棚園正一の単行本「学校へ行けなかった僕と9人の友だち」が発売された。同作は小・中学校時代に不登校だった著者が、実体験をもとに描いた「学校へ行けない僕と9人の先生」の続編にあたる作品。「学校へ行けない僕と9人の先生」はNHK Eテレ、毎日新聞、朝日新聞デジタルなど多くのメディアで取り上げられ、不登校に悩む子供やその親・教師らに寄り添う作品として高い評価を得ている、教育的側面もあるマンガだ。
コミックナタリーではそんな「学校へ行けなかった僕と9人の友だち」の発売に合わせて、女性アイドル・根本凪にインタビューを依頼。でんぱ組.incと虹のコンキスタドールのメンバーとして華々しく活躍している彼女には、学校に行けず引きこもっていた過去がある。根本は「学校へ行けなかった僕と9人の友だち」のページをめくりながら、不登校だった当時のことを振り返り、同じような悩みを抱える人々にメッセージを送ってくれた。また作品タイトルにちなんで、根本が立ち直るきっかけになった“9つの癒やし”も聞いている。
取材・文 / 松本真一 撮影 / 笹井タカマサ
「学校へ行けない僕と9人の先生」
小・中学校時代に不登校だった著者が、実体験をもとに綴った物語。学校へ行けない日々を過ごしていた少年が、担任教師やカウンセラーら“9人の先生”との出会いと別れを通じて、喜び、傷付きながらも成長していく姿を描く。9人の先生の1人として、マンガ家・鳥山明も登場する。
「学校へ行けなかった僕と9人の友だち」
不登校だった「僕」のその後を描いた物語。「フツウ」でない自分を卑下し、「ちゃんとした大人」にならなければともがいていた彼が、専門学校、フリースクール、アルバイト先など、さまざまな居場所で“9人の友だち”と出会って気付いた、本当に大切なこととは?
読んでいて、気持ちが明るくなる不登校マンガ
──その手元のメモはなんですか?
今日は私が不登校だった頃のお話も聞かれるということなんですけど、実は当時の記憶があまりないんですよ。なので今朝、母に電話していろいろ聞いたことをメモってきました。
──恐縮です。ちょっとつらいことも思い出させてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。
いえいえ、全然大丈夫です!
──まず、この「学校に行けなかった僕と9人の友だち」というマンガを読んだ感想としてはいかがでしたか。
自分の好きなものがベースにあるのがすごくいいなって。ただ「引きこもりがつらい」とか「学校に行けなくてつらい」ということだけを描いてるわけじゃなくて、自分の武器を持っているというか。ずっと絵を描くことを諦めていないですよね。
──作者の棚園さん、引きこもりながらもずっと絵を描いてましたからね。
私はそこまで好きなものがない状態で不登校になったんです。だからこれは読んでて暗い気持ちにならなくて、バトルマンガを読んでるような気持ちで応援したくなりました。
──確かに、最初は弱かった少年が絵という自分の武器で戦いながら、仲間を増やして成長していくというのは、ある意味バトルものっぽいかもしれません。
そして最終的にはこうやって本を出して。前作(「学校へ行けない僕と9人の先生」)の単行本では、ずっと好きで憧れていた鳥山明先生に帯コメントを書いてもらっているのも、変な言葉になっちゃうんですけど、すごくエモいなあと。私は今、引きこもりではないですけど、「学校へ行っておけばよかった」という泥みたいな、膿みたいなものが溜まってはいるので、読んでいて気持ちが明るくなりました。
あの頃の私は「家の中を浮遊するホコリ」
──根本さんの不登校だった時代についても聞きたいんですが、最初に学校へ行けなくなったのは中学生の頃だったとか。
時系列が自分でもちょっとうやむやで申し訳ないんですけど……。中学3年生あたりから引きこもっていました。そこから虹のコンキスタドールというグループのオーディションに受かって、東京に出てきて引きこもりが治ったっていう感じだと思います。ただ、アイドルになりたての頃は入学式に出られないぐらいには体調がすぐれなくて。出席日数が足りなくて高校を辞めることになって、そのあと定時制に変えてもらったり、通信に変えてもらったりもして、転々としながら高校を卒業したという感じです。
──棚園さんも学校へ行かずに家庭教師が自宅に来たり塾に通ったり、定時制が合わずにフリースクールにも行ったりして、いろんな方法を試しています。
家庭環境って人によってさまざまだから、気軽には言えないですけど、「勉強するのにもいろいろ方法はあるよ」というのを知れるのはいいですよね。
──根本さんが学校へ行けなくなったきっかけは聞いても大丈夫ですか?
とある先生と決定的に波長が合わなかったんです。全然威圧的な態度とかでもなかったんですけど、そこで緊張してしまったのかなと。あとは受験期だったのもあると思います。それまで勉強はのらりくらりとかわしてきたんですよね。ちゃんと本気で勉強したことがなくて、ドリルを提出しない側の人間だったので……。「自分のために勉強しなきゃいけない」という状況に置かれたのがプレッシャーになって、学校に行こうと思ったら動けなくなっちゃって、そこからズルズルと、という感じでした。
──このマンガの前作にあたる「学校へ行けない僕と9人の先生」では、家に引きこもっていた日々のつらさが描かれていますが、根本さんはどんな感じの不登校生活だったのでしょうか。
(持参したメモを見て)「意識がなかった」って書いてます(笑)。あと「遮光カーテンを閉めてた」。
──断片的な情報(笑)。お日様の光を浴びないのはよくないですね。
今は自律神経を整えるために、めっちゃカーテン開けてます。あとは母に電話で「当時の私、どんな感じだった?」って聞いたら「なんか家の中を浮遊するホコリみたいだったよ」って言われました(笑)。元気なときはリビングにいてアニメを観て、ご飯を軽く食べて、体調が悪くなったら部屋に戻る、その繰り返しだったみたいです。後ろめたい気持ちがありながら、ずっとアニメを観たりマンガを読んだりネットサーフィンしたり……。だけど、ものごとを楽しむとか、「ご飯おいしい」みたいな感情がゼロで、一日中ずっと、時間が経つのを耐えてる感じでしたね。
なんで“普通の人”みたいに生活できないんだろう
──不登校時代にアニメやアイドルが好きになったとは聞いているんですが、やはり最初から「アニメをたくさん観れて楽しい」というわけでもなくて、時間を潰すために観ていたんですね。
最初はそうでしたね。何にも労力を割きたくなかったです。
──友達や先生から「学校に来なさい」というようなプレッシャーはあったんでしょうか。
友達が2日に1回は自宅に来てくれたし、先生もたまに会いに来てくれたんですけど、そういうプレッシャーはなかったです。そういう意味では環境がよかったのかもしれないですね。
──マンガでは「周囲がよくしてくれてるのが逆につらい」という描写もありました。
確かに後ろめたかったです。プリントを届けてもらったところで、それを提出に行ける確信もないし、「元気出して」って声をかけてくれても、家から出るという行動に移すことがどうしてもできなかったので。
──棚園さんは、たまに学校に行った際に周囲からの目線がつらかったことも描かれてます。
私もたまに登校してはいたけど、すぐに机に座ってるのもつらくなって保健室に行ってましたね。授業を抜け出すのも大変だし、みんなが授業してるのに廊下を歩くのがしんどくて……。そういう記憶は鮮明に残ってますね。
──棚園さんは当時「フツウでいなきゃ」ということを感じていた、と繰り返し描かれてますが、当時そういう気持ちはありましたか?
ありましたね。私は体がついてこなかっただけで、「外に出たい」という気持ちのほうが大きかったタイプなんです。でも吐き気や腹痛のせいで外に出られなかったので、「なんで普通の人みたいに生活できないんだろう」と周囲を恨めしく思うこともありましたね。
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