「メタモルフォーゼの縁側」×「凪のお暇」|「このマンガがすごい!2019」上位に揃ってランクイン つるちゃん、ミサトちゃんの「やったな俺ら!」対談

自分で自分の好きなものを否定するとかは、しなくていい

──雑談あり、マジメな話あり、今日はたっぷりお話を伺いました。ちなみに「メタモルフォーゼの縁側」のうららは、雪さんと出会うまでマンガの話をできる相手がいなかったわけですが、同じように仲間を欲しているのに孤独を抱えているような人が、おふたりのようになんでも話せる友達を作るにはどうしたらいいと思いますか。

「ずっと誰かと漫画のお話したかったの」という雪さんの言葉に「私も…」と考えるうらら。

鶴谷 まず第一に、正直に好きなものを好きって言うことじゃないですかね。それだけで、すごい繋がりやすい時代にはなったと思います。そのぶん、うららちゃんみたいにわかりやすく孤立している人より、周りに人がいるのに孤独を感じている人のほうが多いのかもしれないけど……。

コナリ 私も、好きなものをわざわざ隠すみたいなことはあんまりしないかな。エロいのとかは別だけど……。ただSNSとかだったら好きなもので繋がれるかもしれないけど、うららちゃんみたいに学校で友達が欲しいってなると……どうなのかな。

鶴谷 学校は人口が多いからね。

コナリ とくにBL好きを公言するのは難しいですよね。難しくないじゃんって思う人もいるかも知れないですけど、そんな自分の性癖をあらわにして生きられる人って多くないと思うから。なんかうららちゃんも隠してるじゃん。おうちで布団のとこにエロいやつとか。あれすごいリアル。

母親が帰ってきて、慌ててベッドの中にBLマンガを隠すうらら。

鶴谷 そりゃ性癖は隠すよ。ていうか私は隠してた、そのくらいの歳のとき。

──好きなものを否定されるかもしれない、みたいな気持ちもありますよね。

鶴谷 やっぱ最初は大声で好きなものを言うんじゃなく、恥じらったり隠したりとかしながら「もしやこの人?」みたいな相手を見つけて、お互いにちょっとチラッチラッっと目配せして、少しずつ本性を見せていって「やっぱり同士!」みたいな感じになるのがいいんじゃないですかね。なんかこう、昔で言ったら、不良の人が制服の裏の刺繍を見せるみたいな。

コナリ あの柄は……? もしや……?的な。うん、それはいいね。ワクワクする。

鶴谷 どう表現するかはその人のやり方でって思うんですけど。自分で自分の好きなものを否定するとかは、しなくていいって思います。こんなの好きだけど私ってどうなんだろう……みたいなことで悩んでいる人には、そんなこと思わなくていいよって言ってあげたいですね。

ブルボン小林 「メタモルフォーゼの縁側」「凪のお暇」評

オルタナティヴというカタカナ語が使われだしたのは九十年代だろうか。それまでのものと取って代わる、という意味合いで音楽の世界では「オルタナ系」という「括り」としても語られた。

それまでのものと違うものをだなんて、表現をする者なら当然、意識するに決まっている。でも、そんな中でも、わざわざオルタナとかなんとか「いいたくなる」ような、鮮烈な、目覚ましい表現がときに生まれる。映画ならジム・ジャームッシュだとか、小説なら大江健三郎とか。漫画なら大友克洋だろうか、高野文子だろうか。

今、そういった鮮烈さや目覚ましさで「いいたくなる」ような更新はなかなかないように思うが、それは決して、更新がなされていないということを意味しない。

『凪のお暇』と『メタモルフォーゼの縁側』は、今という同時代に描かれた、正しくオルタナティヴな二作である。二作はとても親しみやすい雰囲気で、すでに人気を得ているが、(オルタナだとは)あまり気づかれていないようだ。

三角関係(ワルい男たち!)が主人公の凪を翻弄する『凪~』と、老人の雪と女子高生のうららが共通の趣味でおずおずと友情を深める『メタモルフォーゼ~』と、作風は大きく異なるが、共通の魅力がある。

二作とも主人公が「弱者」だ。クラスの中心にいられない俯きがちの若者と、職場の人間関係に疲弊しドロップアウトするOL。さらに最初からしわしわに老いていて、道の脇を歩いている老人。彼女たちがけなげに生きる様を丁寧に、面白く、読者の共感を呼ぶように描いている。

漫画の外の、僕もそうだ。僕はクラスの人気者ではなかった(スポーツの出来ない、成績も中の下の、ボンタンでない「標準」を履く男子だ)。少しだけした就職でも、決して疎外されてはいなかったけど中心にいたわけでもない。今、自分はありがたくも友人や家族に恵まれ、仕事の上でも自分を信頼してくれる人に囲まれている。

それでも、「まるで人気者ではなかった自分」が自分のベースであるという気が、四十歳を過ぎた今でもする。職場で放ったなにかの冗談が一個だけウケたことを、今でも忘れないし、クラスの人気者になっている自分を想像したら今でも(かすかにだが)ウットリする。

『凪~』『メタモルフォーゼ~』とも、私小説的な漫画ではない、つまり、作者自身の境涯と作品の間に重なることがあるとは思わない(し、そこを確認することに意味はない)。だけど、あの弱者の気分を二人もたしかに知っている。弱者という言葉が単純すぎるとしたら、なんだろう。人生の不可逆性や、他者と自分の取り換えの効かなさを敏感に思い続けてしまう人たちとでもいうか。

だから読者は二作の主人公を「応援したくなるような」気持ちになれるわけで、そこにヒットの理由もある。だが、その心地よさだけなら従来の表現の更新にはならない。甘い共感の提供で終わらない気配が二作ともにある。

まず二作の主人公ともにメソメソしていない。屈託や、悩みや、もっと露骨に嫌なことに遭遇しても、凪はワタワタしながら、うららは表情を少ししか変えずに、それぞれちゃんと受け止めて落ち込んであがく。地味な生命力が(これも)ベースに備わっている。

そして(漫画評なのに)うまくいえないのだが、二作ともに「空間」がある。スナックを手伝うことになった凪が自転車を漕ぎながら「日が沈む時間に出勤するのって不思議」と感じ入る時間帯や、うららが一人歩く夜の街の景色とか、ドラマやキャラクターではない、彼女らを包む空気に臨場感がある。

悩みや屈託が描かれるということは当然、漫画的な「成長」とか「気づき」もこれから(もしくは今)二作ともに描かれていき、エンタメとしてのカタルシスを得られるだろうが、同時に、不可逆である人間というものの寂しさも否定せずに、包み込んでいこうとするたくましい(もとからベースに備わっているらしい)手つき。それがなんだか「新しい」。声高にでなく目覚ましくもない、でも確実な更新に思えるのだ。

ブルボン小林(ブルボンコバヤシ)
1972年生まれ。「なるべく取材せず、洞察を頼りに」がモットーのコラムニスト。主な著作にマンガ評論集「マンガホニャララ」シリーズがある。
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ふと立ち寄った書店で老婦人が手にしたのは1冊のBLコミックス。75歳にしてBLを知った老婦人と書店員の女子高生が織りなすのは穏やかで優しい、しかし心がさざめく日々でした。

コナリミサト「凪のお暇①」
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場の空気を読みすぎて、他人に合わせて無理した結果、過呼吸で倒れた大島凪。仕事も辞めて引っ越して、モラハラ彼氏からも逃げ出して、新しい日々、始めます。共感の声続々の、大島凪28歳の人生リセットコメディ!
最新5巻では、新たなバイト先で今までとはまるで違う人間関係を築き始めた凪。一方、凪への想いを引きずる元彼・慎二の前にも、かわいい後輩が現れて……? 単行本でしか読めないスピンオフも2本収録。

鶴谷香央理(ツルタニカオリ)
鶴谷香央理
1982年富山県生まれ。2007年に「おおきな台所」でデビューし、同作品で第52回ちばてつや賞準大賞を獲得する。「メタモルフォーゼの縁側」が初めての単行本。初連載作品の「don't like this」もリイド社より発売中。
コナリミサト
コナリミサト
7月22日生まれ。ファッション雑誌のCUTiE(宝島社)で「ヘチマミルク」の連載をきっかけにデビュー。既刊に「珈琲いかがでしょう」(マッグガーデン)、「恋する二日酔い」(イーストプレス)など。月刊エレガンスイブ(秋田書店)で「凪のお暇」連載中。