去る2010年12月28日、コミックナタリーが主催する「コミナタ漫研~マンガ家に聞く、同業者の気になる仕事」の第3回が、有楽町のドコモスマートフォンラウンジにて開催された。このイベントでは現役のマンガ家が、いまもっとも注目している連載マンガをプロの目線で紹介・分析していく。聞き手はコミックナタリー編集長の唐木元。
第3回のゲストには、コミック電撃大王(アスキー・メディアワークス)で「GUNSLINGER GIRL」を連載中の
唐木元 えーコミナタ漫研も3回目となりました。森薫さん、水城せとなさんに続く3人目のゲストは、「GUNSLINGER GIRL」でおなじみ、相田裕さんです。
相田裕 初めまして、どうも、相田です。
唐木 今回のお題は、ヒット作来ましたねー、末次由紀先生の「ちはやふる」です。しかし毎回、なんでこの人がこの作品を挙げるのだろう、というのがなかなかに不思議で。
相田 前回の水城先生もおっしゃってましたけど、マンガ家って、自分とは違った作風のマンガを興味深く読む傾向があるんじゃないでしょうか。
唐木 自分にないものに強く惹かれるのかもしれませんね。ではそれも踏まえて、「ちはやふる」のいいなと思ったところ、気に入ったところを教えていただきましょう。
相田 まず、かるた競技のマンガである以上に、人間ドラマのマンガである、というところが好きですね。「競技もの」ってジャンルは普通、主人公の努力と戦いを中心にして競技そのものを描くものなんですけど、「ちはやふる」の場合はちょっと違います。競技を通して、競技者たちのドラマを描いている感じですね。
唐木 確かにトレーニングをしたり試合したり、すごいライバルが出てきたりもしますけど、どちらかというとそういったバトル的な要素よりは、ドラマ要素のほうが濃いという。
相田 そうですね。「競技もの」のセオリーである、顧問や師匠の特訓がないし、ルールや知識の解説みたいなものも抑制的で、あってもキャラクターの表現として現しているのは特徴的だと思いました。部員たち全員にそれぞれドラマがあって、それを主人公と同列にして、群像として描いている。
唐木 群像劇というやつですね。
相田 ええ、僕、割と群像劇好きなんですよ。まあ自分が連載しているマンガが群像劇なので、当然と言えば当然ですが(笑)。
交錯する多人数モノローグはかるた競技ゆえ?
唐木 その群像劇を描くにあたって、マンガ家の視点で見たとき、「ちはやふる」にはどんな特徴が見受けられるんでしょうか。たとえばテクニックや技法といった側面で。
相田 技法というとちょっと違うかもしれないんですが、「ちはやふる」の特徴として、圧倒的にモノローグで構成されたマンガである、ということが言えると思います。しかも一般的なマンガなら主人公のモノローグを中心に進めていくところを、「ちはやふる」は登場人物全員がモノローグをしゃべりまくるという。
唐木 しゃべりまくる(笑)。例えばこのページ、人物が4人出てきますね。そして4人が4人とも心の中の声でしゃべっています。これは普通のマンガと比べると多いと言っていいでしょうか?
相田 多いです。これ、やろうとするととても難しいんですよ。すごい難しい。基本的にマンガは登場人物に感情移入して読みます。となると、やっぱり移入する対象は、主人公だったら主人公ひとりのほうが分かりやすいんです。
唐木 相田さんも、この作品でモノローグを喋るのはこいつ、と決め込んで描かれていますか?
相田 ええ、ガンスリではエピソードごとに、誰視点の話なのかを絞ろうと意識することがよくあります。視点を絞ったほうがシンプルに読みやすくなりますから。ところが「ちはやふる」は、これほどまで複数の視点を盛り込んでるのに、なのにすんなり読めてしまうんですよ。
唐木 なるほど。そういう意味では定石破りな作品なのかもしれないですね。どうしてこんなことになってしまったんでしょうか。
相田 たぶんですけど、かるた競技ってベラベラしゃべりながらやるもんでもないから、頭の中で考えていることを描写していくしかないんですよ。しかも団体戦になると、どうしても複数のキャラの思いが同時に飛び交ってしまう。この多視点モノローグは、かるた競技を描くにあたっての必然だったのかもしれません。(つづく)
真波 @sanamin86
@michitsukuyura 漫画家の先生から見てもすごい才能らしいですよ。私の好きな「GUNSLINGER GIRL」の作者の相田裕さんが、技術面でのちはやふるを語った記事を読んで、すごいなあと思ったんです。 http://t.co/wlnPKJnRxM ゾクゾクですねー!