生みの親×モーツァルト役2人の思いが共鳴、音楽座「マドモアゼル・モーツァルト」福山庸治・岡崎かのん・梁世姫座談会

もし、モーツァルトが女性だったら──。音楽座ミュージカルの代名詞ともいうべきオリジナル作品「マドモアゼル・モーツァルト」が、プレビュー公演を経て7月9日に大阪で開幕する。原作は、「F氏的日常」「臥夢螺館」など数々の名作を世に送り出してきた福山庸治が、1989年から1990年にかけて「週刊モーニング」で連載した同名マンガ。女性が作曲家になれなかった時代ゆえに性別を偽り生きた天才の生涯を描き、1991年の初演から劇団の節目で上演されてきた。2021年の東宝ライセンス上演も話題を呼んだが、本家・音楽座ミュージカルでの上演は実に18年ぶりとなる。

ステージナタリーでは、原作者の福山と、主人公モーツァルトをWキャストで演じる岡崎かのん、梁世姫による座談会を実施。音楽座ミュージカルに入団して8年、満を持して大役に臨む岡崎と、昨年、音楽座ミュージカルの実践型プログラム「パワーキャンプ」に参加したことを機に本作でプロ初舞台を踏む梁。経歴もキャラクターも対照的な2人のモーツァルトと、初演から作品の軌跡を見続けてきた福山が、新しく生まれ変わった本作の手応えと魅力を語る。

取材・文 / 久田絢子撮影 / 藤記美帆舞台写真撮影 / 二階堂健、間野真由美

「楽しかった!」が自然と口からこぼれたカーテンコール

──5月に行われたプレビュー公演では梁さんがモーツァルトを演じられました。まずは、客席からご覧になった福山さんと岡崎さんの感想をぜひお聞きしたいです。

福山庸治 梁さんのモーツァルトは、若さがとても印象的でした。もちろんこれまでのモーツァルトもみんな若いんですけど、とりわけ若い感じがしましたね。ダンスの振付も新しくなりましたし、音楽も以前まではクラシック系が多かったけれども、今回はビートの効いた曲が多く感じられて、現代性も入って非常に若返ったな、というのが率直な感想です。

福山庸治

福山庸治

岡崎かのん 原作を読んだときから感じていた作品の力強さというか、モーツァルトという人間がひたすらに人生をまっとうする姿と音楽座ミュージカルとが融合して表現された舞台を観たときに、非常にグッとくるものがありました。(梁)世姫は初舞台なのに本当に堂々と舞台に立っていて、その姿に刺激と勇気をもらいましたし、この舞台は自信を持ってお客様に届けられる、という確信も持てたので、客席から観ることができて良かったです。

──梁さんはプレビュー公演をやってみての思いを教えてください。

梁世姫 私は原作や台本を読んだときから「すごく楽しい作品だな」と思っていて、稽古を進めていくプロセスがとても楽しいものだと日々感じていました。稽古の中で挫折や苦悩を感じることもありましたが、いざ本番の舞台に立ってみたら、モーツァルトの人生と本番のステージに至るまでの私の過程が混ざり合う感覚があって、カーテンコールでお客様から拍手をいただいたときに「楽しかった!」という言葉が自然と口からこぼれました。モーツァルトと私にはとても似ている部分があって、苦しいことや困難があっても、それも「楽しい」の一部にしてしまえるというか、苦しさがあるのもすべては楽しさのためだというマインド、ある意味で楽観的なところがあるんです。

岡崎 (うなずきながら)そうなんです。彼女はまさにモーツァルトのイメージと近く、彼女自身がモーツァルトとして作品の中で生きているんだろうな、と感じることがたくさんあります。

音楽座ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」より。

音楽座ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」より。

音楽座ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」より。

音楽座ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」より。

対照的な2人だからこそ生まれる、心地よい切磋琢磨

──お二人は性格が全然違うという話も聞きました。

岡崎 (同時に)全然違うよね。

一同 (笑)

左から梁世姫、岡崎かのん。

左から梁世姫、岡崎かのん。

 私たちのモーツァルトは「本当に同じカンパニーの同じ作品の同じ役なのか?」と思ってしまうくらい違うんですけど、最終的に伝わるものは同じなので、それが面白い。

岡崎 本当に良い意味で違いすぎて刺激になるし、お互いの良さに気付けるし、自分の芝居に生かせるところもあります。

 あまりにも違うのでライバル心とか比較するという考えにまず至らないです。

岡崎 こうして切磋琢磨できる存在に出会えて、ありがたいなという気持ちでいます。(福山に)全然違うので、楽しみにしていてください。

福山 話を聞いていると、確かにお二人で全然タイプが違うんだろうな、というのが伝わってきます。梁さんはかなり天然な感じがして、岡崎さんはしっかり作り込んだ感じなのかな、と思いました。その違いがどう出てくるのか注目してみると面白そうですね。

──プレビュー公演を終えて、ここから本公演に向けてお二人それぞれ何か考えていることがあればお聞かせください。

 私はプレビュー公演の感覚を絶対に忘れずに最後まで走り抜けたいな、と思っています。それに加えて、今の私は「楽しい」が先行しているので、どうしても子供っぽさが前面に出てしまう。モーツァルトは女だけど、男として人生の大半を生きてきた人間という意味での“男らしさ”のようなものを出せたらいいなと思っています。

岡崎 私は、役を理解していく中で自分と離れていれば離れているほど、どうやってモーツァルトになるための芝居をして近づけていくか、ということを考えすぎていました。でも彼女のモーツァルトを見て、もっと楽しんで自由に表現した先に、また新しい発見があるんじゃないかと思ったんです。一幕では特に、周りのことなど考えないくらいまずは自由奔放に、私自身が楽しんで生きてみたいな、ということを強く思っています。

岡崎かのん

岡崎かのん

モーツァルトに扮する岡崎かのん。

モーツァルトに扮する岡崎かのん。

“性別を超えた自分自身”として生きるモーツァルトに勇気をもらえる

──この物語は、“女は作曲家になれないからモーツァルトは男として人生の大半を生きた”というところが核になっています。福山さんがこの作品を描かれてから35年ほど時が経ちましたが、改めて今の時代にも響くテーマ性を感じます。

福山 この作品を描いた頃に比べて、今は性自認に関してもかなりオープンにされるようになって、海外の映画を観ていると、男とか女とかの垣根が取れてきているなと感じます。そういう意味では、この作品で描かれているのはもう古いパターンの話なのかもしれません。でも現実はそうなっていないというか、女性にはまださまざまな壁やガラスの天井があるし、だからまだこの作品が今の時代にもメッセージを届けることができているのかな、という気はします。

──時代は進んでいるはずなのに、レオポルト(編集注:作曲の才能がある娘に対し、男性として生きるよう導いた父)の「お前は女ゆえに認められない」というセリフが今の私たちの心にも刺さります。

福山 それが現実ですよね。だからこの話は現在に近いかもしれないな、と思います。無理に男として生きようとしなくても最初から女として生きていればいい、という時代が来ているとは思うのですが、でも現実にはまだ厚い壁が残っているんじゃないかな。

 今の時代は、表面的にはもう性別による差別をなくしていこうという動きがあって、実際になくなってきている部分もあると思いますが、それでも潜在的に私たちが持っている固定観念があって、たとえばSNSが発展しているからこそ、周りから批判されないように本心を表には出さないようにしている部分があると思うんです。この作品を今お客様に届けることで、この表面的な壁を取っ払って、内側の潜在的な部分に問いかけることができるのではないかな、ということを福山先生のお話を聞いて感じました。

梁世姫

梁世姫

モーツァルトに扮する梁世姫。

モーツァルトに扮する梁世姫。

岡崎 私がこの作品の魅力的なポイントの1つだと思うのは、ラストシーンでモーツァルト自身が女であるとか男であるということを超えて、「モーツァルトはモーツァルトである」という自分自身のアイデンティティ、自分の人生を見つけて、それを真実にしていくところです。今の時代だからこそより共感できるところもあって、「性別を超えた自分自身として生きる」という勇気になると思うんです。

 すごくリアルだなと思うのが、モーツァルトも決して周りからの目を気にしなかったわけではないんですよね。お客さんがいなくなったり、仕事の依頼が減っていったりすることにショックを受けている場面もありますし、そこは「モーツァルトも神ではなくて同じ人間なんだ」と思いました。それでもモーツァルトは、自分の人生は音楽なんだ、と自分の核となるものをしっかり持って生きているので、私もあんなふうに生きられたらな、と憧れのような気持ちを抱いています。

福山 モーツァルトは音楽しかできないですし、言ってみれば父親によってがんじがらめにされているわけですよね。そうすると、もうほかに生きようがなくて、音楽家として生きるしかない。モーツァルトは才能があったがゆえに、それが良く言えば宿命、悪く言えば呪縛になってしまったところはあるかもしれません。