マンガ編集者の原点 Vol.13 梶川恵(シュークリーム編集取締役)

マンガ編集者の原点 Vol.13 [バックナンバー]

「オハナホロホロ」「違国日記」の梶川恵(シュークリーム編集取締役)

編集者は「作品の価値=自分の価値」と思わないこと

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一般誌とBL、作るうえでの切り替えは?「ややこしい蜜柑たち」

女性向けマンガとBLの2ジャンルの両方で、精力的にクリエイティブを行う梶川氏。両ジャンルを垣根なく楽しむ読者は多いが、作る側としてはどのように気持ちを切り替えているのか気になっていた。どうも梶川氏を悩ませた質問の1つだったようで、時間をかけて考えたうえで、メモを見つつ答えてくれた。

「作るうえでは、気持ちの切り替えはしています。女性向け一般誌はテーマがかなり広いので一概には言えないのですが、社会のいち風景を切り取るようなテーマでも恋愛ものでも、人間関係や生活感覚の捉え方に現実感があったほうがいいと思っています。『私も同じだ!』みたいなあるあるとか、『よくぞここを言語化してくれた』みたいな共感を与えるもの。なるべく広くとは思いますが、実際には20代以上の人の感覚を拾っていくことが多いです。その人たちに『夢みがちすぎ』と思われないよう、自分たちの生活とつながっている物語だと思ってもらえるように気をつけています。

一方で、BLは感情のドラマを見たい人が多いジャンルだと思っています。トキメキ、萌え、クソデカ感情。読者には、その感情がどう盛り上がってカタルシスを作るのかというドラマを見られている気がするので、こちらはあるあるとか現実感最優先ではない。そうした2ジャンルを行き来している結果、編集としての相乗効果はあると思います。両方のジャンルのライト層からコア層に向かってリレーションを繰り返していくわけですから」

「相乗効果」の最たる作品は、フィール・ヤングで連載中の「ややこしい蜜柑たち」(雁須磨子)だという。

「親友への執着が強すぎて、親友の彼氏と寝てしまった迷走女を描くお話なんですが、その寝取った彼氏の感情がBLっぽいんです。彼は、自分と軽はずみに寝てしまっただけのくせに懐いてくる主人公女性に心底ムカついてる。なのに、どうしても気になる。結果、好きになってたまるかという感情にのたうちまわっている。でもその彼女の行動への分析は超現実的で、ちょっとドライなくらい。こうした、どちらの要素を含んだ変わった作品もあるので、いつも両ジャンルの間を反復横跳びしている感じです」

「ややこしい蜜柑たち」1巻

「ややこしい蜜柑たち」1巻

異色の作品、「ややこしい蜜柑たち」。最初は主人公の清見(きよみ)が常識人で、学生時代からの友人の初夏(ういか)がかなりイッちゃってる性格のように見えていた。が、物語が展開するとともに、清見も相当ややこしい性格(癖)であることが判明する。まるでミステリーでいう「信頼できない語り手」に出会ったときのようにゾッとする、刺激的な面白さの作品だ。それ以外の登場人物たちも、隣にいると怖いが、現実でも絶妙に見たことがあるような気がするキャラクターばかりで、「怖かわいいホラーラブコメ」と勝手に称したい。確かに梶川氏の言う通り、BLが描くような名付け得ぬ「クソデカ感情」と、一般誌で見かける「恋愛・友情あるある」がどちらも描かれていて、両ジャンルの反復横跳びの中で生まれた徒花のような作品だと感じる。個人的には、かつてのアイドルユニット・生ハムと焼きうどんが好きだった人に、ぜひ読んでもらいたい作品だ。

「読んだことがない、食べたことがない味がするような、すごく面白い作品です。雁さん、原稿は遅いんですけど、やっぱり会話劇の回とかすごすぎて『天才と仕事してるんだな』と感じます。ご本人はいたって柔らかい方なのですが、いろんなことの回転が早くって、人の何十倍もの速さで“人”が見えているのかなと思います」

君たちは「キャラに芝居がつけられるか」?

このように、さまざまなタイプの作家やジャンル、物語を手がける編集者、梶川氏。今も変わらず新人の持ち込みを見ている氏がそこで重視するのは、「キャラの芝居」だという。

「仕草とか表情、演技です。キャラクター、ストーリーに合わせて芝居をつけているかどうかを見ています。絵が崩れていても、読者に伝えようと目や眉、口などに感情が乗っていれば、画力がなくても芝居はつけられるのではと思っていて。“描いていて気持ちよい描きやすい線”に傾くと、表情も硬くなって物語に引き込まれにくくなる。一方で、芝居がうまいと、絵がそんなにうまくなくても引き込まれていくのではと思っています。

物語って、感情の見せ場の派手なコマもあれば、地味で描きにくい楽しくないコマもたくさんあります。そのコマたちをそこに必要だからと描く根気って、人に物語を伝える根気とつながっていると思う。その根気がある人とご一緒するのが好きですね」。

他人に物語を楽しんでもらいたいから描くこと。梶川氏の一言は、商業作家として食っていくために必要な条件を言いえていると感じる。

性的に奔放な男性キャラは、もはや

梶川氏の口から出てくるエピソードは、どれも半日かけてじっくり聞きたいほど面白い。それは、氏の興味の範囲が広く、深く、また話術も巧みで、明晰な分析能力と出力機能を備えているからだと感じる。人間に対する興味と愛情が大きい人物である。そんな梶川氏には、読者が求める物語や恋愛、キャラクターがどう変化してきたと感じているのか、ぜひ聞いてみたかった。

「読者が生きる現実の社会で、みんなが必ずしも結婚を目指すわけではなくなったり、恋愛をしている状態を普通とする抑圧から解放されようとする流れがあるので、物語でもそうした多様性を描くことが求められてきていると思います。恋愛の情緒を見たいという希望はたくさんあるので、恋愛ものはやっぱり売れるのですが、主人公が抑圧されている中で無理に相手を作るところなんてもう誰も見たくないんだな、と感じますね。『結婚しなきゃ』とか『彼氏がいない私はおかしい』とか言いながら、無理に相手を作るような物語は、たくさんの人にはもう受け入れられないでしょう。

さまざまな人種や性的趣向、恋愛趣向の人が、理由なく物語にいたり、それらを実現している物語を好意的に受け取ってもらえるようになってきていると思います。」

現実の社会の進歩とともに、かつそれを先取りした「ありうるべき社会」を、物語の中でもスマートに実現しているものが好まれているのかもしれない。その昔、王道の少女マンガの後日譚として、ヒロインが意中の男子と結婚して、2人にそっくりな子供がたくさんできて子育てに奮闘中!みたいなストーリーが紋切り型だった頃を思い出すと、世の中の変化をひしひしと感じる(もちろん、そうした「幸せな暮らし」の1つの形を築いていてほしい、と思うカップルたちは、今もたくさんいるのだが)。

一方、女性誌における男性キャラクターの変化も感じているという。

「私が入社する前、つまり2000年代後半くらいまでのフィール・ヤングだと、性的にかなり奔放で、どちらかというと不真面目な男性キャラのほうがウケたと社長に聞きました。だけど、今はそれがカッコいいと思われず、性的魅力ではなくなってきましたね。男性も生きづらさを抱えていて、恋愛面においても社会的にもジタバタしているよね、というのが描かれるようになった。『こっち向いてよ向井くん』(ねむようこ)の向井くんもそうですよね。社会が変わったからマンガのキャラたちも変わったなという感じです」

これまた筆者も大好きな「こっち向いてよ向井くん」は、実家暮らしの会社員で、気づけば10年彼女がいない向井くん(35)が、「恋愛ってなんだっけ」とジタバタしながら前に進んだり、ちょっと戻ったりする新感覚のラブ(?)ストーリー。元カノから言われた一言が忘れられず、新たな恋愛を前にしても優柔不断で煮えきらない向井くんの奮闘には、やきもきしながらも共感し、愛しさを感じる。個人的には、「違国日記」に連なる、社会通念や常識をもう一度疑ってみる気持ちにさせられながら、豊穣な物語の海にどっぷり没入できる作品だ。

編集者としての醍醐味を感じたのは、「ヤマシタトモコからのとある原稿」

マンガ編集者になって15年あまり、編集部には年に数回、「いつもありがとう」という読者からの手紙が届くという。

「うれしくて、みんなで『やった!』ってなります。読者からのアクションで印象的だったのは、夏野寛子さんの『25時、赤坂で』の4巻で、羽山麻水(はやまあさみ)と白崎由岐(しらさきゆき)の誕生日が明かされたあと、誕生日当日の0時に、ファンの方がアカウントでケーキやグッズでお祝いしてくれたとき。かわいい写真が続々と投稿されて、感激しました。その中でさらに、ニューヨークのタイムズスクエアの街頭ビジョンにお祝い動画を掲出したファンの方がいて! ド肝を抜かれましたね(笑)」

「芸能界ものなので、『彼らがいる世界線でファンをやりたかった』という声が上がる作品なんですが、まさかまさかでした! 熱量が高いファンの方に驚かされた一例です」

タイムズスクエアの街頭ビジョンに広告を掲出するにはいくらかかるのか不明だが、なんと豪気でカッコいいお金の使い方なのだろうか。

さらに、「編集者人生で味わった醍醐味」というキーワードを投げかけたところ、ここでもヤマシタが登場した。

「以前、編集者数人にインタビューしてまとめるという本の企画の中で、懇意にしている作家さんが担当編集者について描くというエッセイ企画がありました。そこにヤマシタさんから『お前のこういうところがいいよ』というのを描いた原稿をいただいたのですが、それがすごくうれしくて、私の宝物の原稿なんですよ。編集者は感想を言葉にしなくてはいけない立場なので語彙消失とか言っちゃダメなんですが、その原稿は言葉にならなかったですね」

ヤマシタトモコのエッセイ原稿

残念ながら書籍の制作は諸事情で中止となったため、いったんはお蔵入りしかけたという原稿。ヤマシタの許可を得たうえで、去年梶川氏の誕生日に自身のXで公開したそうだ。ここまで深堀りをしてきた梶川氏の性格や編集者としての誠実さ、そしてヤマシタとの関係性がよくわかる、とても素敵な原稿だ。

それにしても、筆者は梶川氏のことを10年以上前から知っているが、いつも会う度に思うことがある。健康食品のCMのようだが、「なんでこの人はいつもこんなに元気なのだろうか」?

「(笑)。おしゃべりが好きなんです。本当に気をつけないといけないくらい“おしゃクソ野郎”なので、いろんな人としゃべると楽しくなっちゃうんですよ。マンガの編集が楽しいのも、作家さんと話をするのが楽しいんだと思います」

編集者は「作品の価値=自分の価値だと思わないこと」

何も気にせずにいたら、夜が明けても同じペースで話が続いてしまいそうな梶川氏。楽しい。ある種の編集者の鑑である氏が思う「編集者の心得」とは、「担当している作品の価値=自分の価値と思わないこと」。痺れる。

「実際に描いているのは作家さんだし、名前を出して世の中から評価を受けているのも作家さん。編集者がどんなにアイデアを出したり盛り上げに貢献したとしても、やっぱり自分の名前を出していないし、安全圏から創作に関わっている。自分のおかげと思わずに、自覚して仕事をしたほうがいいと思います。私は自分のことを、『作家さんのツボにうまく当たれ!』と思って押している“ツボ押し師”だと思って仕事しています。これはかなり強烈に思っていることです」

この質問をして、「戒め系」の回答が出たのはシリーズ上初かもしれない。

「自分のおかげで売れた!と明確に思えることってあまりないですし、やっぱり、作家と編集者が打ち合わせをしたとして、その後にネーム描くの絶対大変でしょ?って思うから(笑)。だからネームって遅い人は遅いのだと思うし。セリフも演出も絵も全部作家さんが作ってることなんで」

この姿勢、徹底して作家を尊重する姿勢に、背筋が伸びる思いだ。ヤマシタの原稿にも見て取れたが、梶川氏が作家から愛され、信頼を得ているのはこうした「芯」ゆえんであろう。現在、シュークリームの取締役でもある梶川氏の夢は、「60歳くらい、できれば65歳くらいまでは編集のお仕事をしていきたい」。これに尽きるのだそうだ。

「管理職でもあるのですが、私は編集のお仕事が好きなので、ずっと編集をやっていきたいです」

梶川恵(カジカワメグミ)

1981年、新潟県出身。大学卒業後、角川出版販売、幻冬舎コミックスを経て、2007年11月にアルバイトでシュークリームに入社し、翌年4月正社員に。主な担当作品に、町麻衣「アヤメくんののんびり肉食日誌」、鳥野しの「オハナホロホロ」、かわかみじゅんこ「中学聖日記」、えすとえむ「いいね!光源氏くん」、河内遙「夏雪ランデブー」、ヤマシタトモコ「違国日記」、雁須磨子「ややこしい蜜柑たち」、紀伊カンナ「春風のエトランゼ」、夏野寛子「25時、赤坂で」など多数。

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読者の反応

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永井 祐子 @cafebleunet

「ややこしい蜜柑たち」の“まるでミステリーでいう「信頼できない語り手」に出会ったときのようにゾッとする”のとこ、そうそう!ホント、読んだことのない作品ですね。

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