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コミックナタリー PowerPush - サラ イネス「誰も寝てはならぬ」

祝・完結! ベールに包まれた全貌を明かす キャリア初の17000字ロングインタビュー

サラ イネス「誰も寝てはならぬ」の17巻が発売された。モーニング(講談社)での丸8年にわたる連載が、フィナーレを迎えた最終巻だ。
このタイミングを逃してなるものかと、コミックナタリーは休養期間に入ったサラ イネスをキャッチし、インタビューを敢行。増刊でのデビュー以来20年以上をモーニングの第1線で過ごしながら、あまりに謎の多い彼女の人となりに迫った。

取材・文 / 唐木 元

──「誰も寝てはならぬ」完結、おめでとうございます。単行本にして17巻、年月にして丸8年という、長い作品になりました。

ありがとうございます。そうですねー、なるべく作中では時間軸が流れないようにしてたんで、そんなに長かったかな、と。

──完結を迎えての、ファンへのメッセージを最初に伺ってしまいましょう。

やー、ひと言「よく付いてきてくださった」と、それだけですね、ほんとに。よく飽きずに支えていただいたな、と。

──きょうはそんなファンのために、なるべく長く、洗いざらい(笑)、サラさんの人となりについて伺えればと思っています。念のためあらかじめ申し上げておきますと、サラ イネスさん、女性です。ではご出身と来歴などから。

「アンタしか言わへんテ、そんな言い方」

生まれは大阪の高槻です。でも10歳ぐらいのときに宝塚市に引っ越したんで、それからはずっともう、東京に来るまで宝塚。いま実家は私が知らないうちに引っ越してしまって(笑)、神戸の市内にあるんですけど。

──宝塚ですか。前作「大阪豆ゴハン」が大阪のキタの話だったので、勝手にあの辺りのご出身かと思い込んでいました。

ははは。ただ、うちの母親はほんとに大阪のキタの生まれで、おばあちゃんなんかの家は、あの、大阪の高麗橋の吉兆ありますでしょう。あそこから大阪ガスビルのへん、あの辺りやったと聞いています。

サラ イネス「誰も寝てはならぬ」

──じゃあ、そこがまさに「大阪豆ゴハン」の世界なんですね。

ええ、中央区のあの辺りで生まれ育った人なんで、言葉とかそういうのは、古い大阪弁をいまだに母親から聞いてて。

──古い大阪弁というのは、細かい解像度で言うと、何弁になるんでしょう。

なんでしょうね、船場の言葉はもう、私らも聞いたことない言葉とかありますよ。ほんと、細かいの、いっぱい。関西の言葉って「来ない」って言葉ひとつでも「きいひん」「きやへん」「こえへん」とかって、微妙に場所によって違うもので。私が大阪から宝塚の小学校に転校したとき、地元の宝塚の子らがいっぱいてるところで、私が「何々しはる」って言ったらすごい笑われた。

──えっ、宝塚ではなんて言うんですか。

「何々しとうで」でしょうね。「ゆうとうで」とか「しとうで」とか。私がお母ちゃんから聞いていた大阪弁はもっと優しい言葉で、子供ごころに神戸って意外と言葉がキツイなと思いました。宝塚から西側は。「『しはる』ってアンタらしいな、アンタしか言わへんテ、そんな言い方。ぷっ」て笑われて。

イラストレーター志望は「性格上の問題」

──美大に行かれていたそうですが、最初からマンガ家になるつもりだったんですか?

私は美術学部でデザイン学科だったんです。同級生には、りぼんで描いてたおーなり由子さんがいたり、私と同じデザイン学科にはヤンマガにいたイダタツヒコさんがいたんですよ。彼は専門課程では第1クラスっていう、広告業界に行きたくてコムデギャルソン着てるような子たちのクラスに行っちゃって、ちょっと気取った子らの間でひとりだけ、むしろ普通すぎて浮いてた子なんです。確か在学中にデビューしたんじゃないかな。

──そんなマンガ家さんも同窓にいつつ、当時のサラさんはデザイナー志望だったんですか。

イラストレーターになりたかったんです。なんとなくPARCOの広告の山口はるみさんや資生堂の村井和章さんに憧れてましたね。絵は子供の頃から好きだったんです。小学校ぐらいまではマンガ家になりたいなって、どこの子供でも思いますやん、ちょっと絵が描けたら(笑)。ところが中学に上がったくらいから、マンガ家になるにはストーリーを考えなきゃアカンと気付く(笑)。

──絵だけ描いててもマンガにならない、と。

ところが私、話のセンスがないんですよ。一条ゆかりさんとか好きでああいうマンガが描きたかったんですけど、やっぱりあれは話がちゃんとできてないと。それに私は仮に話を考えても、そのストーリーをずっと追って描いていくというのができないんです、いまだに。「誰も寝てはならぬ」で夏場、ヤーマダ君とハルキちゃんがお寺に行く話あるでしょ。

サラ イネス「誰も寝てはならぬ」

──はい。ハルキちゃんのお爺さんの画業を手伝いに行く設定ですね。

あれ、続きもののストーリーとして描き始めたのに、いざ続く話を描こうとしたら、もう飽きちゃって前に進めなかったんですよ。描くの嫌で嫌で(笑)。

──ははは、それはもう性格上の問題ですね。

そうです、性格上の問題。そんなわけだから、デザイン学科に行ってイラストレーターになろうとしたんですけど、当たり前だけどイラストレーターって相当絵が上手やないとダメなんですよ。画家の山口晃さんっておられるじゃないですか、モーニングでも表紙を描かれたことがある。あんな作品を描きたかったんですよ。今でも描きたいですけどね(笑)。

ミュージック・ライフとかを買うようになったんで

──デザイン学科で絵の基礎を勉強されたんですね。

私が専攻した先生が変わってて、専門ばっかりになったらいかんからというので、日本式の和版画の制作とか、本の編集みたいなこととかも多少、写真撮ってとか、なんやらかんやらやらされて……。

サラ イネス「誰も寝てはならぬ」

──なんだかオフィス寺(「誰も寝てはならぬ」の舞台となるデザイン事務所)の仕事内容みたいです。

いろいろやらされたのは愉しかったですよ、役に立たないことばかりで中身はぜんぜん覚えてないですけどね(笑)。で結局、学生なりに精進したつもりでしたけど、好きやったアントニオ・ロペスのような絵は描けず、それでも私はやっぱりイラストレーションで食べていきたいな、絵が描ける仕事だったら何でも……と思っていたところに、オートスポーツってモータースポーツの雑誌で拾ってもらって、現在に至る、みたいな。

──いやいやいや、飛び過ぎです(笑)。ちなみに小学生のときは、どんなマンガを読まれていました?

子供の頃は赤塚不二夫さんとかね……、手塚治虫さんはちょっと自分には良い子すぎる印象もあって。

──赤塚マンガだと作品は何ですか?

「もーれつア太郎」とか「おそ松くん」とか、あの辺です。石ノ森章太郎さんも好きでしたね。ちょっと悲しい話の「人造人間キカイダー」とか「宮本武蔵」。

──ずいぶんと男の子ですね。

少女マンガが好きじゃなかったんですよ。一条ゆかりさんも読んでたのは昔の「デザイナー」とかあんなんで……、少女マンガはほとんど読みませんでしたね。唯一、萩尾望都さんが好きだったかな。「ポーの一族」とかね、あのへんは好きでした。私、講談社系の少女マンガってちょっと苦手やったんですよ。どっちかって言うと集英社の別マとか、あと白泉社の花ゆめはいくらか読んでたような。中学校になってからは読まなくなりましたけどね。

──それはどうしてですか。

ロックのほうが好きになってしまったので。ミュージック・ライフとか音楽専科とかを買うようになったんで、ええ。

サラ イネス「誰も寝てはならぬ(17)」 / 2012年1月23日発売 / 570円(税込) / 講談社 / Amazon.co.jpへ

  • サラ イネス「誰も寝てはならぬ(17)」表紙画像
あらすじ

イラストレーターのハルキちゃんと、デザイン事務所社長のゴロちゃん。エエ年こいた大阪男が、東京は赤坂のオフィス「寺」を舞台に、愉快な仲間たちと繰り広げるボケ&ツッコミの応酬!? どこまでも続くゆる~い空気に、アナタも身を任せてみませんか?

サラ イネス(さら いねす)

オートスポーツ(三栄書房)の読者ページに投稿していたイラストが編集者の目に留まり、イラストレーターとして活動を開始。1989年、サラ・イイネス名義でモーニングパーティ増刊(講談社)にて連載開始した「水玉生活」でデビュー。続いてモーニング(講談社)で「大阪豆ゴハン」を1992年から1998年まで連載した。スクリーントーンを使わない手描きにこだわった独特の作画と、ありふれた日常を描く感性に定評がある。その後モーニングにて「誰も寝てはならぬ」を8年連載し、2011年12月に完結した。現在は次回作に向けて準備中。