賀来ゆうじ「地獄楽」は、不老不死の仙薬があると言われる島を舞台に、死罪人と打ち首執行人、島に巣くう化物との生死を懸けた闘いを描く浪漫活劇。2018年から2021年にかけて少年ジャンプ+で連載され、読者の予想を裏切る先の読めない展開が話題を呼んだ。今年4月にTVアニメ化を果たしており、第2期の制作も決定している。
コミックナタリーでは、アニメ第1期のBlu-ray / DVD BOXの上下巻が、10月4日、25日にそれぞれリリースされることを記念し、忍から足を洗おうとしたことから死罪人となった主人公・画眉丸役の小林千晃と、打ち首執行人・山田浅ェ門佐切役の花守ゆみりにインタビュー。アフレコ現場でのエピソードを交えながら、作品の魅力、印象に残ったシーンについてたっぷり語ってもらった。
取材・文 / 前田久
最初の設定から、とてつもない面白さを感じた(小林)
──おふたりは「地獄楽」という作品の、どんなところに特に強い魅力を感じていますか?
小林千晃 死罪人と打ち首執行人の
──物語の開始時点のセッティングから、強く興味を惹かれたのですね。
小林 さらに、物語が展開するにつれて、本来であれば信頼なんて成り立つわけがない関係性の2人が、だんだんとコミュニケーションを取り、信頼関係を成り立たせ、やがては相手を助けようとするほどになる。そうした人の変化が描かれる点も、魅力的でしたね。
花守ゆみり 自分に与えられた役回りだったり、1つの目標のためだけにそこにいる状態から、目の前の相手と向き合うことで、己の弱さ、強さに気づき、自己を知っていく物語なんだよね。
──冒険譚であり、成長の物語でもある。
花守 でも、自分を深く知って成長したとしても、目の前には圧倒的な敵がいて、必ずしもうまくわけじゃない。そこが「地獄楽」の魅力だなと、私は思っています。本来であれば主人公にもなれるくらいの能力や魅力がある人であっても、タイミングが少しでも悪ければ、
──驚きの連続ですね。
花守 いい意味で、読者の予想を裏切っていきますよね。次の瞬間には目の前にいる人がいなくなってしまうかもしれない危機感を常に抱えながら、最後まで読んでいける。さらにそうした死の危険の中で、人間の感覚が研ぎ澄まされる様子を見ていけるのも、この作品の面白さだと感じています。原作を読んでいる間ずっと、「この展開はずるい! 苦しい! でも続きが読みたい!」みたいな状態でした(笑)。
小林 確かに、誰が亡くなるのか全然読めない、ハラハラする感覚も大きな魅力ですね。
とにかく迷い、迷い、迷い……の連続でした(花守)
──そんな「地獄楽」のTVアニメで、小林さんは死罪人の画眉丸役、花守さんは御様御用の山田浅ェ門佐切役を演じておられます。第1期の放送はすでに終わり、今は第2期の放送を待つばかりの状態ですが、改めて、これまでこの作品に関わってきての思い出を振り返っていただけますか?
花守 それこそこの作品に関しては、オーディションのときからエピソードがあるよね? 千晃くん。
小林 そうですね。オーディションのとき、もっと少年らしく演じるかどうか迷ったんです。というのも、画眉丸って、ああ見えて肉体の年齢は16歳なんですよ。忍の里でずっと生きてきたので、精神年齢は全然16歳じゃないですけど。
──凄腕だし、落ち着いていて、実年齢離れした貫禄がありますよね。
小林 どちらの要素をオーディションの芝居で重視するか迷って、最初は精神年齢に合わせたんです。そうしたらスタッフさんから「もっと少年っぽく」みたいなディレクションをいただいて。だから正直、終わった瞬間、受かりそうな手応えはなかったですね。
花守 私も同じ。「もっと少女らしさを持ってください」とオーディションでディレクションを受けたので、これはダメだ、って思った。
──そういうものなんですか?
小林 お芝居の技術面ではなくて、シンプルに「声の若さ」を求められると、「もっと合う人がいるかもしれない」と少し弱気になってしまうものなんですよ。
花守 うんうん。
小林 しかも「地獄楽」は、オーディションの日程を2日間に分けなければならないくらい、たくさんの人が受けると伺ってもいたので、ますます「これはちょっと厳しいかもしれんな」と、勝手に思っていました。
花守 でも、千晃くんはその後は迷わなかったでしょう? 私なんて、役に決まってからも、最初の収録までに佐切としてのお芝居の答えが見つからなかったんです。第1話はほとんど佐切と画眉丸、2人の会話劇なのに……。
──それは大変ですよね。結局、どう解決されたんですか?
花守 もう開き直って、現場で画眉丸の声を聴いてみて、それからがんばろう!って思いました。ありがたいことに、千晃くんの画眉丸のお芝居は最初からしっかり固まっていたので、おかげでもう、いっぱい迷いまくれましたね(笑)。
小林 ははは(笑)。
花守 まだ第1話はマシだったんですよ。その時点の佐切は、その後の話数で描かれる本来の佐切ではなく、あくまで画眉丸の目を通した、「腹の底が見えない、強い女剣士」というキャラ付けで描かれている。佐切としてのお芝居は、ある意味、第2話以降が本番で。そこからはもうとにかく迷い、迷い、迷い……の連続でした。
小林 花守さんは「固まっていた」と言ってくれましたけど、第1話のアフレコのときは、基本、この話数は画眉丸目線で進行することもあって、重点的にディレクションをしていただきもしたんですよ。というのも、僕は画眉丸ってコミュニケーションを取らないタイプだと思っていたんです。忍だし、心が死んでいるので。だから佐切とも第1話の最初の頃は、ちゃんと会話していないような雰囲気で掛け合いしようと思ったんですよ。
花守 私もそう思ってた。
小林 そうしたら音響監督のえびなやすのりさんから、「画眉丸はもうこの時点で、妻から普通の人としての在り方をちゃんと教えてもらった後だから、佐切ともコミュニケーションを取ってください」「距離感をしっかり意識したお芝居の方向に持っていって大丈夫」と指示があったんです。なので、そこからは割と普通の人間というか、一般人ぽい感覚で演じるように変えていきました。セリフでは「ワシには心はない」と言いながら、めちゃ心がある。言っていることと話している感じがチグハグで大丈夫かな?という不安もあったんですけど、そのチグハグさがいい、ということだったんですよね。
──なるほど。
小林 次の第2話は、今度は逆に、基本は佐切目線になるので、花守さんがいろいろとディレクションを受けていたのを覚えています。
花守 そうでしたね。「怖がるときに泣きのほうに行かないで」とか。
──どういうことでしょう?
花守 彼女って、死罪人を斬るときに、同じ「人」として見てしまうんです。だから首を斬る瞬間、最後の最後のところで、「人を殺す」ことへの迷いが出てしまう。でもそれは、「泣き」ではないんですね。もっと違うことを怖がっている。その迷いが、画眉丸の覚悟を見ることで、少しだけ薄まる。「人を斬る」ための心の固め方を一歩だけ知ることができた。だからある意味、第1話と第2話はセットなんですよね。2つの話数で、この2人の最初の物語、始まりが描かれている。面白いですよね。「地獄楽」というタイトルの時点で、“地獄”と“極楽”、正反対なものが常に一緒にあるような言葉が選ばれているんですが、その感覚がこの作品を貫いている。この2人の関係性も、まさにそのままだなと、お話の構成からも感じます。
「もうこれ以上、誰も失いたくない」という決意が、絶対に崩れない佐切の最後のライン(花守)
──第3話以降のアフレコはいかがだったのでしょう?
花守 その後は、ほかの死罪人・御様御用の組の人たちも含めて、けっこうキャストにお芝居を任せてもらってたよね。
小林 そうですね。細かいディレクションはあれど、考えていた心境と完全に違う方向に芝居を変える、大きなディレクションをされることはあまりなかった気がします。第3話の画眉丸に迷いが生じて、佐切を殺せなかったところ。あそこで「ここまで弱くなったのか」というセリフがあり、それに対して佐切が……。
花守 「弱さじゃない、強さの種よ」と返す。
小林 その言葉に画眉丸がハッ!となる。
──人間的な「弱さ」の大切さに気づくわけですね。
小林 そこからは第1期の最終13話まで迷うことなく、一貫してお芝居できていた気がします。それで言うとやっぱり佐切のほうがね。いろいろ考えることがあって。
花守 画眉丸は「妻のいる家に帰る」という、絶対的なゴールが決まっているのも強いよね。佐切は島から帰った後も、「どうやって生きていくのか?」という悩みがずっと続いていく人。家のしがらみ的にシンプルには生きていけないうえに、女性であることが不利に働いてしまう時代でもある。それでもちゃんとお侍として生きたいという心を、どうしたら貫けるのか……。
小林 画眉丸には自信満々に道を語れるのに、自分のことは何もわからない。
花守 そう。そして「もうどうしたらいいの? どんどん人が死んでいく……」みたいな現状に対する悩みまで抱えて。とりわけ途中から行動をともにしていた、同じ御様御用の仙汰殿が亡くなるときが、一番、素の少女としての弱さが垣間見えた気がしましたね。ただ、どれだけ弱気になっても、「もうこれ以上、誰も失いたくない」という決意だけはある。そこが彼女の、どんなに信じていたものが崩れても、絶対に崩れない最後のラインだとは、アフレコをしながらずっと感じていました。
能登麻美子さんは「マイエンジェル」(小林)
──画眉丸の絶対的なゴールである「妻への思い」を、小林さんはどう理解しておられたのでしょう?
小林 もう本当に、「生きる理由」そのものですよね。自分がここにこうして生きていられるのは、妻のおかげ。難しい話題ですけど、人間が「生きている」と言ったとき、肉体として「生きている」状態と、心が宿っているという意味での「生きている」状態の、2つの意味があると思うんです。心が宿っているほうの「生きている」状態は、画眉丸にとっては、妻がいてくれたおかげでようやく知ることができた。だから逆に、妻がいなくなったら、肉体として生きていても、画眉丸としては死んでいるのと一緒なんですよね。
花守 本当にね。
小林 生きる理由、生きる意味……愛情という感情を超えている。「愛している」じゃ済まない相手なんですよね。
花守 画眉丸を画眉丸たらしめてくれている人、だよね。すごい!
──ちなみにそんな画眉丸の妻役を演じておられるのは、キャリアでは大先輩にあたる能登麻美子さんです。掛け合いをしてみていかがでしたか?
小林 それが実は、能登さんとは掛け合いで演じてないんですよ。
──あ、別録りだったんですか?
小林 そうです。面白いもので、能登さんとは同じ事務所ですから、スケジュールを調整しようと思えばできたんじゃないかと思うんです。あくまで僕の憶測ですけど、おそらく島と本土に分かれていて会えない2人なんだから、たとえ回想シーンといえども直接、掛け合わせないほうが面白いとスタッフさんたちが判断されたんじゃないかと。確かに別々に録ることで、会えないもどかしさとか、姿は見えないけどがんばろうという思いが芽生えたんです。コロナ禍での分散収録を逆手にとった、面白い録り方をしていただいた気分でした。
花守 そこは私も、収録方法にまで気を使って、物語を大切にしてくださってる印象を受けましたね。
小林 ちなみに僕、能登さんのこと、同じ事務所の先輩としても、1人の役者さんとしても大好きなので、「マイエンジェル」って呼んでるんですけど……。
花守 うわ!! そうなの!? 知らなかったんだけど(笑)。え、ちょ、能登さんご自身はそれを知っているの?
小林 たぶん、許容してくださっていると思います(笑)。たまたまなんですけど、この取材の直前、別作品の現場で能登さんとご一緒していたんですよ。
花守 まさか、「おはようございます、マイエンジェル」ってご挨拶を?(笑)
小林 さすがに本人には言わないよ! でも、「能登さんはマイエンジェルなんです」って別の役者さんに紹介させてもらって。
花守 ……怖いよ!!(笑)
小林 あくまで、「それくらい普段から能登さんという役者さんをすごく信頼しているし、リスペクトしてる」っていう意味だから。
花守 そっか。うん、素敵な関係だと思います。……今の言い方、心こもってた?(笑)
小林 気持ち、棒読みだったかもしれないなぁ(笑)。