1月14日に第2シーズンが始まるTVアニメ「火狩りの王」。“人体発火病原体”に侵された人類最終戦争後の世界を舞台に、懸命に生きようとする少年少女と、彼らを取り巻く人々の姿を壮大なスケールで描く。アニメでは監督を「今日から㋮王!」「SAMURAI DEEPER KYO」の西村純二、シリーズ構成・脚本を「イノセンス」「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」の押井守が担当している。
コミックナタリーでは、第2シーズンの放送・配信を記念し、物語の主軸を担う
多彩なエンタメをより自由なスタイルで
そのほかの「WOWOWオンデマンド×ナタリー」特集はこちら
取材・文 / ナカニシキュウ撮影 / 小川遼
「火狩りの王」第2シーズン 第2弾PV(120秒Ver.)
11歳の少女・灯子は、異形の獣・
道中、灯子の乗っていた回収車が巨大な白竜に襲われてしまうトラブルが発生。なんとか逃げ出した灯子は、森の民・
火狩りの間で密かに囁かれる話を灯子に聞かせ、「千年彗星〈揺るる火〉」が帰ってきたとき、世界に大きな変化が起こると告げる明楽。彼女の護衛を受けながら、灯子は引き続き首都を目指す。
一方、首都随一の富豪・
あるとき煌四は、「〈蜘蛛〉」たちが発火しない体を手に入れていることを知り、彼らが首都へ火を放つ可能性に思い至る。神族と「〈蜘蛛〉」の戦いから首都を守るため、煌四は、自らが作った兵器を使って「〈蜘蛛〉」の侵攻を止めるという計画を実行に移そうとする。
ようやく首都に到着した灯子は、灰十の家族を探し、灰十の息子であった煌四と邂逅。泣きながら謝罪する灯子に対し、煌四はかなたを送り届けてくれたことへの礼を言う。これまでに起きたことを語り合い、心を通わせる灯子と煌四。そんな2人に、隔離地区に住む木々人が、この世界の秘密を語って聞かせる。
時を同じくして、「〈蜘蛛〉」たちが炎魔を放ち、煌四が開発した兵器・雷撃砲が各地に設置されるなど、首都には戦いの気配が忍び寄っていた。さらに「〈蜘蛛〉」の本当の狙いが「〈揺るる火〉」であることも明らかに。「〈蜘蛛〉」より先に「〈揺るる火〉」を狩るためには、神族を取りまとめる姫神・
「千年彗星〈揺るる火〉」を狩り、新たな世界の統治者・火狩りの王となるのは誰なのか。運命に導かれた灯子と煌四が解き明かしていく世界の秘密、彼らが選ぶ未来とは。
インタビュー
押井守の脚本は“行間”がすごい
──1月14日より第2シーズンが放送・配信される「火狩りの王」ですが、改めておふたりはどんな魅力を持つ作品だと捉えていますか?
石毛翔弥 第1シーズンのときから西村(純二)監督もおっしゃっていたんですが、「これは、文学だ」ということが言えると思います。それぞれの登場人物の内面的な部分が非常に細かく描かれていて……セリフ回しはもちろんですけど、言葉を発していないシーンであっても、表情などから細かい心情を想像できるような描き方がされていたりとか。
久野美咲 人間関係だったり、各キャラクターの信念や行動原理がすごくリアルに描かれているんですよね。
石毛 世界観としては現実的ではない部分もあって、例えば「自然の火に近づくと人間の体は発火してしまう」というSF的な設定も混じってはいるんですけど、それがあまり突飛な印象を与えないというか。自然なことのように感じさせてしまうリアルな描写がこの作品のいいところかなと思うんですけど……(久野のほうを見て)どうですか?
久野 確かに設定だけで言うと、まず人類最終戦争後が舞台になっていて、私たちからすると想像ができないくらい果てしなく未来のお話で。しかもその世界では、私たちの生活になくてはならない身近な存在である火というものが、避けなければ生きていけないものになっているんですよね。あまりにも複雑な設定だし、本当に想像ができなくて……だから第1シーズンの収録が始まる前は、原作を読んでいても「これ、お芝居するときどうなっちゃうんだろう?」という不安もあったんです。だけど実際に収録が始まってみると、キャラクターの心情に自然と入り込めました。それは人の感情がリアルに描かれているからこそだと思うんです。
──そこはやはり、さすが押井守さんの脚本というところでしょうか。
石毛 そうかもしれませんね。心理描写とか、それを掛け合いで表現するということをすごく大切にしている脚本だなと感じていました。煌四たちの置かれている状況は現実離れしていたとしても、彼らがそこで感じていることは我々が常日頃思うようなことと大差なかったりするんですよ。なので、演じていて「この感情、どうやってしゃべればいいんだろう?」と途方に暮れるようなことはなかったと思います。
久野 押井さんの脚本って、“行間”もすごいんですよ。原作に書かれているすべての情報をアニメの脚本に落とし込むのは、物量的な意味でも難しいと思うんです。でも、原作にあるセリフや、セリフ以外の部分も含めて、すべて内包するような脚本になっていて。
──セリフの中に直接は書かれていない情報まで読み取れるようなものになっている、ということですよね。
久野 だから演じやすかったですよね、私たちも。
石毛 本当に演じやすかったですね。
「……」にも無限大の「……」がある
石毛 ただ、心情としては非常に演じやすかったんですが……声優としての技術的な意味で言うと、すごく大変でもあったなと。
久野 難しかったですよね。
石毛 現時点ですでに第2シーズンの収録もすべて終えているんですけど、最後まで大変でした(笑)。
久野 押井さんが脚本に詰め込んでくださった“行間”を、いかに私たちが具体的な形で表現できるかっていう。それが最後まで課題でもありました。
石毛 例えば、自分の整理しやすい感情でしゃべってしまうとボールド(※)に対して尺が短くなってしまったりするんですね。芝居がよければ多少の間尺は気にしなくていいと言ってもらえたとはいえ、「その言葉を発するのであれば、こういう感情でこのくらいの尺は使うはず」という想定でボールドが設定されているので、その間尺の意味をきちんと考えて演じなければならないわけです。そういう局面が多々あったんですけど、僕の技量が足らず苦労しました。
※本番用の映像ができあがっていないことが多いアフレコ現場では、キャストがセリフを言うタイミングで名前を表示。キャストはそれが出ている間に声をあてていく。
久野 そんなことないですよ!!
石毛 いやいや。声や心情も含め、ある種“戦い”ながら演じさせていただきました。
──脚本に書かれている文字数以上の情報量が常にあるから、演じる側もそれを踏まえて表現する必要があるわけですね。含みを持たせるというか、言外に物を言う的な。
石毛 逆に、しゃべらないことにも意味があったりするので。けっこう、セリフが「……」だけのときもあったりするんですけど……。
久野 それをまさに、今言おうと思ってました!(笑)
石毛 (笑)。台本に「……」と書いてあるからといって、単に息芝居を入れろということではなく、不自然というか意味がなければ無理に入れなくてもいいし、逆に何も書かれていないところに入れる場合もあったり。アニメ的な表現として記号的に入れるのではなく、ちゃんとお芝居として必要であれば入れる、ということをやっていました。
久野 「ここの『……』はどういう意味の『……』なんだろう?」と常に考えていましたね。ただ単に言葉が詰まって何を言ったらいいのかわからないのか、それとも思考を巡らせていて思い悩んでいるのか、あるいは本当は伝えたいことがあるけど言い出せずにいるのか。ひと口に「……」といっても、無限大の「……」があるんです。
石毛 形式上のものじゃないんですよね。
久野 キャラクターの心情に本当に寄り添わないと、その「……」が何を意味するのかは見えてこないんです。西村監督も音響監督の若林(和弘)さんも、私たちのお芝居を丁寧に汲み取ったうえでディレクションしてくださったので、とてもありがたかったです。
次のページ »
この世界に存在するので必死だった