「バクちゃん」は、バクの星から地球へとやって来た宇宙人・バクちゃんを描いた物語。かわいらしい絵柄や、お気楽なバクちゃんと心優しい隣人たちのクスリと笑える会話からはポップな印象を受けるが、作中に登場する移民たちが抱えるシリアスな悩みは現実の社会問題にも通ずるところがある“すこし不思議ですこしリアル”が魅力の作品だ。
コミックナタリーでは、日本からの移民という視点でベルリンの街とそこに住む人々の生活を描くエッセイ作品「ベルリンうわの空」の作者・香山哲と、「バクちゃん」の作者・増村十七による対談を企画。同じ移民として香山は「バクちゃん」への共感を語り、増村も「心のクウェート」「香山哲のファウスト」などの香山作品にリスペクトを贈りその魅力を語った。
取材・文 / 小林聖
夢が枯渇してしまった故郷・バクの星を離れ、地球へとやって来た移民のバクちゃん。できればいい仕事を見つけて永住したいと思っているけれど、審査が通らず銀行口座は作れない、銀行口座がないから携帯電話も契約できない、携帯がないと仕事も探せない! 移民に厳しい社会構造に苦戦しつつ、地球人の女の子・ハナちゃんをはじめとした親切な人々との出会いに恵まれ、なんとかここでやっていけそう……? 第21回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞受賞──宇宙からの移民の視点で地球の、日本の、東京の暮らしを描く“すこし不思議ですこしリアル”な物語。
「バクちゃん」はずっとリラックスして読める作品
──「バクちゃん」はバクの星から地球へとやってきた移民の宇宙人・バクちゃんのお話で、「ベルリンうわの空」は日本からドイツのベルリンへと移住した香山哲さんご本人のことを描かれたエッセイです。共通のテーマを持ちつつ、パッと見では割とタイプが違う作品かとも思いますが、おふたりはお互いの作品をどういうきっかけで知りましたか?
増村十七 「ベルリンうわの空」シリーズは書店やネットでも話題になっていたので以前から知っていて、自然に手に取っていました。香山さんのように長期ではないですが、私もドイツに2回ほど滞在していたことがあるので、「わかる!」と感じるところがいろいろあってより楽しめました。
香山哲 ドイツにはどれくらいいたんですか?
増村 1度目は2週間、2度目は1カ月ほどです。海外経験だとカナダのほうが長くて約2年ほど住んでいました。このカナダ滞在中に個人で描いたのが「バクちゃん」のオリジナル版で、これがもとになってビームで連載をすることになりました。
香山 僕は実はあまりマンガを読まないんですが、「バクちゃん」は第1巻が発売されたときに日本の友達に教えてもらって読みました。バクちゃんってSFがベースというか、近未来描写がのどかですよね。ディストピア的な世界観でもなく、USBデバイスからシャボン玉(のモニター)が出たりとか、どうでもいいといえばどうでもいいところにテクノロジーが使われている(笑)。ストーリーとは関係ないところでそういう要素が出てきて、重い描写なんかで感じるストレスが積み下ろされるというか、ずっとリラックスして読めるんですよね。
増村 そういう部分は意識していたかもしれないです。バクちゃんをはじめ、移民のキャラクターが動物の姿なのも、話がシリアスになりすぎるのを緩和する役割もあったりします。お話でいうと、入国審査のシーンなんかも苦労しました。
──第1話の冒頭で描かれるシーンですね。地球にやってきたバクちゃんが、滑り台のようなトンネルを落ちながら次々と入国審査の質問を受けるという、印象的な場面です。
増村 オリジナル版はすでにバクちゃんが地球で暮らしているところからはじまっているんですが、連載版ではせっかくなので入国からはじめることにしたんです。でも、この入国審査の場面をどう表現するかで詰まってしまって、結局ネームが通るまで半年くらいかかっちゃいました。ほかのアイデアとしては、ギュウギュウのところに詰め込まれて、部屋で詰問されるみたいなものも考えましたが、マンガとしてキツすぎるじゃないですか。だから、上から下にシューッと滑り落ちていくという、ビジュアル的にも楽しさのある表現に行き着いて、ようやく形になりました。特に1巻は手続き的な部分も多いので、こういうフィクション的な要素を多くしています。
香山 わかります。「ベルリンうわの空」にしても、移住した人や、移住を考えてる人だけが読むわけではないですから、過度に怖がらせてもしょうがないというか。「真実を伝えたい」みたいに思って描いているわけではないし。
増村 そうなんですよね。「バクちゃん」も読んだ方にいろんな感想をいただいて、移民というテーマについて真面目に受け取ってもらうことも多いんです。それはもちろんすごくうれしいんですが、一方でまず第一に娯楽として作りたいという気持ちもあったので、とにかく30分なり1時間なり、読んでいる間は楽しい気持ちになってもらえたらな、と思って描いていました。
香山 まず最後まで読んでもらわないといけないですからね(笑)。
移民の話を、泣ける話として描く「そんなことしていいんだろうか」。
増村 香山さんの作品も現実にフィクション的な要素を取り入れていますよね。似た部分があるのかなと思っています。
──「ベルリンうわの空」は香山さん自身のドイツでの生活を描くノンフィクション的な作品ですが、人間だけでなく、動物がモチーフになった人たちも出てきたりしますよね。
香山 僕の場合は「どうせ全部は伝わらないんだよ」ということを伝えたくてやっているところがあるんですよね。ものすごく現実的に描こうとしても、僕自身も描ききれないし、読者の方も描いたもの全部まるごと受け取れるわけではないじゃないですか。どうやっても僕が見たもの全部を伝えることはできない。どうせ全部は伝わらないなら、伝えたいところを誇張して描こうとか、伝える必要のないところは省いていこうとか考えていった結果、ああいう形になったという感じです。
増村 香山さんの作品はその割り切りがすごくいいですよね。町並みなんかも、ドイツ語の表記もあれば、看板の文字を日本語にしているところもあったり。伝え方というのは私もすごく考えたりします。例えば、「バクちゃん」でも泣かせようと思って演出したエピソードに対して「泣きました」って感想をいただくことがあるんですね。それはもちろんマンガとして大成功だし、すごくうれしいんですが、そういう感想をいただいたときにふと「ヤバいかもな」って思ったりもしたんです。
──え、どうしてですか?
増村 私は日本にいる日本人で、読んでくれる人も多くは日本にいる日本人なわけです。そういう中で、移民っていう弱い立場の人を使って「泣かせよう」という形で話を作って、狙い通りに感動してもらったとき「そんなことしていいんだろうか」って考えてしまった。読む側としても泣くとそれでスッキリもするし、気持ちが一段落しちゃうじゃないですか。でも、香山さんがおっしゃった通り伝えきれないものがたくさんあるのが前提のテーマなので、そこに葛藤は感じました。自分のやっていることは感情を商品にすることなんじゃないかって。
香山 僕もそうですけど、移民とか海外生活というものを描くのは「面白いものがあるよ」とショーのようにして見せているということでもあるんですよね。だから、安易に答えを出してしまうのではなく「よくわからないもの」にしておこうというのはあります。
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魚を弾丸のように発射する“サバマシンガン”は実在する
2021年3月31日更新