「Arc アーク」畑健二郎インタビュー|これは不老不死ビギナーのリアル?「トニカクカワイイ」で描く1400年を生きるヒロインとの違いとは

芳根京子が主演を務める映画「Arc アーク」。SF作家ケン・リュウの短編小説「円弧(アーク)」を原作とする同作は、不老不死の処置を受け30歳の体のまま永遠に生きていくことになった女性の運命を追った物語だ。

「Arc アーク」の公開を記念し、コミックナタリーでは、「トニカクカワイイ」で不老不死のヒロインを描く畑健二郎にインタビュー。「興味のある対象を突き詰めていくと、絶対に生と死の話になってくる」と言う畑は、両作で描かれる不老不死の違いを読み解く。またマンガ家という視点から見た、「Arc アーク」の画作りの面白さについても語ってもらった。なお本特集には映画やマンガのストーリー本編に関する内容も含まれているので、ネタバレを見たくない方はご注意を。

取材・文 / 大谷隆之

一番のツボは「主人公の女性が不老」であること

──さっそくですが映画「Arc アーク」、ご覧になっていかがでしたか?

すごく面白かったです。一足お先に拝見したんですが、個人的にも作家としても興味深いポイントがちりばめられていて。結局、2回繰り返して観てしまいました。

──どういう部分に惹かれたのでしょう?

最初はまず映像の美しさですね。カットの1つひとつに工夫が感じられるし、作品全体のトーン(色調)や風景の切り取り方もシャープでカッコいい。ちょっと日本映画離れしたセンスも感じて、冒頭から引き込まれました。だけど自分にとって一番ツボだったのは、何と言っても「主人公の女性が不老」という基本設定に尽きると思います。

──現在連載中の「トニカクカワイイ」とも直接つながるテーマですね。同じ不老不死のヒロインを描いている作り手としては、やはりシンパシーを感じました?

そうですね。ディテールに感心したり、想像力を刺激されたシーンやセリフがたくさんありました。ただそれって、単純なレベルの共感とはちょっと違った気もするんです。むしろ物語の世界に入れば入るほど、自分との相違点が際立つというか……。「なるほど、この作り手はこういうことが言いたかったのかも」とか、「それに対して自分はこうかな」と納得しながら楽しむ感覚が強かった。

──だから最初に「興味深い」とおっしゃったんですね。畑さんが感じられた違いというのは、具体的にはどういった部分ですか?

「Arc アーク」より。

1つは当たり前だけど、現実との距離感です。「Arc アーク」という映画は大きく言えばSFだと思うんですが、細部の描き込みが非常にリアルで。今僕らが生きている世界とどこか地続きの感じがするんですよね。例えば、芳根京子さんが演じたヒロインのリナ。彼女はもともと、生きていた姿のまま遺体を保存できる“プラスティ​ネーション”という技術の専門家で。それを応用した不老化処置を世界で初めて施されるでしょう。

──はい。以降、彼女はずっと30歳の身体で生きることになる。

劇中では「テロメア初期化細胞」という単語が使われてましたが、要は抗老化薬のことですよね。半永久的に細胞分裂を続けさせる薬剤を血液・脂質の代わりに流し込むことで、加齢そのものをストップしてしまう。理論的にはもう十分ありそうじゃないですか。近年のストップエイジング技術の発展ぶりを見ていると特に。

──実際、世界トップの研究機関や企業がこぞって取り組んでいます。

うん。今はまだ技術的に不可能でも、もしかしたら自分が生きている間にはギリ実用化が間に合うかもしれない、みたいなね(笑)。この映画って、観る人にそう思わせてくれるバランスというか匙加減で、すべて細かく構築されていると思うんです。もちろん物語のベースには、ヒロインがどんな人生を送るかという人間ドラマがあります。でも同時に、少し近未来の並行世界を覗いているような緊張感、ワクワク感もあって。僕にはそこが、とても面白かった。

──確かに、ある種のシミュレーションものとしての魅力もありますね。

「トニカクカワイイ」11巻より。星空は司が人外だと察するが、それでも彼女と結婚できてよかったと言い切る。

逆に言うと「Arc アーク」で描かれるタイムスパンって、100年くらいなんですね。現在の観客にとって、それなりに現実味も感じられる長さ。一方「トニカクカワイイ」のヒロイン・由崎司は約1400年前から生きています。「Arc アーク」の登場人物たちは、まだ不老の入口に立ったばかりだとしたら、司はそのもっとずっと先の風景を見ている。

──同じ不老不死を扱っていても、2つの作品では時間軸がまったく異なる?

そうなんですよ。「トニカクカワイイ」の場合は、もっと思いきりファンタジーに寄せているというか。1400年間、老いることも死ぬこともできず世界を見続けてきた女の子が主人公なので。だいぶ不死に対して経験値が高いというか。だからこそ「Arc アーク」のドキュメンタリーっぽいタッチが、新鮮だったんだと思います。実は今回、もとになったケン・リュウさんのSF短編も読んでみたんですね。意外なほど短くて、映画版はかなりディテールを膨らませています。そこは作り手の方も意識されたんじゃないかなと。

「トニカワ」は「死にたくない」という気持ちに対する自分なりの回答

──映画でとりわけ記憶に残ったシーンなどはありますか?

細かい描写ですが、例えばヒロインが所属する企業が不老化処置の技術を公表した直後、それに反発する抗議デモが起きるでしょう。赤い発煙筒を持った暴徒が押しかけてきて、「不老不死と言ったって、俺たち貧乏人には関係ないんだろう!」と迫る。もし近い将来、本当にストップエイジングの技術が実用化されたら、たぶん経済格差によって受けられる人、受けられない人が出てくるわけで。ああいったシーンはやけに生々しくて印象的でした。あと面白かったのは、後半にかけてのハードルの下がり具合かな。

──と言いますと?

映画の前半、不老化というのはあくまで、一部の人だけが享受できる特権として描かれているでしょう。コロナウイルスのワクチンと同じで最初の頃はキャパシティが限られているから、希望者が殺到する。ところが後半、舞台が数十年後に移ると、雰囲気ががらっと変わってるんですよね。多くの人にとって不老が当然になった反面、世の中から勢いが失われて、何となく弛緩した空気が漂っている。画面の端々からそれが伝わってきます。

──そして出生率は0.2を切る一方で、自殺率は高止まりしている。

確かカーステレオのラジオから、そんなニュースが流れるんですよね。この1行だけで想像力が膨らむというか、不老不死というモチーフについて具体的に考えさせてくれる。しかもそれを直接のセリフじゃなく、作品内のいろんな情報でさりげなく提示するところが映画的だなって思いました。石川慶監督は、こういったさりげないリアリティの演出が本当に上手だなと。

──今回、17歳から100歳以上までを演じた芳根京子さんはいかがでしたか?

「Arc アーク」より。

すごくよかったです! やっぱり100年以上も生きていると、いろいろな経験も積んで、きっと見たくない光景もたくさん見てるはずですよね。そういう内面の変化を、見た目は変えずに表現するのって難しいと思うんですが、劇中のリナはすごくそれを感じさせた。例えば30歳のシーンと89歳のシーンでは、しゃべり方や表情、視線の動かし方などが微妙に違う。歩く姿も昔ほどはキビキビしてなかったり。内面から滲み出る落ち着きだったり、もっと言えば老成、疲れみたいなものも伝わってきました。

──すごく繊細な演じ分けですよね。ところで不老不死というのは古今東西、さまざまな神話や物語で繰り返し描かれてきたテーマです。「Arc アーク」の話題からは少し外れますが、畑さんはなぜラブコメというジャンルでそれを描こうと思ったのですか?

うーん……ちょっと説明するのが難しいんですが、ラブコメとか不老不死という要素は、あくまで結果なんですよ。最初に設定ありきじゃなかった。いろんなタイプのマンガ家がおられると思うんですが、僕は基本的に自分が興味のあるテーマしか描けないんですね。で、興味のある対象を突き詰めていくと、絶対に生と死の話になってくる。

──ああ、なるほど。

これって何だろうと考えると、おそらく心の奥底に死への恐怖がある。「死にたくない」という気持ちが、ものすごく強いんだと思うんですね。「トニカクカワイイ」の場合は、それに対する自分なりの回答というか……ある種の哲学をストーリーにしてみたいという気持ちが、まず最初にありました。だから、細かい設定やキャラクターが固まる前から、言いたいことというか、物語の着地点は決まっていたんですよ。

──一体どんなイメージを伝えたかったんですか?

たとえ万物が滅びる運命にあったとしても、それに抗するように強く引き合うからこそ、世界はかけがえもなく美しい。言葉にすると堅苦しいですけど(笑)。言いたかったのはそういうことですね。

「トニカクカワイイ」15巻より。自分のもとから去ろうとする司に、星空は「宇宙の話を…聞いてほしい!!」と話し始める。

──まさに第1部のクライマックス、妻の司が不老不死であることを知った主人公の由崎星空(なさ)くんが、彼女に伝えようとするメッセージです。

はい。最新の宇宙論だと、この世界には物質を相互作用させる力があり、それが引き合うことで世界が成立している。でも同時に、宇宙は光速を超えて膨張してもいるんですね。そして、やがてはその速度が重力を上回り、すべての物質は引き離されて、宇宙は跡形もなく消えてしまう。星空はそれも全部わかったうえで、悲しい運命に抗って引き合うからこそ、命も愛も生まれるんだと司に言うわけです。

──それは畑さんご自身の死生観にもつながっていると?

ある部分はそうですね。で、そのテーマをストーリーに落とし込むにあたって、具体的な設定へと落とし込んでいきました。例えば思いきってヒロインを不老不死にしちゃえば、死への恐怖や命の意味みたいなテーマも、ファンタジー仕立てで多くの人に届けやすい。また星空と司が「運命に抗って引き合うからこそ、命と愛が生まれる」というところまで行き着くためには、ラブコメの要素が必要だろうと。細かく言うといろいろありますが、大まかな道筋はこんな感じだったんじゃないかな。

──連載スタート時から、ストーリーの流れをすべて決め込んでいたんですか?

いえ、1話ごとの展開についてはけっこう白紙のままでした。実はその前に連載していた「ハヤテのごとく!」という作品は、最初から最後までガッチリ構成を練ったうえで描いてたんですね。単行本で52巻まで行ったんですけど、これがけっこうしんどくて(笑)。「トニカクカワイイ」では物語の要になるシーンやセリフだけは考えておき、細かい展開は描きながら自由に膨らませています。