「D・N・ANGEL New Edition」完結&豪華版発売 杉崎ゆきるロングインタビュー 「私にとって『DN』は親友のような存在」|入野自由、石田彰、置鮎龍太郎 アニメ版キャストコメントも

恋愛感情が高まると伝説の大怪盗ダークに変身してしまう“恋愛遺伝子”を持った中学2年生の男子・丹羽大助を中心に展開するアクションラブコメディ「D・N・ANGEL」。2003年にTVアニメ化もされた同作は、長期の休載期間などをはさみながらも月刊ASUKA2021年3月号(KADOKAWA)でついに、その連載に幕を下ろした。

コミックナタリーでは、完結に合わせて刊行がスタートした豪華版となる単行本シリーズ「D・N・ANGEL New Edition」の発売を記念し、作者・杉崎ゆきるへのインタビューを実施。「親友のような存在」だと話し、20年以上の長きをともにした「D・N・ANGEL」についてはもちろん、「美術品」をテーマに装丁したという「New Edition」へのこだわりも語ってもらった。また、インタビューに加え、アニメ版のキャストである入野自由、石田彰、置鮎龍太郎からのコメントや、大ボリュームの試し読みも併せて掲載している。

取材・文 / 粕谷太智

杉崎ゆきるインタビュー

「サヨナラは、別れじゃない。」それが、最終回です

──「D・N・ANGEL」が、月刊ASUKA2021年3月号(KADOKAWA)でついに完結となりました。1997年に連載がスタートし、20年以上の年月をともにしてきた作品が完結を迎えた今のお気持ちをまずはお聞かせください。

誇らしいような、でも少し寂しいような、でもやっぱり誇らしい、そんな気持ちです。作品は作家にとってよく子供のようだと言われますが、「DN」は少し違うように感じていて、子供というよりは、親友のような、そんな感じがします。完結することは終わりじゃなくて、ひとつの集大成で、ここまで作品とともに成長をしてきたことが、そう思わせるのかもしれません。

──「親友」という表現からも、杉崎先生が長い間「D・N・ANGEL」をいかに大切に思い続けてきたのか伝わってきます。

最終話見開きイラスト。

「DN」は、プロのマンガ家になって最初に決まったオリジナル作品の連載だったんです。途中、少し離れたり、休んだりすることはあっても、頭の中にはずっと「DN」があって、引越しのたびに、一番初めに作ったラストまで書かれたプロットノートを持ち歩いてきました。とうとう最後の章が書かれたページを開いたときには、これは完結したら、ものすごく寂しいんだろうなあ、と思いました。でも気が付いたら、「DN」は自分だけの作品ではなくなっていて、ラストを意識すればするほど、ずっと「DN」を見届けてくれた読者の存在を強く感じるようになり、その声に強く後押しされてラストまで走りきれたのかなと思います。

──連載中には2度の充電期間もありました。コミックナタリーでも復活のニュース(参照:「D・N・ANGEL」復活とASUKAで予告、アニメ化もされた怪盗ラブコメ)は大きな反響があり、読者も物語の続きを待ち望んでいたのだと思います。今回、改めて物語を完結させようと思い筆を取った理由はなんだったのでしょう?

まず、応援していただいて、本当に、本当にありがとうございます。実は「DN」はたびたび連載終了という提案がありました。これまでにあった充電期間や復活、再開はそれにあたります。中には思いっきり途中の状態で止まってしまった期間もあって、読者や、作品に関わる方々に苦痛を強いてしまったのですが、でもよくわからない形で終わらせるくらいなら途中で止まってしまっている「休止」を選びました。「終わらせる」ことよりも、「正しく終わる」ことに重きを置きました。続きを読みたいという声を聞くたびに、心苦しかったです。説明をしたくても、作家のエゴであることもわかっているので、ひたすらに、待っていてくださいと思い続けていました。

──そういった経緯があったのですね。

私の中で「DN」は必ず完結させるという以外の選択肢はまったくなかったので、ずっとエンジンは切らず、むしろ温めて走り出すタイミングを測っていました。このたび、最後まで見届けるナビゲーターとして隣に座ってくれる編集者の方が現れて、ラストまで走ることを決めました。この作家のわがままに付き合ってくれ、いい形で読者に届けられるように采配をしてくれた編集者、出版社に感謝の気持ちでいっぱいです。読者の方には、本当にずうっとヤキモキさせてしまって、すみませんでした。でも、あなたがいてくれたからこそ「DN」はここまで続けることができました。ありがとうございます。

──「D・N・ANGEL」で杉崎先生のお名前を知ったというファンも数多くいるかと思います。ご自身にとっては、23年の長きをともにした同作は、どのような作品になりましたか?

「D・N・ANGEL」1巻

原点、みたいな作品でした。描くための気持ちの軸というか、料理人の一番得意とするレシピというか。私は小さい頃、マンガの中にたくさんの夢を見つけました。演劇や歌、映画などからもたくさん見つけましたが、そこにはいつも、自分の人生とは違うところにあるであろう、ものすごく夢があるのに、現実味を帯びた誰かの人生を、まるで自分のことのように感じられる世界がありました。私が表現方法として選んだのはマンガで、誰かがそうやって楽しく思ってくれるような世界を作りたくて「DN」を描きました。本気で楽しむからこそ誰かを楽しませることができる、そう気付かされた作品でもあります。そして「DN」は、本当にたくさんの人に出会わせてくれた作品でもありました。アニメにもしてもらいましたし、私が描き、読者に読んでもらう、というシンプルな枠組みから飛び出して、すごくたくさんの人に楽しんでもらえました。

──連載していたこの約20年間で、一番思い出深い出来事はなんだったでしょうか?

さすがにこれほど長いといろいろありました……。今回新装版の校正で読み返すたびに、ああ、こんなこともあったな、このときはこんなことが、といろいろ思い出されますが「DN」に関して言えば、「DN」の連載が決まったときは本当にうれしかったことを覚えています。「幕が上がる」、本当にそう思いました。そして、人生では、昨年、私の最愛の猫を亡くしました。私の人生で最初で最後の、最愛の猫です。いつもネームを仕上げると、決まってその上に乗ってネームのできあがりを確認してくれました。その姿を見るだけで、疲れがどこかへ行きました。姿を見ることはもう叶いませんが、今でもその存在に背中を押されて、この仕事を続けています。

──そうだったんですね。連載を始めたばかりの杉崎先生に今の杉崎先生が声をかけるとしたら、なんと伝えますか?

「あきらめるな」ですかねえ。とは言っても、当時の自分に声をかけるのは無駄なんじゃないかなあ、と大人になった自分は思います。

──それはなぜでしょう?

当時の自分は一切の迷いもなく、もうひたすらにまっしぐらだった気がするので。声をかけようとしたらすごいスピードで走り抜けていかれて、声かける暇なかったわー、みたいな感じがしますね。

──物語からもブレない強い芯があって、ラストへひたすら駆け抜けていくような疾走感を感じることがありました。連載を開始した当初から物語の結末は決まっていたのでしょうか?

第1話は、大助がフラれるシーンから始まる。

最初からラストまで決まっていました。「DN」は当時大型の連載作品があって、その隙間を縫ってオリジナル描いてみる?という試みで始まった3回連載の作品でした。今から思えば、1話目は明らかに3回でラストまで持っていく構成のスピード感で描かれています。1話目が掲載され、ありがたくも好評だったため連載が延長されました。道中にいろいろエピソードは増えましたが、基本のラインは最初からまったく変わっていません。ラストもそのままです。です、というか、しました。実は、今回ラストまで描くと決定して当時のプロットを読み返したとき、一切書き換えはしないと決めたんです。

──ラストを変えないと決断した決め手はなんだったのでしょうか?

今から見れば、もう少しこうすればわかりやすいのに、という、よく言えば荒削り、悪く言えば足りていない要素も多いのですが……いじれないのです。若い人がいいと信じて全力で出してくるものの説得力というか、熱量が凄まじく。それはやっぱりキラキラしていて、何よりも、それが「DN」の「答え」であることに間違いなかったので。20年以上前の自分の信念を、今の自分が全力でサポートする形が一番いいと思い、そのまま、描ききると決めました。

──20年以上前の杉崎先生が考えた物語の結末。それがついに読者の手に届きます。ネタバレにならない範囲で最終回についてお聞かせください。

「DN」は、誰もが持っている「もし、自分が〇〇だったら?」の変身願望がテーマです。そこにはもちろん成長物語も入っています。最終回は、最後までそのテーマに向き合う展開になっています。最後まで、一番近い所で、大助を見届けてほしいです。「サヨナラは、別れじゃない。」それが、最終回です。

“幕が上がるとき”のような高揚感を描きたかった

──先ほど、作品のテーマについてもお話がありましたが、この作品ができあがったきっかけ、経緯を教えてください。

昔のことですが、劇団四季の「オペラ座の怪人」を見に行ったときに、心が高揚するあの感覚のものを作りたいと思ったことを覚えています。どこか舞台的な構成なのも、そこから来ているのかもしれません。

──「D・N・ANGEL」は怪盗もの、二重人格、恋愛、敵との友情など、いつの時代でも楽しめる要素の多く入ったある意味“王道”を行く作品だからこそ長年愛されてきたように思います。

ダーク(上)と大助(下)。

「王道」……とても大好きな言葉です。私の作品にはなかなか奇抜な設定やセンセーショナルな表現がないのですが、どんなときでも、王道の圧倒的な面白さを信じている部分があります。「DN」は、夢、成長、キラキラ、変身願望、……こうして書くといろいろありますが、“幕が上がるとき”のような感覚を描きたかったんだと思います。

──それが杉崎先生の描きたかった“心が高揚する感覚”なのですね。

人生の中で何回か、あのことがなかったらこのことはなかった……というようなターニングポイントみたいなものがありますよね。恋愛でも、仕事でも、なんなら人生すべてがターニングポイントの選択の結果ですが、基本的にはそれらがワクワクするものであってほしい。当時はワクワクして、後から思い返してキラキラしていてほしい。気分が高揚するような、ダメでも背中を支えてもらえるような、さあ、始まるぞ、という感覚を「DN」を読んで感じてほしかったように思います。

──キャラクターなどの設定は初期の構想から変更はありましたか?

最初の設定では、ダークは大助と同じ年齢設定で、今のような変身ではなく、変装の延長のようなものを考えていました。当時の担当さんから、もっと年齢を上げて見た目を変えましょう、というアドバイスをもらって今の形になりました。そのアドバイスはとても重要でした。それがなければ、まったく違うものになっていたのですからね。あとは、明らかに日本が舞台なのに背景が洋風であったり、あの当時では珍しかった電子ロックキーが普通に学校に設置されていたり、ミスマッチというか、多様性というか、さまざまなバックボーンのものが入り混じっている、その当時思い描く夢のある世界も描きたかったんだと思います。

クラッドと日渡。

──大助とダークの二重の存在をはじめ、双子の梨紅と梨紗、大助と日渡、ダークとクラッドなど2つの対になる存在が物語の重要なポイントになっていますよね。これも作品立ち上げからあった設定だったのでしょうか?

意識してこうしようという決め込みはありませんでしたが、こうして質問されると確かに対になっている存在が多いですね。

──意識しての設定ではなかったのですね。確かに物語の後半でキーマンにもなるクラッドは、3巻までは登場しませんし、存在を匂わせるような展開もありません。

当時は、感覚としてわかりやすい人間関係を構成したということと、自分とは違うからこその「憧れ」を対になる存在に込めようとしました。憧れは、さまざまな感情に変化します。明るくも、暗くもなります。その対比を浮き彫りにするために、対になる存在というのは不可欠のように感じました。とはいえ、当初3回連載の予定だったため、最初の設定ではクラッドはいなかったんです。クラッドは、日渡と大助の関係が深くなったことで、生まれてきたキャラクターでした。

梨紅へ思いを伝えることに成功した次のシーン。

──「D・N・ANGEL」では、純粋無垢な大助の成長も物語を動かし、読者を楽しませてきました。主に各「STAGE」の最後には大助の成長がしっかりと感じ取れるシーンが多いように感じました。成長を描くにあたって、意識した部分はありますか?

「DN」は割と変わった連載形式で、きちんと毎月連載というより、まとまって数回掲載という連載形式でした。なので、物語として区切りのポイントがある分、成長の過程を把握できたというか、成長の段階を描きやすかったんだと思います。女子ももちろんメキメキと成長しますが、男子の朝起きたらすごい背がでかくなってた、1年したら手も足もめちゃくちゃでかくなってた、とか、そういうブレイクスルー的成長は、なんというか派手だな、と思うことがあります。

──第1部の最後で冴原に身長が伸びていることを指摘され、少し自信をつけダークに一歩近づいたことを自覚するシーンは、初めての恋人ができるという展開もあり、まさに思春期の少年の成長を感じさせました。

単行本第3巻の表紙。ロゴも杉崎が自ら考案した。

作画面でも、後半、大助とダークとの身長差をあまり開かないように作画していると、成長したなあ、とも思いますし、作中でも大助がダークに頼らず、自分でなんとかしようとする瞬間に一番成長を感じました。この辺りは、私が意識して構成することはなく、描き上げてから気付かされることが多かったです。

──タイトルロゴもご自身で考案なさったんですよね。ロゴに込めたこだわりなどあればお聞かせください。

ロゴを作るのが好きで、「ラグーンエンジン」などでも作っていました。今はロゴデザインも、自分で好きな形に製作できる時代になったので珍しくはないことかと思いますが。当時は、ロゴは本来デザイナーさんにお任せするものなのに、手描きのスケッチでロゴまで自分で作っていちいち出してくる奴はいないと担当編集に言われた気がします。採用されたので、よかったのかもしれません。もしくは変な熱量に押されたのかもしれません。ロゴは作品の顔。とっても大事なデザインだと思います。