マンガ編集者の原点 Vol.13 梶川恵(シュークリーム編集取締役)

マンガ編集者の原点 Vol.13 [バックナンバー]

「オハナホロホロ」「違国日記」の梶川恵(シュークリーム編集取締役)

編集者は「作品の価値=自分の価値」と思わないこと

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町麻衣の忘れられない一言と、作家の経済

シュークリームに入社してからは順風満帆の仕事人生を送っているように見える梶川氏だが、新人時代には反省している思い出もあるという。

町麻衣さんは北海道でマンガの専門学校に通っていて、1年生のときから東京に行っては持ち込みをし、爆死して帰ってくるというのを繰り返していました。卒業後にフィール・ヤングにも投稿して、その後入社した私が担当することになりました。

町さんが上京してきたとき、真冬なのにジャンパー1枚とかで、いつも薄着だったんです。私はそれを見て『北海道の人はさすが寒さに強いですねー』なんて言っていたのですが、あとあとになって町さんがぽろっと、『あの頃は服を買い足すお金がなかったんです』っておっしゃっていて……。ハッとしました」

町は、梶川氏と立ち上げ、現在も連載中の「アヤメくんののんびり肉食日誌」で人気を博す作家だが、芽が出るまでには苦節の道のりがあったのだ。その経緯は、「アヤメくん」連載10周年を記念したインタビューに詳しい。

「アヤメくんののんびり肉食日誌」1巻

「アヤメくんののんびり肉食日誌」1巻

「当時、町さんにはフィール・ヤングでショート代原(代理の原稿。予定していた原稿が載せられなかったときなどにかわりに掲載する)を描いてもらっていて、短いページのほうが台割の隙間にスッと差し込めて、早く載せられるので、4ページとか8ページで力を伸ばしていただいていました。

ただこの時期、連載をするために誌面でどう攻めていくかを話していたつもりではあったけど、もっともっと打ち合せすべきだったなと反省していて。編集は作家の経済に深く関与している関係性なのに、全然あの頃はわかっていなかった。呑気に『薄着っすね』って言ってる場合じゃなかったなと」

反省を活かし、同じ轍を踏まないように気をつけているという。

「自分で依頼した新人さんには、お仕事を始めるときに経済的なことは説明するようにしています。例えば、こんなふうに。『原稿料はサラリーマンで言ったら月給みたいなもの。印税はボーナス。サラリーマンと作家さんの違いは安定があるかないか。だけどボーナスは年に1回きりだけど、印税は読者に好かれてよいと思われたら何回でももらえる。だから、なるべく多くの人がいいなと思うような作品にすることで、経済的にも変わってきます』と」

新人作家となると、若い人で中学生や高校生もいる。本当にフェアな関係を結ぶなら、特に就学前の作家の卵には、どの編集者もここまで踏み込んだ説明をしたほうがいいだろう。梶川氏からは、作品だけではなく、作家の人生に責任を負っている編集者としての「大人」の覚悟が感じられた。

ヤマシタトモコと「違国日記」に辿り着くまで

のちに「違国日記」などで長くタッグを組むことになるヤマシタトモコとの出会いは、ヤマシタの初サイン会だった。2008年冬、「恋の心に黒い羽」(東京漫画社刊)が出た当時のこと。

「サイン会で名刺を出して『すごく好きなので、お仕事をご一緒にしたいです』とご挨拶しました。ヤマシタさんは笑ってらっしゃったんですけど、出版社の担当さんはどう思われたことやら。今、私の担当作家さんのサイン会でそんなヤツが来たら『ものども、出会え出会えー! つまみ出せ!』ってやりたいくらいで(笑)。本当に、そうした常識を教えてくれる先輩がいないって怖いってことです。

ヤマシタさんからメールをいただいたときは、本当にうれしかったです。そこからお会いすることになり、『エボニー・オリーブ』というガールズトークものの読み切り作品で初めてお仕事させていただきました。その後、『Love, Hate, Love』『HER』『ひばりの朝』とご一緒させていただいています」

2017年にフィール・ヤングで連載を開始した「違国日記」は、2023年7月号まで掲載された。30代の小説家の女性・慎生(まきお)と、突然の事故で亡くなった姉の子供である中学生・朝(あさ)が同居を始めたことから巻き起こる、さまざまな出来事を綴った人間ドラマだ。家族なのにうまくいかなかった慎生とその姉、元彼で友人の笠町、悪友たちや作家仲間、朝の友人のえみりなど、何もかも“違う”人間たちが、それぞれの生活を生きる。人間の不器用さとひたむきさを写し取った、ぎゅっと胸がしめつけられるような物語だ。リアルタイムで連載を追っていた筆者にとっても大切な作品となった。

「ヤマシタさんは、デビュー前にアフタヌーンの編集さんに『人と人は分かり合えない、ということを描きたい』とおっしゃっていたそうですが、それはすべての作品に通底して描かれていると思います。そして、『違国日記』はそれがよりわかりやすく打ち出された作品だと思っていて。

『あなたとわたしが別の人間だからわかり合えない(要約)』といったセリフもあるし、同居している慎生と朝は大人と子供というだけではなく、孤独を愛している人と、孤独がつらい人として、全然違う性質の人間です。だけど、終盤で慎生が言う『それでも』というセリフ。人と人はわかり合えない。それでも歩みよって状態をよくしていこうとする意思を描いたところ──私はここがすごく好きで、ヤマシタさんがずっと描いてきたことだけど、ハッキリと『それでも』って言ってくれた作品は初めてのような気がしていて、すごく感動しました。

私たち自身、いろいろ問題だらけの社会とか生活をやっていくしかない。諦めないでいこうという気持ちにさせてもらいました。私にとってこの物語の最も愛しいところはそこです」

2007年に単行本デビューしたヤマシタにとって、一番長い巻数の作品となった。意外なことに、梶川氏にとっては、不安な始まりだった。

「違国日記」1巻

「違国日記」1巻

「どういう話が始まるのかよくわからずに始まった印象です(笑)。ネームの1話を読んだときに、私は『大丈夫ですか? 面白くなるんですか?』という意味合いのことを柔らかく言ったらしくて」

ヤマシタという人気作家に対して、柔らかくとも率直にツッコめるのはすごい。

「それに対して、ヤマシタさんに『大丈夫です、2話を待っていてください』と言ってもらって『わかりました』と始まったのがこの作品なので、『違国日記』の立ち上げに関して、私は大きなことは何も申し上げられません(笑)」

作品に不安を感じたときにはハッキリ伝える。伝え方がよくなかったり、作家との関係性を見誤っていたら危険だが、これも作家に信頼され、まだこの世にない作品を生み出すために必要なアクションなのだろう。

「編集者は第一の読者ですし、不安を感じるような姿のままシンデレラを舞踏会に送り出してはいけない馬車のような存在でもあります」

ちょっと不思議な格好をしたシンデレラ。だけど彼女を信じて舞踏会に送り出したら、とても素敵な王子様をゲットして帰ってきた──「違国日記」はさながらそんな作品だろうか。

長年の片思いは、翌日ネームになって

15年以上の付き合いになるヤマシタの「天才」を感じたエピソードも教えてくれた。

「20代後半の頃、ヤマシタさんとお茶をしていて、『今度、長年片思いしていた同級生の結婚式に行くんですよ~』ってしゃべっていたら、翌日そのことが元ネタになっている読み切りのネームがFAXされてきました。昨日の今日で?って度肝を抜かれて。ヤマシタさんはFAXのはじっこに『勝手に描いてすいません』的なことを書いていたんですが、自分としてはすごい体験だったなあと思うし、光栄で、感謝しています。

20代のヤマシタさんは、脳内で物語を組み上げて、それを10分くらいで一気にネームにすることもあって。やっぱりあの人はやばい天才なんだと思います。今は1本描くにも、さまざまな角度で練り上げる精度が高まっているので、前より時間をしっかりかけるようになったようですが、当時のヤマシタトモコの剛速球が短編集『ミラーボール・フラッシング・マジック』に詰まっている。私は担当作の中でも同作がとても好きなんです」

「ミラーボール・フラッシング・マジック」

「ミラーボール・フラッシング・マジック」

ヤマシタの天才的な筆によって、梶川氏の長年の片思いが成仏した作品の名は「カレン」。これも短編集「ミラーボール・フラッシング・マジック」に収録されている。とある結婚式の場面が登場するが、ヤマシタは当然ながら式には出ていないので、その部分は創作だそうだ。こうして、作家の「描きたい欲」を喚起させるエピソードや話術が展開できることも、間違いなく編集者としての才能だろう。「天才的といえば……」と、もう1人、えすとえむのエピソードを語ってくれた。

「えすとえむさんと『いいね!光源氏くん』を立ち上げたときの話です。私は『あさきゆめみし』(大和和紀)のファンで、大学も日本文学科で『源氏物語』を読んでいました。そしてえむさんも中学生のころから『源氏物語』が好き。そんな私たちの間で、『光源氏くん』は光源氏がタイムスリップしたら?という簡単な思い付きから始まったお話なんです。実際、やるとなると資料とか用意しないとなあと思っていたら、えむさんは彼女は“知りたい”と“描きたい”がセットになっている人なので、『源氏物語』を好きになった中学時代に十二単の平安衣装をひたすら描いていたそうです。

なので、時代ものなのに私は資料の用意は一切しなかったんですよ! なのに、あまり作画では困っていないのを見て、すごいなと思いました」

「いいね!光源氏くん」は、都内在住のOL・沙織のもとに、いきなり光源氏がタイムスリップ。何をするでもなく、持ち前の人間力(女たらし)で、Twitterで和歌をつぶやいたりしながら、毎日楽しく暮らす(美形ニート)……という異色のコメディ。美麗な絵で繰り出されるとぼけた展開が絶妙の作品で、2020年と2021年の2度にわたり、NHKでドラマ化され、さらなる話題を呼んだ。

「いいね!光源氏くん」1巻

「いいね!光源氏くん」1巻

「えむさんは、誰でも共感できる“わかる”ツッコミが異常にうまいクレバーな人です。ポジティブに愛される男である光源氏と、器用な二番手男である頭の中将の関係性の作り方が巧みで、そこに主人公の藤原沙織さんがズバッとツッコむ感じに、読み手の誰もがとスカッとする──えむさん本人と話しているときに味わえるツッコミ力が、そのまま活きたなと思っています。作家さんのもとの性質と専門性が絡んでうまく跳ねた楽しい作品になって、印象的でした」

on BLUE 創刊 こだわり秘話

フィール・ヤングという唯一無二の存在感を放つマンガ誌でヒットを牽引してきた梶川氏の功績は、一般誌だけにはとどまらない。2010年にはBL誌・on BLUEを立ち上げた。on BLUEはこんなふうに始まった。

「もともとは、祥伝社の方と飲んでいる最中の、『BLやりたいですね』という軽い盛り上がりから始まりました。ただ当時、祥伝社にとってBLは未知のジャンルなので、慎重で、乗り気ではなかったですね。なので最初は年3回の刊行から……今思うと乗り気じゃないのに定期刊行でオッケーしてくれる祥伝社は優しいですね(笑)。

当時、月刊誌であるフィール・ヤングの編集をやりながら、1年ちょっとかけてon BLUEの創刊準備をちまちまやっていて。そこで、『忙しい中でやるんだから、私が楽しめるように作ろう』と思いまして。作家さん選びもすごく楽しんだし、デザインについてもフィール・ヤングでお付き合いのあったデザイナーさんに依頼して、同誌と同じように本作りをしました。具体的には、デザイナーさんに作品を読んでもらって、作家も含めて事前打ち合わせして、構図から案を出し合ってイラストも念入りにチェックして、という工程です。当時のシュークリームで本を作るってそれが当然だったので、環境にも恵まれていて幸運だったなと思います」

2010年当時はBLコミックを出す出版社といえば専門出版社が多く、デザインを含め創刊号から女性向けコミックで蓄積したノウハウをバンバン投入できたことは、on BLUEの強力な武器だったように思う。おしゃれで都会的なフィール・ヤングで磨かれたスタイリッシュ路線の装丁は、店頭でも非BLファンを含むマンガ読みを惹きつけたと推察される。

on BLUEの創刊号。

on BLUEの創刊号。

「今ではいろんな方に頼んでいますが、初期の装丁は、ジェニアロイドの小林満さんや名和田耕平さんにすごく頼っていました。小林満さんはとにかくスタイリッシュで、名和田さんはフィール・ヤングの単行本でもすごく凝ったことをやっていらっしゃって、本当にありがたかったです」

on BLUEコミックスの装丁はどれも、コンテンツの個性とデザインがリンクしていて、すべて趣が違うが、どれも美しい。そっと手で紙に触れたあとは、飾っておきたくなるような美麗さだ。ぜひホームページで全容を眺めてほしい。

現在は隔月刊だが、創刊当初は年3回という多くはない刊行頻度から始まったこともあり、こだわりながら作品作りを進めたという。

「依頼作家さんは、まず既存ファンがいる、筆力が高い人をメインにお願いしました。その方たちに、忌避されがちだったファンタジーでもSFでも死にネタでも、『面白ければなんでもいいです』とお伝えしていました。才能があるうまい作家さんなら難しいネタでも面白く料理してくれると思ったからです。中身も外側も本棚で大事にしてもらえる本を作る、という趣向が強かったです。約2年かけて単行本を作るから、めちゃめちゃイケてる本にしたいんですよね」

満を持して、2010年12月10日に発売された創刊号では、山中ヒコを特集。執筆陣には、えすとえむ、明治カナ子、雲田はるこら、人気作家たちが名を連ねている。

「特に筆力の高い作家さんたちにお願いできたのは本当に運が良かったなと思います。紀伊カンナさんが爽やかで温かな印象を雑誌に作ってくださった一方で、彩景でりこさんやのばらあいこさん、たなとさん、ためこうさんはハードなBLを描いてくださって、寒暖差が激しい誌面ではあったなと思いますが(笑)。紗久楽さわさん、丸木戸マキさんは知性的なストーリーで読みごたえがどんどんできていきました。

もともとは私が1人で始めてはいるんですが、その後加わってくれた、現在のOUR FEEL編集長の神成明音(かんなりあかね)とfrom RED編集長の小林愛の3人で、on BLUEの初期を一緒に作っていきました。全員ストーリーこだわり編集で、3人とも複数レーベルかけもちで必死にやっていたので、中身に関してはほかの雑誌と差別化する、みたいなことはあまり考えてなかったですね」

OUR FEELは「フィール・ヤング編集部が贈る新しいWebマンガサイト」として2024年6月に立ち上げられたばかりだ。イメージキャラクターのデザインを「女の園の星」の和山やまが手がけている。from REDは「ボーイズラブの新しいダンスフロアへ」をモットーに2020年に始まった、シュークリーム発のBLレーベルである。フィール・ヤングやon BLUEから続々と新しい芽が育っている。

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一般誌とBL、作るうえでの切り替えは?「ややこしい蜜柑たち」

読者の反応

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永井 祐子 @cafebleunet

「ややこしい蜜柑たち」の“まるでミステリーでいう「信頼できない語り手」に出会ったときのようにゾッとする”のとこ、そうそう!ホント、読んだことのない作品ですね。

「オハナホロホロ」「違国日記」の梶川恵(シュークリーム編集取締役) | マンガ編集者の原点 Vol.13 https://t.co/PgUdmOQmMJ

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