したのは「らんま1/2」(高橋留美子)なんですが、ああいう作品を百合でやりたいなと思って、ほかに考えていた要素もたくさん組み合わせていった感じです。百合でこれをやったら伸びるんじゃないかみたいな、そういう案はいっぱいありますね。

ふりっぺ 私も既存のジャンルと百合を複合させた作品はもっと読んでみたいと思います。「SLAM DUNK」(井上雄彦)みたいなバスケ要素と百合とか、「HUNTER×HUNTER」(冨樫義博)みたいな冒険要素と百合、みたいな。ほかのジャンルで表現されていたものが百合でも表現されるようになったら、ジャンルの幅も広がって個人的にうれしいです。今アニメが放送中の「裏世界ピクニック」も、ホラーや伝奇要素を取り入れた百合作品だと思うので、そういうところを起点に複合型の作品が生まれてきてほしい。

──「裏世界ピクニック」の原作小説は、溝口さんが担当編集者として手がけた作品ですね。

「裏世界ピクニック」は、早川書房から刊行されている宮澤伊織の小説。実話怪談が好きな紙越空魚(かみこしそらを)、行方不明になった友人を探している仁科鳥子(にしなとりこ)という女子大生2人が“裏世界”で出会ったことから始まる物語になっている。

溝口 あの作品は、1巻目は百合・ホラー・SFの三本柱みたいな感じで、それぞれ独立した魅力だと思っていたんですけど、巻数が進むにつれて、それらが融合してきたような読み応えを感じています。メインキャラ2人はよく衝突をするし、互いのことをちっともわかっていなかったと思い知るみたいな展開も多いんですが、他者との深い付き合いはときに怪異よりも恐ろしかったりする。私も読んでいてよく悲鳴をあげます。それでも相手を理解しようと努力をすることで、相手の目を通した自分自身の魅力や、1人では辿り着けなかった世界の広さに気付いていく。これはつまり一種のSF的なセンス・オブ・ワンダー……って言い過ぎかもしれませんが(笑)、重なるものがあると感じています。こういう関係性の表現では、私はなおいまい先生の「ゆりでなる♥えすぽわーる」が大好きなんですけれど。

──「ゆりでなる♥えすぽわーる」は、街で見かけた女子たちを題材にした幸せな百合妄想を描きとめる「百合スケッチブック」を作る女子・雨海と駒鳥の物語ですね。幸せな百合妄想を繰り広げる一方でビターな人間関係があったり、と多角的にヒューマンドラマを描いています。

溝口 ああいう傑作を読むと、関係性のあり方っていうのはまだまだ私たちの想像も及ばないことが多いし、そういう可能性を見せてくれるものが読みたいし、作りたいなあと思いますね。私は百合ファンの熱意というか、プレゼンの言語化能力がすごかったり、表現がすごく熱かったりするところが好きなので、そういう豊かな状況は今後も続いていってほしい。あとは……編集者がもっと増えてほしいですね。

──百合作品を手がける、ということですか。

「かいじゅう色の島」が連載開始した別冊ドラゴンエイジ(現ヤングドラゴンエイジ)Vol.5。

溝口 ええ。自分自身2年やってて感じたんですけど、百合を出す編集職って数が少ないからか変に目立ちがちな気がするんです。今回の「かいじゅう色の島」みたいにヤング系の雑誌で百合が連載されてることって大事で、集英社さんの「ユリトラジャンプ」とかもそうですけど、カジュアルにいろんな版元が百合作品を出す動きが加速して、多様化して、流れが続いていくといいなと。

──かくいう溝口さんも、百合文芸の編集者としてとても知られている印象がありますが。

溝口 そう、ですね……今日もなぜかここにいますし……。ありがたいですが、最近は権威化しないことをすごく気を付けるようになりました。自分の存在がジャンルを偏らせるみたいなのもできるだけ避けたい。権威が居座って百合はこうだ、これは百合ではない、とか言い出すとジャンルは滅びると思います。私がカバーできていない百合が好きな方もたくさんいると思いますし、目立つ編集者の個人プレーに任せていたら、その人がいなくなったときその版元から百合が出なくなった、みたいなことも起こりえます。ジャンルの広がりと持続性を保つためにも、プレイヤーが、とくに編集者が増えてほしいんですよね。これはSFにも同じことを思っています。

三枝 編集さんや版元さんもそうですし、やっぱり自分の好きな作品を描いてくださる百合作家さんががんばった結果、報われる世の中であってほしいですよね。人気が出てメディアミックス化されて盛り上がって、売り上げが伸びるみたいな。そういうところで我々のような書店もがんばっていかなきゃと感じています。今は来店いただくのもなかなか難しい情勢になってしまいましたが……。

ふりっぺ 以前百合ナビでアンケートを取ったとき、百合ナビで見た単行本を書店で購入した、っていうユーザーがかなり多かったので、そういう「作品を知るきっかけ」の一端を担っている責任は感じます。だから、1個でもタイトルの見落としがあったりすると、内心けっこう落ち込んでたりします。せっかく作家さんや出版社さんががんばって作品を出されているので、できる限り力添えができたらなあ、と常々思っています。

三枝 さっきおっしゃってたみたいな、いろんなジャンルと複合した作品が出てくると、そのジャンルが好きな読者さんがついて、裾野が広がるのは大きいですよね。それでいろいろ読み込んでくると、今度はもっと尖ったやつというか、もうちょっと濃いやつが欲しいってなるんじゃないかなと。もちオーレ先生みたいな、俺の熱い思いを込めたマンガ、みたいなのを読むと、本当に「最高かよ!」ってなるので(笑)。そういうものも増え続けてほしいと思います。

この2人を引き離さないでほしいっていうドキドキ

──百合の現在、これからについてお話を伺ってきましたが。最後に、皆さんが読んでみて「かいじゅう色の島」の今後の展開はどうなると思われますか。

「かいじゅう色の島」第1話より。ひとりぼっちだという棔に「わたしもぼっち」と伝える歩流夏。通じ合える相手をやっと見つけた2人の関係は、どうなっていくのか。

オーレ 物語が進むにつれて、この先を見るのが怖いような、やっぱり見たいようなっていう気持ちにさせられています。心がきゅっとなるような百合展開になっていくんだと思うんですけどね。僕らが描くのは、距離がぐっと近づいたときのドキドキですけど、それとは違う、この2人を引き離さないでほしいっていうドキドキですよね。

三枝 そうですね。願わくばバッドエンドにならないでほしいなあ、とは思いますね……個人的な嗜好なんですが(笑)。まあでもそういったハラハラ感も面白さだと思いますし、これを1巻まとめて読めるっていうのが連載とはまた違ういい形だと思うので、ぜひ読んでいただきたいなと思います。

ふりっぺ やはり舞台設定も物語もかなり特徴的な作品なので、百合マンガとして2人の関係性がどのような終着点を迎えるのかはすごく気になりますね。あと作中で語られる“かいじゅうさん”の言い伝えがどのように物語に絡んでいくのか、棔がなぜ周囲から無視されているのか……そういった考察できる余地もかなりあるので、作品の展開を予想するのが好きな方にも刺さりそうです。

「かいじゅう色の島」第1話の扉イラスト。

溝口 個人的にはさっきも言っていた、田舎の夏の風景が、マンガならではの表現として非常に強いなと思いますね。概念レベルで大きな主語を使いますが、オタクって、夏の田舎が好きじゃないですか(笑)。やっぱり日本の夏の、湿度があって、気温が高くて、ぼんやりしてくるような雰囲気みたいなものが言語化されてる部分、されてない部分、それぞれでうまく表現されているなと感じましたし、そこを味わえるのが個人的にはいちばんよかったです。

三枝 画面全体で感じ取ってほしいなっていう感じの作品ですよね。

──ちなみにアニメイトさんでPOPを作るとしたらどんなことを書かれますか?

三枝 うーん、難しいですね。ちょうどこれから書こうと思っていたところだったので……できあがったら報告させていただきます!(笑)