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コミックナタリー PowerPush - サラ イネス「誰も寝てはならぬ」

祝・完結! ベールに包まれた全貌を明かす キャリア初の17000字ロングインタビュー

どんどん本流じゃないほうに行くのが好きなの

──サラさんのマンガには端々にロックの教養が垣間見えますもんね。まさか中村ハンのモデルがマイク・ラザフォード(プログレバンドの代表格、ジェネシスのベーシスト兼ギタリスト)だったとは。

サラ イネス「誰も寝てはならぬ」

ラリーファンの間では、中村ハンはWRCのスバルチームの監督がモデルじゃないかって噂がまことしやかに囁かれていて、違うんやけどな、って言いたかったんですよ。だからこの場で誤解なきように、マイク・ラザフォードがモデルでしたよ、と。

──ジェネシスとか、あの世代ですか。

イギリスのロックが好きで、プログレッシブロックからジャズ・ロックに入っていって。アラン・ホールズワースがいまだに好き。バンドだったらU.K.とかナショナル・ヘルスとか、あのあたりですね。古いですね。

──U.K.去年来ましたよね、ビル・ブラッフォードじゃなかったけど。

そうそう、確かまた来るんですよ。でも、アラン・ホールズワースとビル・ブラッフォードじゃないと私にとってU.K.じゃありません。4人そろってナンボです。

──1stアルバムの黄金メンバーですね。アラン・ホールズワース、U.K.再結成は誘われても断ったとか。変なセッションワークはいっぱいやるのに。

あの人コマーシャルな曲がダメなんです。自分で言ってましたよ、ビートルズが大嫌いでしょうがなかったって。なのにビートルズのトリビュートアルバムで「ミッシェル」を弾いてる。大嫌いだった俺がやるとどうなるか、って、目茶苦茶にして弾いてましたね。

──とてもマンガのサイトのインタビューではなくなってきました(笑)。

はは。あとブランドXとか、好きでしたね。

──わ、僕も好きです、パーシー・ジョーンズ。にしても、イギリスのバンドばっかりですね。

そうですね。もっと王道でも、デイヴィッド・カヴァデールが好きだったんで、ディープパープルもホワイトスネイクも大好きで。ジョン・サイクスも好きでしたね、中学のときはいまで言うヘヴィメタね、レインボーとかも行ってましたよ。ただ、どんどん本流じゃないほうに行くのが好きなので、ボンジョビなんて出てきたときはボロクソに言ってましたね。

母親が着道楽の人だったのを見て育ってるので

──これキリないんで、音楽の話、切り上げましょう(笑)。サラさんのマンガに出てくる豆な知識というと、いちばんがラリー、これはあとで伺うとして、ロックの次はファッションかと思うんですが。

バブル世代ですから(笑)。ただバブル世代だけど、DCブランドが好きだったというわけじゃないんです。うちの母親が着道楽の人だったので、いまみたいにウワーッってなってなかった頃の、70年代のシャネルとかサンローランとかセリーヌとかを買って着てたんです。当時のブランドは気合いが入っていて、一体どうやって織ったんだろうと不思議に思える手が込んだ生地とか。いまはどこもね、バッグを持てばそれでいいみたいになっちゃってますけど。

──そうですね、ハイブランドのバッグを持ってる人はいくらでもいるけど、そこのアパレルを着ている人は少ないです。昔はもっと少なかったんでしょうけど。

サラ イネス「誰も寝てはならぬ」

その頃はブランドもバッグよりもまず服ありきだったんですよ。服を上から下までひとつのブランドで固めても、バッグはサンモトヤマさんあたりに自分のセンスで買いに行っていたように思います。そういう母や母の友だちを見て育ってるので、生き方も含めて、ブランドのバックだけに振り回されない、かっこいい大人の女性をマンガでは描きたいというのはありますね。

──お好きだったブランドは?

シャネル好きでしたね、あの頃のね。シャネルとサンローランは好きだったけど、私はそんなガラではなかったので、どっちかというとロックっぽい格好してましたね。今でもそんな格好が好きです。

──あの頃のサンローランいいですよね。いま古着ですごい値段が付いてるのあります。

高いのありますよね。帰ったときに母親に、絶対に人にやったり売ったりするなよ、って言ってるんです。売るくらいならもらって帰るから、って。

──お母様が洒脱な方だったんですね。

割と。そうですね、だいぶ年とりましたが、服の話するときだけはシャンとするんですよ。だから実家に住んでた頃、「そない汚い格好しとらんともっときれいな格好しなさい」みたいな感じでお金をかけてくれたところもあったんです。まあ関西ですから。

──それは聞き入れていたんですか。

私も結婚の適齢期だったから、そうせなイカンのかと思って、ちゃんとこう、カチューシャつけて、リボンつけて、みたいなことしてたこともあるんですよ。見合いも1度だけさせられたこともあるんです(笑)。1回だけね、お医者さんと。いま思ったら行っといたらよかったなって、思うんですけど(笑)。

「大阪豆ゴハン」はラジオで培った蓄積だけで描いてた

──どうして行かなかったんですか。

なんでしょうね、ブラブラしてたかったんでしょうか。私が大学卒業するときはまだバブルって感じじゃなくて、円高不況だかで、ましてや4年制の美術大学なんか出たって誰も雇ってくれないんです。それで卒業してしばらくブラブラしてたんですよ。家に仕事せんやつが1人おっても飼っとけるような、ええ時代だったんです。

──じゃあ美大出て、いまで言うニートで。

そうそう、毎日毎日、大阪行って、吉本が潰れかけていた頃のガラガラの劇場で、新喜劇いつも見てて。うめだ花月ガラガラやったんですよ。あと、あの頃のアメ村に行って、道行く人の写真撮ったり、気楽でしたよ、ホンマ。

──お笑いお好きなんですね。

最近の吉本はあんまり見ませんけど、でも大好きですね。子供の頃は吉本の番組見てると、母に怒られたもんです。「そんな人そこらにホンマにおるから、見る必要ないやろ!」って。

──おかしなオッサンなんか町なかにいくらでもいるのにわざわざ観ることないでしょ、って。

いたからね、またそういう人が(笑)。子供のときテレビでやってた吉本の番組って、ほんとにね、品の悪いのが多かったんです。だけどそれはうちらくらいの大阪の子らの、こっちの子で言うドリフみて怒られるのと一緒で、根底にある、お笑いの基礎になってるとは思うんですね。

サラ イネス「誰も寝てはならぬ」

──サラさんのマンガは基本、会話劇ですので、会話のテンポ感みたいのはすごくキモになっていると思います。

あとAMラジオが好きでしたね、大阪の。板東英二さんが月~金の帯でやってらしたんですけど、阪神ファンの月亭八方さんがゲストで出てきて、ずっとケンカしてたり。おふたりとも借金で首が回らなくて、八方さんなんて「借金ついでにSOSて名前のスナック出したわ」とか、ちょっと鬼気迫るような放送をやってらしたんですよ。

──板東さんってことは昼の番組ですよね。

そうそうそう、1日どこも行かずに。私1年浪人してるんで、浪人の頃から、出された絵の課題とかをラジオずっとかけながら、昼間から制作してました。まだビッグになる前のさんまとか紳助が出てきて、そういう番組いっぱいあったんです。

サラ イネス「誰も寝てはならぬ」

──けっこう内容覚えてらっしゃったりしますか。

残ってますね。だから「大阪豆ゴハン」なんかは、ラジオで培った蓄積だけで描いてたようなところありますよ。あと家での母親との会話とか。大阪ですからね、さっきも言ったけど、上沼恵美子くらいにしゃべれるおばちゃんはそこらにいっぱいいるんですよ、ほんとに。

サラ イネス「誰も寝てはならぬ(17)」 / 2012年1月23日発売 / 570円(税込) / 講談社 / Amazon.co.jpへ

  • サラ イネス「誰も寝てはならぬ(17)」表紙画像
あらすじ

イラストレーターのハルキちゃんと、デザイン事務所社長のゴロちゃん。エエ年こいた大阪男が、東京は赤坂のオフィス「寺」を舞台に、愉快な仲間たちと繰り広げるボケ&ツッコミの応酬!? どこまでも続くゆる~い空気に、アナタも身を任せてみませんか?

サラ イネス(さら いねす)

オートスポーツ(三栄書房)の読者ページに投稿していたイラストが編集者の目に留まり、イラストレーターとして活動を開始。1989年、サラ・イイネス名義でモーニングパーティ増刊(講談社)にて連載開始した「水玉生活」でデビュー。続いてモーニング(講談社)で「大阪豆ゴハン」を1992年から1998年まで連載した。スクリーントーンを使わない手描きにこだわった独特の作画と、ありふれた日常を描く感性に定評がある。その後モーニングにて「誰も寝てはならぬ」を8年連載し、2011年12月に完結した。現在は次回作に向けて準備中。