ノゾエ征爾新作「りんごが落ちる」“落ちた”あとにも救いがある──金澤菜乃英・浜田学・山口森広・梅舟惟永・宮川安利・大西多摩恵座談会

ノゾエ征爾が、新国立劇場2025/2026シーズンのシリーズ企画「いま、ここに──」に書き下ろす「りんごが落ちる」が、新国立劇場 小劇場で2026年6月に開幕する。

同作を演出するのは、劇団青年座の金澤菜乃英。金澤は、劇団青年座では27年ぶりとなった新作音楽劇や、日常に潜むズレや闇のドラマを得意とする土田英生、松田正隆といった劇作家たちの戯曲を手がける気鋭の演出家で、今回、初めてノゾエ作品を演出する。出演者には文学座付属演劇研究所を経て映像を中心に活動をしてきた浜田学をはじめ、劇団ONEOR8の看板俳優である山口森広、演劇ユニット・ろりえの梅舟惟永、流山児★事務所を経てアメリカで演劇を学んだ宮川安利、元無名塾の大西多摩恵と、個性豊かなメンバーがそろった。

なお「りんごが落ちる」は、新国立劇場演劇芸術監督の小川絵梨子が展開して来たシリーズ企画「いま、ここに──」の最終章となる。ステージナタリーでは開幕まで残り1カ月を切った5月下旬、稽古に奮闘中の6人にインタビュー。6人は、ノゾエの自由で解釈の幅が広い戯曲に苦戦しながらも、「それが楽しい」とキラキラした表情でそれぞれの思いを語ってくれた。

取材・文 / 大滝知里撮影 / 祭貴義道

いろいろな場面にある“違和感”をフックに

──本作は浜田さん演じる舞台俳優・田端光太郎を軸にした物語で、久々の主演舞台の初日にセリフが飛び、ラスト10分を沈黙劇にしてしまった彼が、傷心のまま帰って来た自宅の台所で展開する会話劇です。1人で台所に立つ田端の元を、大学時代に共に演劇に情熱を注いだ後輩の猿橋(山口森広)や、田端の主演舞台を演出した元教え子の鴨川(梅舟惟永)、夫に家から締め出されて冷蔵庫を借りに来た隣人の鶴野(大西多摩恵)が訪れたり、遠方に暮らす妹・夢子(宮川安利)が兄を気遣う電話を頻繁にかけて来たりと、何気ないやり取りの中に観客自身の日常も重なって見える本作ですが、お稽古開始から通し稽古直前の現在まで、作品へのアプローチに変化はありましたか?

金澤菜乃英 毎日めちゃくちゃ変化しています(笑)。普段は稽古が始まる前に自分の中である程度プランを決めるのですが、今回は私が初めてご一緒する方ばかりなので、あまり決めずに臨もうと思っていて。実際、稽古場でお会いしてそれぞれの声の出し方や芝居の質感などを知っていくことで、自分の中で動き出すものがありましたし、それによって演出のプランもどんどん変化していきました。自由であること、プランを決めずに進めることは大変ではありますが、そこがノゾエさんの戯曲が持つ余白にもマッチしているんじゃないかなと思っています。この物語では“田端が見ている世界”がキーワードになっています。作品にはいろいろな場面に“違和感”が埋め込まれていて、それらがお客様のフックになればと考えています。

金澤菜乃英

金澤菜乃英

浜田学 違和感というのは、たとえば僕が演じる田端が、誰かと同じ空間で芝居をしていたのに、1人だけ違う動きになっていったり、誰かと同じ場所にいて一緒に会話しているように見えて、実は1人だけ全然違う場所にいたり、というような部分です。今は稽古を進めながら、戯曲の中にある違和感を交通整理して、構築している最中です。

大西多摩恵 台本を読んだだけだと、自分がどこを見てしゃべればいいのかもわからないくらいだったんですね。なので最初は、“わからないながらもこのセリフを普通に言ったらどうなるか?”と試すところから始めたのですが、ノゾエさんのセリフに乗せてリアルな動きをするのが、俳優の生理として難しいと感じるシーンもあって。お客さんにとっても、セリフと動きがちぐはぐな、幻想の世界に見える場面もあるかもしれないなと思います。あとは全員、セリフの量が多いので、まず覚えるのが大変でした。

山口森広 りんごじゃなくて、セリフが身体に“落ちる”まで、ですよね。

梅舟惟永宮川安利 あははは!

──金澤さんは過去のインタビューで本作について、「台本を読んだときの“ホッとした感覚”を大切に演出したい」とおっしゃっていました。ノゾエさんの戯曲を演出されるのは今回が初めてですが、どのような部分にそれを感じましたか?

金澤 この作品のタイトルは「りんごが落ちる」ですが、劇中では、りんごが落ちて、それをそのまま腐らせるのではなく、朽ちる前に誰かが拾って、誰かに渡されていく。“りんご”は人の思いや行動でもあります。また会話をしながら、調理をして食べるまでの流れが描かれています。食べることはつまり、生きること。そう思ったときに、現代社会でレールから外れてしまった人たちを捨て置くのではなく、まだ再生できるうちに救い上げる、ノゾエさんが描く作品世界の包容力を感じました。船が出航するときに「誰も港に残っていないか?」と確認してくれるような優しさというか、傷付いた人たちが救われるような希望があるなと思ったんです。この物語には、夢を諦めた人や、世間に置いていかれることを恐れる人、1人では生きていけない人など、さまざまな生きづらさを抱えた人たちが出て来ます。俳優たちが舞台上で言葉を紡いでいく行為が、観客の“落ちたりんごを拾う”ことにつながっていったらいいなと考えています。

現代社会の“生きづらさ”に悩む人たちの思いを代弁する

──新国立劇場で展開されてきたシリーズ企画「いま、ここに──」ではこれまで、“いま、ここにわたしは語る”というフレーズを掲げた、壮絶な体験をしつつも前を向いて生きる女性を描いたデニス・ケリーの「ガールズ&ボーイズ」、そして“いま、ここに終わりと始まりが息づく”という言葉を掲げた“終末的な状況下”に閉じ込められた4人を描くサミュエル・ベケットの不条理劇「エンドゲーム」が登場しました。同企画の最後に、“いま、ここに小さな未来が灯る”というテーマのもと、小川さんが「強くあること、間違いがないことが求められる現代社会の中で、実は1人ひとりが抱えている弱さやある種の生きづらさ」を描きたいという思いで託したのが、日本の劇作家であるノゾエさんの新作です。キャストの皆さんは、ご自身の役がどのような“生きづらさ”をテーマとして持っている人物だと思いますか?

浜田 田端は、妻に逃げられて息子と2人で生活を送っていますが、仕事が減っているという状況があって。妻には逃げられていませんが、僕も似ているところがあります。田端には第一に子供を育てる責任があるけど、その息子も前に進めないような状態で、そんな中で舞台初日にやらかして……。自分だったらどうするだろうと考えずにはいられません。でも、そういった苦しみを回収している最中の人間なのかなとも思います。目も当てられないような現実に対して、しっかりと目を開けて生きていこうとする段階を作っている人なのではないかなと。

左から浜田学、宮川安利。

左から浜田学、宮川安利。

山口 田端の後輩である猿橋は、“止まってしまった”人間ですね。猿橋は「ヒール(悪役)になりたかった」と言いますが、日常生活でヒールをやれる人は強い人間です。SNSの裏アカでひどいことを書く人が現実世界ではそつなく立ち居振る舞える人間だということが時折ありますが、猿橋はまさに“裏と表”がテーマになっている役という気がしますね。

梅舟 私が演じる鴨川は、落ちることに抗っている人なのかなと思います。かつて憧れていた田端さんが変わってしまったことや、自分が脚本家として書けなくなってしまったこと、自分の舞台に人が集まらなくなってしまったこと、人間誰しも落ちるときはあるはずなのに、それにあらがって、しがみついているような人物。そんな人がどう変わっていけるのかを見ていただけると面白いんじゃないかと思います。

左から梅舟惟永、大西多摩恵、山口森広。

左から梅舟惟永、大西多摩恵、山口森広。

大西 逆に私は、鶴野という役を通して「落ちてもいいよ、みんな失敗してるしさ」って言いたいかな(笑)。鶴野さんは、しょっちゅうミスをしているような人で、そのことに本人が苦しんでないかといったら、そうではないんですよね。自分で自分にふたをしているところもある人。でも「それは、みんなそうだよ」って、私としては言いたいです。

宮川 私が演じる夢子は、鴨川や鶴野の「落ちたくない」「落ちてもいいよ」みたいなところとは別の場所にいて、“今、進もうとしている人”なのかなと思います。夢子はトリマーをしていたのですが、父親が亡くなり、そのことに意味を求めて美容師になり、父親の仕事を継いで生きていく。人のためにしか生きられない人って少なからずいると思うのですが、それを原動力に変えて生きているような人物だと、演じていて思います。