「自分のために」と「読者のために」
──2008年から休養に入られていましたが、その頃のインタビューで、それまでは“読者の満足”を追いかけすぎていたのかもしれない、とおっしゃっていましたね。休養から戻られて、「鼻下長紳士回顧録」を始めたときは、ご自分が「こんなものを描きたい」と思っていたものを描いた、とおっしゃっていたのが印象的でした。
- 「鼻下長紳士回顧録」
- 上下巻 / 祥伝社
- ブックパスで読む
「鼻下長紳士回顧録」では、描きたいものを描いていました。花を描きたいと思ったら、セリフが読みにくくなったとしても描く。読みやすさを考えたら、あんな装飾はいらないですからね。自分さえよければいいというか……すみません(笑)。自分のために描くことを5年も許してくださったフィール・ヤング(祥伝社)さんには本当に感謝しております。これからは恩返しをさせていただきたいなと。
──それで「ハッピー・マニア」の続編を描こうと思われた?
はい、そうです。
──そのまま「鼻下長紳士回顧録」のような“自分のため”のものや、「オチビサン」のようにゆっくり描けるものを描いていくという選択肢もあったと思うのですが、再び雑誌のために、“読者の満足”のために描こうと思うようになったのはなぜなのでしょう。
もちろん体力が回復してきたのが大きいです。あとは……気が済んだんじゃないですかね(笑)。「鼻下長」は連載中もすごく楽しかったですし、単行本もすごくいい装丁で作っていただいて。そうしたら、なんかね、やり切った気持ちになったというか。10年ぐらい休んでいる間は、「オチビサン」とか「鼻下長」とか、あと着物のイラスト(「キモノガール」シリーズ)とか、1日にできる作業量が少ないのでやりたいことしかやっていないんです。私はあと1年くらいで50歳になるんですが、マンガを描けるのはたぶん……あと10年ぐらいかなと思っていて。だから、ここから先はもう滅私奉公と言いますか(笑)。
──今、「10年ぐらい休んでいる間」とおっしゃいましたが、実際には「オチビサン」と「鼻下長」を描いていたわけで、休んではいないですよね。でもご自分の中では「休んでいる」という感覚だったのですか?
- 「オチビサン」
- 1~9巻 / 朝日新聞出版
- ブックパスで読む
そうですね。特に「オチビサン」は描いているうちに入らないというか。歯を磨く、ぐらいの感覚です(笑)。
──当たり前にする行為ですよ、と……。
そうですね。丁寧な日記を書くような感じで、いつのまにか長くやらせてもらっていました。
──12年目ですね。ナゼニがオチビに言ったセリフで「今年もこういう『見てたけど知らなかったこと』を教えてくれるかい?」というのがあって。「オチビサン」の魅力はまさにそれだなと思いました。
ほかの少女マンガ家の方々って、こういう何気ない日常をストーリーに入れ込んで描くことができるのだと思うんですよ。例えば、彼の家に行ったらこんな植物があって……というような。でも私は、そういう素敵エピソードを入れ込むことが下手なんですよね。なので、それはそれで分けて、「オチビサン」みたいなもので描くことになっちゃうんです。ストーリーマンガでは、「ストーリーがこう動いている」ということに集中してしまうので。あとシゲタさんが、日常で自然と触れ合って、何か素敵なことを思うわけもないし(笑)。
──確かにそうですね(笑)。日常生活のディテールは、どの作品でもすごく丁寧に描かれていましたけれど、それとは別なんですね。
現実感のある話を描いてると、どうしても情緒からは遠くなっちゃうんですよね。うまく説明できないんですけど、「オチビサン」では「こういう気持ちになったことがあるな」とか「こういう味を思い出すな」とか、そういうことしか描いていないつもりです。
「現実の中で元気づけることができる」マンガを
──30年の間、たくさんのキャラクターを描く中で、現実世界の人たちもたくさん観察してこられたと思うのですが、どんなふうに変わってきたなと思いますか?
いろんな意味で自覚的になったんじゃないかなと思います。今は何かひとつ主張すると、それに対する反対意見がすぐに返ってきますから……それによって自覚せざるを得ない状況があるというか。それがあまり続くと、個性的で飛び抜けた変な人がいなくなる気がして。それはつまらないなと思いますね。“めちゃくちゃな人”が減っている気がします。子供のときって、もっといたような気がするんです。自由だなあ!みたいな。何その組み合わせ!みたいな面白い服を着ている人とか。今は割とみんなちゃんとしていますよね。もちろん、そういう見た目とか表面的なことだけじゃなくて、人になんて思われるだろうというようなことを常に意識して動く人が増えているんだろうな、と思いますね。
──そういった現実世界で見てきた人々を、どうやってマンガに反映していくのですか?
その時々ですね。ダイレクトにそのまま描くというのはあまりやりません。ある程度自分の中に落とし込んで、自分で解釈してから描くことがほとんどです。だから実際の人とは、違うキャラクターになる。例えばすごく変わっていて面白い人に会ったとしても、その一瞬でその人のことが全部わかるわけじゃない。キャラクターにするときは自分の中にある何かとか、記憶の中のあの人とかを、その人と併せて描いていると思います。
──以前、「現実の世界を咀嚼して、反芻して描くことで、オリジナリティが生まれる」とおっしゃっていましたが、まさにそういう感じなんですね。「監督不行届」のあとがきでは、庵野監督が安野さんの作品に対して「笑いの中に、心に深く響く言葉が詰まっている。だから読者を虚構に逃げ込むことなく、現実の中で元気づけることができていた」と書かれていて。まさにそれだ!と思ったのですが、ご自分でもそう思われますか?
- 「監督不行届」
- 全1巻 / 祥伝社
- ブックパスで読む
そういうふうになったらいいな、と思って描いているところはあります。監督が言葉にしてくれて、そうだなと感じた方たちが、そう読んでくださるようになるのは、ありがたいと思います。ただ、全身で虚構の世界に浸ることによって救われる人もいると思うので……どっちがいいとか悪いとかではないんですよ。私は、そういうものを描くタイプのマンガ家ではないし、読者としても、「マンガの世界はすごく素敵だけど、現実に帰ってきたらこんなじゃん!」というのに萎えてしまうんですよね。もちろんそうじゃない方もいっぱいいると思うので、私は、ということです。自分と同じタイプの人向けのマンガを描いているんだと思います。
今の時代、マンガ家は全員同じ場所で戦っている
──今、マンガ界が、題材、描き方、掲載媒体、広がり方なども含め、大きく変わりつつあるように思います。そういう状況を安野さんはどのように見ていらっしゃいますか。
いいことだと思います。最初はちょっと抵抗があったんですよ。例えばデジタルで、誰もが自分ですぐ公開できるということに対してとか。私くらいの世代のマンガ家は、雑誌のページをもらうまでに戦いがあって、そこで「おりゃあ! 32ページとったあ!」みたいに勝ち取って描いていたので(笑)。Webなら好きなページ数で描けるし、面白ければ読者は読んでくれる。逆に、全員同じところで戦っているとも言えますよね。長く描いているからといって優遇されることもない。もちろん読者とのコミュニケーションとか拡散の仕方が上手かどうかとか、マンガを描くのとは違うツールが必要になってくる時代だとも思いますけど。とはいえ、本当に面白かったらみんな読むし、つまらなかったら読まない。それはもう、どんな時代になってもシンプルな事実だと思いますよ。
──広がり方の違いはあっても、昔も今も、面白くなければ広がらないですもんね。
そうですよね。ただ、今の若い世代の人たちにウケている傾向のようなものはあると思うので、それを無理して追ってもしょうがないかなとは思っています。
──どういった傾向でしょう。
読むのに体力を使うようなものは好まれなくなっているのかな、と。内容的に重いものは体力を使いますし、絵の情報量が異様に多いものもそうですよね。逆にそういう絵は、イラスト集のように紙で楽しみたい、という読者さんもいるように思います。1枚でストーリー性のある絵を描かれるようなイラストレーターさんもいますよね。マンガは、1コマとか1スクロールの中の情報量が多くなりすぎると読みづらくなるんじゃないでしょうか。サーッと読んだときの、どんどん入ってくる感じのわかりやすさと、言葉の簡潔さみたいなものが大事だと私も思うので。
──それでいうと安野作品は、サーッと読めて、かつ情報量が多い。かなり贅沢なもののように思います。
そうですか? 「ハッピー・マニア」とか全然そんなことないですよ。スカスカだと思う(笑)。
──一気に読めるんですが、書き文字でストーリーとは関係のないような面白い会話があちこちに入っているので、隅々まで読まないともったいないんです。「後ハッピーマニア」でもフクちゃんのアップのコマの外に「ひたいボトックス+上下マツエク+唇ヒアル」とツッコミのような書き文字があって、楽しいですよね。
ああ、そういうことですか(笑)。そういう意味では、これからちょっと読みやすくしないといけないですね。ただ私はずっと自分と同世代……プラスマイナス10歳ぐらいの方たちに向けて描いてきたので、これからもそうできたらいいかなとは思っています。ずっと紙もののマンガを読んできたけど、デジタルでもだいぶ読みやすくなったからそろそろ読もうかなとか、読み始めているような世代の方々ですね。
──でも今日同席されているナタリーの20代の編集さんも、「ハッピー・マニア」のファンだとおっしゃっていて。
本当ですか? でも連載当時は小学生くらいですよね。
──リアルタイムではなく、大学生のときに「ハッピー・マニア」の一部のセリフがTwitterで話題になっていて、そこから読み始めたそうです。
そうでしたか。じゃあもっとTwitterでいろいろと流さないといけないですね(笑)。
──「後ハッピーマニア」の連載を機に、若い読者の方たちにも、前作までさかのぼって読んでほしいです。
はい。また読んでいただけると、ありがたいですね。
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安野モヨコが生み出した多彩なキャラクターたちを振り返り
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- 安野モヨコ(アンノモヨコ)
- 1971年3月26日東京都杉並区生まれ。1989年に別冊少女フレンドDXジュリエット(講談社)にて「まったくイカしたやつらだぜ!」でデビュー。岡崎京子のアシスタントを経て、別冊フレンド(講談社)にて「TRUMPS!」の連載を開始。著作には「ハッピーマニア」「ジェリー イン ザ メリィゴーラウンド」「花とみつばち」「さくらん」「シュガシュガルーン」「働きマン」「監督不行届」「オチビサン」「鼻下長紳士回顧録」などがある。2017年にフィール・ヤング(祥伝社)にて、「ハッピー・マニア」の続編「後ハッピーマニア」を読み切りとして発表。2019年9月に同作の本格連載をスタートさせた。
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