劇場版限りのヒロインだからこそ描ける最高の物語に
──ここからは映画をすでに鑑賞した人に向けて、ネタバレを含めたお話を聞かせてください。本作のモチーフになったというアルテミスとオリオンの神話は、オリオンの死という悲劇的な結末を迎える話ですが、そのことも本作の物語に影響したのでしょうか?
アルテミスとオリオンの神話って、アルテミスが騙されて矢でオリオンを射貫いてしまうか、サソリがオリオンの足に毒針を突き刺して殺してしまうという話で、悲劇というよりは、ある意味シニカルな喜劇。これを美しい物語にするためにどうすればいいかを考えたとき、この配役を逆にしようと思ったんです。つまり、オリオンが目的のためにアルテミスを射殺すという形にしたら、それが自分の中でかっちりとハマってしまって。だから、アルテミスにはすごく悪いことをしてしまったなと……。
──その瞬間、アルテミスの運命が決まってしまった。
そうなりますね。劇場版オリジナルのヒロインって、どうしても本編というか原作には出しにくくなってしまうものでもあるので……。だから殺してしまおう、という意味では決してないのですが、劇場版1本限りのヒロインだからこそ描ける最高の物語にしたいという気持ちもあって。アルテミスの美しい物語の中に「別離」という要素を入れることが、ある意味、自分の中では決まっていることでした。そして、その「別離」に引っ張られて、ベルやヘスティアも普段は見せないような感情を出してくれたのかなと。切ない物語ではあるのですが、最後はベルと再会の約束をするという形で希望も描くこともできたし、監督のコンテやキャストの皆さんのお芝居のおかげもあって、着地点はすごく美しいものになったと思います。オリオン(ベル)が射貫くことで、アルテミスを殺すのではなく、救うという、自分が書きたかった話に着地できたのかなと。
──インタビュー前編では、ある設定のせいで、最初はアルテミスのキャラクター性が見えづらかったとおっしゃっていました。それは、どのような意味だったのでしょうか?
女傑で高潔だったアルテミスが、恋愛を知らない少女のようになっていて、以前の姿を知っているヘスティアたちをうろたえさせる。その設定が最初はうまく噛み合わなかったんです。それも当然で、映画を観てくださるお客さんは以前のアルテミスを知らないわけですよね。だから最初は、その変化を魅力のひとつとして生かせなかったんです。最初のうちは、数あるヒロインの中でも特に書きにくかったキャラクターかもしれません。言わせたいセリフなどは全部決まっていたのですが、それを表現することが難しかったです。
ヘスティアは水瀬さんに乗っ取られたと思っている
──本作ではベル、ヘスティア、アルテミスの三角関係がうまく機能したとおっしゃっていましたが、ヘスティアが普段よりも少し大人というか、より女神らしい面を見せていたことも、その要因なのかなと感じました。
おっしゃるとおり、いつものわちゃわちゃして元気なヘスティアの出番は開始15分くらいで終わっていて。神様であり、アルテミスの友人である立場のヘスティアとして描写した瞬間、うまくハマりました。自分が最初に書いた脚本では、ヘスティアの役割は、アルテミスの悲しい運命を悟って立ち上がれないベルの背中を押してあげることに集約させていたんです。でも、監督やスタッフさんから意見やヒントをいただいて、ベルが知らないところでヘスティアはアルテミスと思い出話に花を咲かせ、そこからアルテミスの真実に気付きはじめるという感情の変化を丁寧に追ったことでストーリーにも深みが出たし、ベルを決断させる説得力も強くなりました。
──ベルはアンタレスに取り込まれたアルテミスの姿を見て真実を知り、激しく動揺しますが、ヘスティアはそこに至る過程で、すでに決心をしていたわけですね。
そうですね。もしかしたら、ベルだけでは背負いきれなかったものをヘスティアが肩代わりして、ずっと背負ってくれていたのかもしれません。
──そういった今まであまり観られなかった一面を見せながらも、ヘスティアがヘスティアであることは全然ぶれてないとも感じました。そこはやはり水瀬さんのお芝居の力も大きかったのでしょうか?
これは、いつか水瀬さんに直接伝えたいと思いつつ、恥ずかしくて言えてないことなんですけれど。自分は、ヘスティアというキャラクターは水瀬さんに乗っ取られたと思っていて(笑)。今回も「また、してやられた」と言うのは変なのですが、原作者であり脚本担当として、まさにそんな気持ちで「水瀬さん、さすがです」と思いました。最近は、小説の原稿を書いていても、ヘスティアのセリフは水瀬さんの声で再生されるんです。たまに、「あ、これだとヘスティアじゃなくて、ただの水瀬さんだ!」と気付いて、修正することもあるんですよ(笑)。それくらい、ヘスティアは水瀬さんのものになっている……と言うと、ヘスティアにも、ほかの演者さんにも失礼かもしれないのですが。ヘスティアは、水瀬さんが演じてくださったおかげで、原作よりも魅力的なキャラクターとなって今ここにいる、くらいに思っています。
ヘルメスが自分の気持ちの代弁者になってくれたのかな
──注目してほしいキャラクターとしてヘルメスの名前を挙げられていましたが、たしかに物語のキーマンだと思います。原作読者の1人としては、今回、ヘルメスの言動に何も裏がなかったことに驚きました(笑)。
原作での彼はトリックスター的ではあるものの、私情を一切挟んでないんです。自分がなさねばならない目標のためには、泥も浴びるし、毒も吐くし、善人にもなるというキャラクターで。でも、今回のヘルメスは、天界時代からの旧友であるアルテミスが置かれた状況と運命を最初に知ってしまった身として、彼女のために初めてエゴを出したのだと思うんですよ。「ヘルメスがアルテミスを救ってほしいという自分のエゴを貫き通すために、ベルを導いてきた」ぐらいの感覚で書いています。
──クライマックスでヘルメスがつぶやく「これは女神を殺す『物語』じゃない」「これは、君が泣いている女の子を救ってあげる『物語』だ」というセリフは、この作品を一言で表していて非常に印象的でした。
自分は原作者として物語上の神を気取っているわけではないし、そんなことは絶対したくないのですが、あのセリフについては、ヘルメスが自分の気持ちの代弁者になってくれたのかなとも思ってしまいました。先ほどお話ししたように、最初のプロットがボツになった後、「尺がないからシンプルなことをするしかない。そうだ! 主人公がヒロインを救う物語だ!」と思ったところから始まっているお話なので。根幹にあるその思いがヘルメスに伝わって、しゃべってくれたように感じてしまったんです。それくらい、まさに自分の言いたかったセリフではあります。
──このセリフは脚本作業の早い段階から存在していたのでしょうか? それとも、稿を重ねる中で生まれたものですか?
早い段階からありました。今、お話ししていて気付いたのですが、最初に脚本を書いたとき、ヘスティアの出番が少なかったのも、今回のヘルメスがストーリーテラーであり、狂言回しであり、裏主人公でもあったからなんです。もしかしたら最初は、ベルとアルテミスとヘルメスのトライアングルで、このお話を書こうとしていたのかも。すごく乱暴な言い方をしてしまうと、この3人がいてくれたら成り立つ話でもあるので。もちろん、ヘスティアも重要ではあったのですが、最初の段階ではベルの背中を押す加速装置であり、観てくださっている皆さんの感情を煽る着火装置でしかなかった。だから、自分の中で特に思い入れがあるセリフを言うのは、ベル、アルテミス、ヘルメスに集中している傾向があるんです。
──ヘルメスのセリフの前後では、アルテミスだけでなく、ヘスティアも涙を流しながら「アルテミスを救ってやってくれ」と叫びます。結果、英雄を目指すベルが「2人の泣いている子を救う物語」となりましたね。
確かに、ヘスティアとアルテミスの涙は重なっていましたね。でも、ヘスティアの涙がベルを加速させてくれましたが、それは自分が狙ったというより、自分の手を離れたところで、キャラクター自身が泣いたのだと思います。振り返ってみれば、今回、一番自分の手を離れて動いたのはヘスティアだったのかもしれません。とてもうれしいことです。あとは繰り返しますが、さすが水瀬さんという感じですね(笑)。
ベルたちが竜に乗って飛んでいるシーンを観たかった
──この作品では、本編の舞台であるオラリオのダンジョンではなく、外の世界がメインの舞台となっています。そこは本編の展開との兼ね合いだったのでしょうか? それとも、新しい舞台を描きたいというお気持ちがあったのでしょうか?
もちろん、今おっしゃられたことは両方当てはまるのですが、ダンジョンの未開拓領域に行くといった設定を出すこと自体は簡単にできたんです。でも、ちょっと代わり映えしないな、と感じたので「劇場版らしくオリジナルの舞台を出したい」とスタッフさんに相談したら、同意してくださったんですよ。それに、この機会に「ダンまち」という作品の世界観を一気に広げたいという意図もあって、オラリオの外に行くという展開にさせていただきました。劇場版という特別な機会ですし、どうせならベルたちの視点で大冒険に行きたかったんです。ちなみに、(移動のために乗る)飛竜という存在も劇場版ならではの特殊アイテム的な感覚で書いています。というのも、飛竜に乗って移動するという設定は、原作の設定を無視しているところがあって。でも、自分は「ドラえもん」の映画が好きなので、ベルたちが竜に乗って飛んでいるシーンを観たかったんですよね(笑)。
──仲間と一緒に竜の背中に乗って飛ぶ姿は、確かに映画「ドラえもん」のようなイメージです。ちなみに、飛龍の設定はどういう点で原作設定から外れているのでしょうか。
ガネーシャたちのテイム(調教)の能力も、そこまで万能ではない、という感じですね。矛盾した設定を力技でごまかしています。
──ヘスティア・ファミリアとヘルメス・ファミリアが、アルテミスと一緒にオラリオの外の遺跡へ向かう一方で、ロキ・ファミリアたちはオラリオに残り、そこでの戦闘も描かれます。まさにオールスタームービーとなっていますが、これも最初からあった構想なのでしょうか?
ボツになった最初のプロットがヘスティア・ファミリアとロキ・ファミリアが共闘する話だったので、その名残があってロキ・ファミリアを出したという要素ももちろんあります。ただ、今の話になったとき、ロキ・ファミリアを出す予定は一切なかったんです。当初の尺は70分だったので、「遺跡に行って、オラリオの外に出て、ヒロインを助ける」くらいしかできないと思って、最初に提出した脚本はそれだけの話でした。そうしたら、スタッフさんたちが「大森さん、この脚本、30分くらいしか尺がないですよ……」って(笑)。
──全然、短かったのですね(笑)。
「大森さん、ビビりすぎですよ」って(笑)。それで、「僕たちを信頼して、大森さんのやりたいことをぶつけてきて」と言ってくださったんです。だから、その言葉に応えようと思って、自分の気持ちの赴くままにやりたいことを詰め込みました。最初の脚本では、本当にヒロインを助けるだけで、世界の命運をかけるような話ではなかったのですが、劇場版らしく物語をスケールアップして、同時にロキ・ファミリアたちがオラリオで戦うパートも加えました。そうしたら、その脚本を読んだスタッフさんが「これは70分ではなく、80分でやりましょう」と提案してくださったんです。製作委員会の中でもいろいろな大人の事情はあったと思うのですが、脚本を読んだ瞬間にそう言ってくださったことが本当にうれしくて、すごく光栄でした。物語の“熱”が色々な人を突き動かしてくれた、という事実は物書きにとってなんだったら一番うれしいことのはずで、感激してしまうくらい自分の自信にもなりました。とにかく、そういう背景があったからこそ、いろいろなキャラクターが活躍するファンムービーに仕上がったんです。
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劇場版の前に、世界の根幹を揺るがすことが起きていた