「艦これ」と「はいふり」はジャンルが別
「はいふり」は初心者が入りやすいことはもちろん、中高生が観やすいものにしようということをテーマに掲げていました。気軽に入れるけど、中には熱い物語があって、どんどん入り込んでいくことができる。「ガルパン」以上にキャラクター寄りで、「ガルパン」以上に女の子同士の学園ものという路線を強く出そうとしていましたね。私に絶対お声がかからないジャンルというのがあって……それが学園日常もの(笑)。せっかく私が主導でやれるのなら、女の子たちが教室で楽しくやっている、そのわちゃわちゃ感を描きたいという気持ちもありました。
──確かに、せっかく鈴木さんに参加いただくならミリタリー要素が強いもの、SFものとかだという気がします(笑)。「はいふり」にも国土のほとんどが海に沈んでいるというSF要素がありましたが……。
あれはアイムズのプロデューサーさんから、SF要素を入れてほしいという要望があったからなんですよね。最初は日本が海に沈んでいるという設定もそうですし、“RATt”(人を凶暴化させるウイルスを媒介した小動物)とかも登場させる予定は全然なくて。
──ええっ、そうなんですか。
撃ち合いも学園の行事の一環として登場する程度のつもりだったんですが、敵は増えるし戦闘も増えるし、当初の想定とはかなり方向性が違ってしまいました。本当は教室で授業をやったり、船の動かし方を学んだり、みんなでドッジボールをして遊んだりみたいなことをやりたかった。だからOVAでやったことが、本来やりたかった「はいふり」の一面です。バトルを封印して、女の子同士のわちゃわちゃを描くという。
──なるほど。でも正直、OVAにまったく海戦のシーンがないとは思いませんでした。
その反応が一番大きかったです(笑)。スタートの経緯はどうあれ、バトルが見たいという人もいるんだなということで、今度の劇場版では女の子のわちゃわちゃもあり、戦闘もちゃんとありというものにしました。TVシリーズを作るときに後から入ってきたSF要素は極力削ぎ落として、プリミティブに女の子たちの楽しい日常と戦闘を中心に据えたものになっています。
──鈴木さんが本来「はいふり」でやりたかったことに立ち返ったと。ちなみに美少女で海ものだと、「はいふり」の立ち上げをされた頃は、すでに「艦隊これくしょん(以下、艦これ)」が一世を風靡していたかと思うのですが、そことの差別化みたいなものは意識されましたか?
まったく考えなかったです。「艦これ」は擬人化ものなので、我々からするとそもそもジャンルが違うんですよ。刀剣やら動物やら、さまざまなものをキャラクター化することで親しみやすくする、その擬人化ジャンルの中でたまたま艦船を取り上げたから萌えミリタリーと接点ができたのが「艦これ」。
──乗り込む系と擬人化系では大きな違いがあると。
そうですね、私は兵器はあくまで兵器であり、人が使ったり、乗って動かしたりする道具であるという前提でやっているので。艦船の擬人化ということでお話すると、架空戦記がまだ元気あった頃に書かれた「軍艦越後の生涯」(著・中里融司)という本がありまして。あれは軍艦には少女の姿をした“船魂”がいるという設定の作品で、当時としてはとてもエポックメイキングなものでした。あれが萌えミリタリーにおける擬人化ものの根っこになっていると思います。
ぬるい作品だと思われてもいい、ハードルは低く
──鈴木さんが作品を立ち上げるときに意識する要素ってどんなところなんでしょう。例えばファンタジーを重視するのか、リアリティを重視するのか、そういう部分のバランス取りみたいなことを考えていたのですが。
リアルよりもリアリティですね。我々はファンタジーにリアリティを持たせるのが仕事なので。要するに、プロデューサーなり監督なりが「こういう世界を作りたい」とおっしゃるのに対して、理屈をつけるのが我々の仕事。もちろん、アニメとして嘘をつくときはちゃんとつきますよ。ただ、科学理論のうえに則って兵器を動かさないと、ミリタリーとしては負けなんです。そういう意味だと、ミリタリー用語をどのくらい使うか、というのは苦労します。
──専門用語が多いと初心者がついてこられない、ということでしょうか。
ええ、私なんかは“ガチミリ”ですから、自分自身でわかってる言葉なんかはいちいち説明しないわけですよ。だけどそれだと一般の人がついてこれない。「ストライクウィッチーズ」のときは、高村(和宏)監督が「僕が理解できる用語以上は使っちゃいけない」とブレーキをかけていらしたので、我々は「この用語を使わずに、どうやってこの現象を説明しようか」と骨を折りました。「ガルパン」だと(脚本の)吉田玲子さんが、我々ミリオタが話してるのを聞いて、自分が理解した言葉しか使っていませんでしたね。
──吉田さんがクッションの役目を担われていた。
そうですね。吉田さんが自身の感覚で一度言葉を噛み砕いてくれる。場合によっては使い方が間違っていて、ミリオタにツッコまれることがあったとしても、この子たちは女子高生なんだから、多少間違っていたっていいんですよ。だから「はいふり」を立ち上げるときにも、吉田さんにはぜひ入ってもらわないと困る、という思いでした。
──なるほど、難しくならないようにというのは常に意識していらっしゃる。
言い換えるならパッと見のわかりやすさ、とっつきやすさでしょうか。ちょうど今やっている「OBSOLETE」は、我々がやろうとしていることの対極にある作品だと思っていて。女の子は出てこないし、世界観の説明も最初はやらない。とにかくストイックなカッコよさだけで魅せるというハードな内容で、どちらかというとマニア向けですよね。我々はストーリーは王道、キャラクターはかわいい女の子で、ぬるい作品だと思われてもいいから、初心者にまず見てみようと思ってもらうべくハードルを下げています。
我々ほど戦争が嫌いな人間はいませんよ
──反対に「これをやっちゃうと『はいふり』じゃない」と思うことはありますか。
やっぱり……人殺しでしょうね。これは「はいふり」に限った話ではないですが、萌えミリタリーは決して戦争ではないので。女の子が人間を相手に銃を撃つっていう行為自体も、普通は拒否感があることだと思います。なので、「はいふり」のTVシリーズはギリギリだったんですね。
──ギリギリというのは、“RATt”によって暴走した相手が、気にせずどんどん撃ってくるから。
そう、敵は思い切り撃ってくるけど、こちらは相手を沈めないように撃たなきゃいけない。片手を縛られた状態で戦闘してるようなものですよ。TVシリーズではそこがフラストレーションな部分でした。今回の劇場版では、ちゃんと思い切り撃てる相手を敵としています。誤解されがちなので言っておくと、萌えミリタリーをやっている人間は、もちろん全員とは言えないですけど、戦争には興味はないんです。兵器って技術の結晶じゃないですか。その技術がどういうものかはみんなに知らせたいし、完成しなかった未完の技術が動いたらこうなるんだよっていうのも見せたい。でもそれを使って人殺しをやる戦争は、別に見たくないんです。
──兵器にロマンは感じるけど、悪用はしたくない。
ときどき「戦争賛美だ」とか言う人もいますけど、我々ほど戦争が嫌いな人間はいませんよ。だって兵器が傷付いてしまうじゃないか、と(笑)。野球のバットだって、料理に使う包丁だって、人間に危害を加えるために使ったら危ないものじゃないですか。それと同じです。
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「ガルパン」はなぜ萌えミリタリーの金字塔となりえたか