「少女邂逅」は、いじめをきっかけに声が出なくなった孤独な女子高生・小原ミユリと、ミユリの通う学校に転校してきた少女・富田紬の交流を描く青春ドラマ。
押切は「自分が男子で良かったと思うくらい追い詰められました」とコメント。佐倉は「生々しく、耽美で、目の離せない邂逅だった」と「少女邂逅」を評した。そのほか本作にはミュージシャンの川谷絵音、写真家の長谷川圭佑など、全8名がコメントを贈っている。
藍にいなコメント
この映画で描かれる少女達はあまりに脆くて、その脆さをどう守ったら良いのか分からないまま棘をまとってみたり、殻にこもってみたりして、狭い不自由な世界の中でどうにか息をしている。そんな姿は世の中じゃあ「思春期」とか一言でまとめられて、時には嘲笑までされるが、私にはそんな少女達の姿こそ輝いて見えた。脆いからこそ優しくて、脆いからこそ人を傷つけて、不器用な彼女達は上手く立ち回る方法なんて知らぬままとにかく生きていく。きっと、少女達は誰一人悪くない。ならば、誰が悪いのだろう? 人は誰だって子供であったはずで、誰だって「大人に傷つけられたくない」という感情を持ったことがあるはずだ。その子供は、いつから子供を傷つける大人に変わるのだろう? この映画を見て、私自身がその「大人側」に変わりつつあったことに気付かされた。私達はいつの間に、あの鮮やかな感情を忘れてしまうんだろう。また忘れてしまいそうになった時、もう一度この映画を見たい。
押切蓮介コメント
糞めんどくせえ女子高生の描写に動悸が激しくなりました。
その不器用さ、繊細さ、理不尽さにすっかりやられてしまい、なかなかへこたれております。
自分が男子で良かったと思うくらい追い詰められました。
それととにかく痛い。この映画にぶっさされた思いです。
人を幸せには出来ない映画だと思いますが、こうも心を刺されるということは何か凄い映画だったんだなと感じます。
佐倉綾音コメント
生々しく、耽美で、目の離せない邂逅だった。
目を離した隙に、女の子たちのまっすぐな狂気が、次の瞬間なにをするのかわからなくて。
自分がかつてこういう生き物だったかと考えると反吐がでそうになるし、こういう生き方を通らなかったかと考えると惜しくもある。
「知らないことはいくらだって悪く見える」という言葉が作品内で出てきたが、『少女邂逅』の世界を知った私たちは、この先どう生きていけばいい。
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おおとも ひさし @tekuriha
枝優花監督による映画「少女邂逅」のBlu-ray / DVDが、本日1月16日に発売された
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