15の夜に読んでたマンガ 第10回 [バックナンバー]
アニメーション作家・らっパルと「風の谷のナウシカ」(宮崎駿)
何故そこまでしてナウシカは腰を折らず、傷つきながらも歩み続けるのだろう
2023年12月25日 12:30 7
2023年12月25日で開設から15周年を迎えたコミックナタリーでは、15周年に合わせた企画を続々と展開中。人間で言えば15歳とは中学から高校に上がる節目であり、服装から言葉づかいまで心と身体の成長に合わせてありとあらゆるものが変化していく思春期の真っ只中だ。マンガ読みとしても、思春期を境にそれまでと読むマンガの趣味がガラッと変わったという経験を持つ人も多いのでは? このコラム「15の夜に読んでたマンガ」では、そんな15歳の頃に読んでいた思い出深いマンガについて人に語ってもらう。
第10回はアニメーション作家のらっパルが登場。
文
15歳の頃に読んでたマンガと、読んでた当時のことを教えてください
宮崎駿「風の谷のナウシカ」(徳間書店)
まず風の谷のナウシカは映画の方を幼稚園の時に金曜ロードショーで観ました。
世には「VHSが擦り切れるまで観た」というステータスが存在しますが、こちとら擦り切れたのはビデオデッキの方でした。
そしてそもそも絵やアニメーションを描き始めるキッカケになったのもナウシカでした。
その後、巨神兵のシーンに感銘を受けて庵野さんの存在を知る事になったりと、様々なキッカケになった中心的作品でもあります。
漫画版の存在は小学生の時に本屋で知りましたが、幼い時は「ぼのぼの(いがらしみきお)」などの柔らかい印象の作品を読んでいたためハードルを感じて手に取る事はありませんでした。
そのハードルを越え始めたのは「サイボーグクロちゃん(横内なおき)」を表紙の可愛さに買って読んだ時の衝撃がキッカケだったと思います。
高校生になって、色々あり地面ばかり見るようになった時に漫画版ナウシカが目に入り、町の本屋で買いました。
物語が進めば進むほど雁字搦めになり、多くの喪失を背負い、それでも何故そこまでしてナウシカという存在は腰を折らず、傷つきながらも歩み続けるのだろう。今の自分もそこまで成長してないと思いますが、当時の自分は様々な現象に対し、非常に一元的で物事の表面しか認知出来ずにいたので、気持ちの言語化も理解も出来ませんでした。そして周囲の人は読んでなかったので共有できる人もいませんでした。
しかし読み進めるほど、最後に近づくほど自分の自我の境界内にナウシカや作品世界の歩みそのものが入り込んできました。
そして本当に闇の中に沈んでいる時にこの作品に助けられた経験をしました。
この作品の中で特に好きな言葉があります。
「私達は血を吐きつつ くり返しくり返し その朝をこえてとぶ鳥だ」
このナウシカの台詞は綺麗事だとは決して思いません。現状を語るだけでなく、二項対立どころか多元的な相克に矛盾と痛みを抱えて尚も希望を含むその言葉の力は、もはや虚構の世界を越えていく力を感じました。霧の中にいた私が明日へ進めたのは間違いなくこの作品に潜む力のおかげでした。壮絶な歩みや残酷さを持ちながらも、絵の柔らかさや圧倒的な表現力によって作品世界に深く入り込んでいきました。
僅かながら理解できるようになったのは社会に出てからでした。空白のパズルのピースが集まるように、ああ、この気持ちだったんだ、と。
そして「いのちは闇の中でまたたく光だ」このナウシカの言葉も本質を表してると思います。
ただ、これらの本質を体感したのは、数年前に手術を受けた際に彼岸を漂った時でした。痛みと記憶の先に残る最後の何かのように感じます。
そして勿論、心的なクッションとなったのは宮崎さんの他の作品の数多くの力もありますし、漫画でも小説でも映画でも音楽でも他の作家さん達の作品の力もありますが、間違いなくコアと接続する心的複合体の中心軸にこの作品がある事は一生変わらないと思います。
漫画から少し話は変わるのですが、パキスタンでハンセン病や結核の患者を診療し、そしてアフガニスタンで用水路を作り続けた医師・中村哲さんの言葉を引用します。
「時と場所を超え、変わらないものは変わらない。おそらく、縄文の昔から現在に至るまで、そうであろう。私たちもまた時代の迷信から自由ではない。分を超えた『権威ある声』や、自分を見失わせる享楽の手段に事欠かない。世界を覆う不安の運動──戦争であれ何かの流行であれ──に惑わされてはならない。」
(出典:中村哲「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る:アフガンとの約束」)
中村さんは2019年に銃撃にあい亡くなられてしまいました。私は随分前から中村さんの活動を知っていました。
現実と重ねるのは失礼かもしれませんが、私には中村さんの凛とした後ろ姿に、ナウシカの姿を重ねて感じてしまう事がありました。
中村さんは、自身の信念や原動力を尋ねられた時に、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の話を挙げられ、そして自身にゴーシュを重ねているようでした。
時代を越えた目に見えぬ心の繋がりを辿る過程の中で、今なら15の自分が感じた「何故そこまでして」という気持ちに対し、線を繋げる事が出来るような気がします。
今の自分から、15歳の自分におすすめしたいマンガはありますか?
荒木飛呂彦「岸辺露伴は動かない」(集英社)
15歳の自分に渡しに行っても拒否される可能性があるため、ブラックホールに落ちて時空を越えた暁には本棚の後ろからこっそり入れようと思います。
まずこの漫画は”創作”とは何かについて深く扱っているように感じました、仕事上でも自分達が「何を扱っているのか」についての冷静なる視座になると思います。
そして現実を生きる上で蓄積する過去、執着、因果、不条理についても、とてもウィットに富んだズラし方を感じました。そして何より絵の力が凄まじいです。
もし15の自分が読んだら今の自分の世界線が捻じ曲がる化学変化が起きるかもしれませんが、
現実の人生上の様々な質量を内的なレンガとして変換し、溜め込む力に絶対になると思うので、ナウシカを読んで少し落ち着いた後の自分に読んで頂き、更に化学変化を迎えて欲しく思います。
らっパル(rapparu)
フリーランスのアニメーション作家、イラストレーター。主な仕事に「NHK みんなのうた『ぷかぷか』」アニメーションなど。
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