木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版 稽古場レポート / 木ノ下裕一と糸井幸之介が語る「伝えたいのは心の動き」

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版が6月27日にKAAT神奈川芸術劇場にて開幕。このあと8月末まで全国ツアーを行う。木ノ下歌舞伎主宰・木ノ下裕一が糸井幸之介と共に手がける本作には、舞台手話通訳や舞台投影字幕、音声描写などが作品の一部として組み込まれる。

ステージナタリーでは、その稽古の様子をレポート。さらに木ノ下と糸井に“アクセシビリティ版”創作に対する思いやツアーへの意気込みを聞いた。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 藤田亜弓

「心中天の網島」アクセシビリティ版 稽古場レポート

根幹にあるのは“自分が面白いと思うことをシェアしたい”気持ち

2015年に初演された木ノ下歌舞伎「心中天の網島」は、近松門左衛門の原作をもとに木ノ下歌舞伎主宰・木ノ下裕一の監修・補綴、糸井幸之介の演出・作詞・音楽によって立ち上げられた作品で、2017年に再演もされ、今回が3度目の上演となる。

物語の軸となるのは大坂天満の紙屋主人・治兵衛とその妻おさん、そして治兵衛が入れ込む遊女の小春。小春は治兵衛と心中の約束をしていたが、おさんの頼みでわざと治兵衛に愛想づかしをし、1人で死のうとしている。それを知った治兵衛とおさんは、小春を殺すまいと身請けを思いつくが、おさんの実父・五左衛門がおさんを実家に連れ戻したことをきっかけに、治兵衛と小春は死への道行を歩むことになり……。

あらすじだけ読むと現代の感覚では共感し難い部分もある物語だが、宇宙という大きな傘のもと、誰もが皆等しい存在であるという近松作品の真髄を糸井は巧みに掬い取り、さらに生と死は表裏一体で、誰もが矛盾を抱えた脆く儚く愛おしい存在である、という自身の哲学を貫いて、木ノ下歌舞伎「心中天の網島」は初演・再演と好評を博した。そして今回はその、アクセシビリティ版である。

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版より。(撮影:田中亜紀)

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版より。(撮影:田中亜紀)

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版より。(撮影:田中亜紀)

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版より。(撮影:田中亜紀)

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版より。(撮影:田中亜紀)

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版より。(撮影:田中亜紀)

アクセシビリティは、近年の木ノ下裕一が強い関心を寄せている事柄の1つだ。きっかけは2019年に行われたあうるすぽっとの「みんなのシリーズ第四弾 能でよむ」で鑑賞サポートに触れたことだったそうだが、その後、木ノ下歌舞伎でも鑑賞サポートつき公演を実施したり、自身が芸術監督を務めるまつもと市民芸術館の「ひらく古典のトビラ」シリーズではアクセシビリティに特化した公演を行うなど、さまざまな実験と実践を重ねてきた。その根幹には、ステージナタリーで連載中の木ノ下の「わたしのアクセシビリティ日記」にも書かれている通り、“自分が面白いと感じたことを人とシェアしたい”という木ノ下の思いがあり、「木ノ下歌舞伎で作品を作ることも、古典の愉しみについて書いたりしゃべったりするのも、そして演劇におけるアクセシビリティについて考えるのも、私にとっては同じ“心の動き”だ」と木ノ下は語っている。

では今回の公演では、どのようなことが行われるのか。木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版では、視覚サポートとして事前解説の実施や、音声ガイド、補助犬と一緒の鑑賞が可能なほか、聴覚サポートとして、音声補聴や舞台上字幕、舞台上手話通訳、台本貸し出しなどが用意される。近年、鑑賞サポート付き公演は増えつつあるが、鑑賞サポート対象となる日が限定されている場合が多い。しかし今回の「心中天の網島」アクセシビリティ版では、ツアー先を含むすべての公演が対象となる。また現代語、古語、歌、義太夫など多様な要素が入り混じる木ノ下歌舞伎作品では、その表現の違いを字幕や手話で表すことが非常に難しいが、木ノ下を中心にさまざまなツールやアイデアを取り入れて、情報保障とクリエイティビティの両方を兼ね備えた字幕、音声ガイド、手話通訳表現を新たに作り上げた。“古典を現代の舞台芸術として編み直す”までがこれまでの木ノ下歌舞伎の創作だとしたら、今回はそれをアクセシビリティという糸でさらに“編み増して”いくような作業で、糸井と木ノ下を軸に舞台手話通訳や字幕制作、音声ガイドのスペシャリストたちが初日ギリギリまで調整と挑戦を続けた。

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版の稽古の様子。左から湯川ひな、日髙啓介。

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版の稽古の様子。左から湯川ひな、日髙啓介。

いかに作品を届けるか──試行錯誤の字幕作り

では、稽古はどのように行われたのか。初日を10日後に控えた6月中旬、稽古場を訪れると、その日は演出の糸井が別の仕事のため不在で、木ノ下は字幕に関する打ち合わせ中、俳優たちは歌唱指導・伊藤和美の指導のもと、動きをつけながら歌稽古にあたっていた。

まずは字幕打ち合わせに参加。打ち合わせには、木ノ下と字幕制作・オペレートを担当する南部好恵、制作の清水翼、アクセシビリティ制作協力の大石将弘(編集注:大石は木ノ下歌舞伎作品に出演経験もあり、現在は「きくたびプロジェクト」などを通して、目の見える人、見えない人が共に美術作品を楽しめるような取り組みを行なっている。今回はその経験を生かしつつアクセシビリティ面で参加)、そしてプロデューサーの小川知子が出席し、長細い部屋の端に大きなモニターを置き、稽古の様子を音声で流しながらモニターに字幕を映し出して、“見せ方”についての議論を行っていた。ちなみに65インチのそのモニターは実際に本番で舞台上に吊るすものだそうで、モニターから数メートル程度離れた場所に座って、全員が字幕の見え方を都度確認していた。

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版の稽古の様子。左から大鷹明良、緒方壮哉、湯川ひな、西田夏奈子、武居卓。

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版の稽古の様子。左から大鷹明良、緒方壮哉、湯川ひな、西田夏奈子、武居卓。

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版の稽古の様子。左から歌唱指導の伊藤和美、武居卓。

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版の稽古の様子。左から歌唱指導の伊藤和美、武居卓。

最初の議題は、短いセリフでテンポよくやり取りが進むシーン。セリフに合わせて次々と画面を切り替えていくのが良いか、または同じ画面に次のセリフを足していく見せ方にするのか、あるいはまとまった分量のセリフを一気に見せてしまうのが良いのか、だとしたら何行までが見やすいのか……といった議論が繰り広げられた。さまざまな現場で字幕制作をしてきた南部は「音声のテンポに合わせてどんどん画面を変えていくと文字を追いきれない可能性が高いので、字幕は音声と多少ずれていてもいいのではないか」と言い、海外作品で字幕オペレーションを経験した清水は「舞台を観ているのに“文字を読んでいる”体感になる字幕は良くない、と言われたことがある」と自身の経験を話す。また映画や他の舞台で見やすかった字幕の例を大石が挙げると、木ノ下はさまざまな角度から「こんなやり方はどうでしょう」と新たなアイデアを繰り出す……といった具合に、その場にいる人がそれぞれの意見を出し合って、今作にとってベストな見せ方を探っていく。

続いて「木枯らしの音」「ひぐらしの声」といった効果音をどう表現するかでも、意見が分かれた。「“木枯らしの音”と書くのではなく、シンプルに斜線が入るだけでも良いのではないか」と南部が意見すると「『ヒューッ』とマンガ文字で書いてはどうか」と木ノ下が提案し、バリアフリー字幕に携わるのが初の清水は「『ヒューッ』という言葉で(聞こえない人に)伝わるのだろうか」と疑問を呈して、全員がしばし熟考する……という時間もあった。また治兵衛と小春の心中シーンで聞こえてくる“濁流の音”は、言葉ではなく短い動画で表現。南部が仮で作ってきた動画は、シンプルだがインパクトがあり、こんな見せ方もあるのかと驚いた。

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版の稽古の様子。左から西田夏奈子、大鷹明良(奥)、武居卓、緒方壮哉。

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版の稽古の様子。左から西田夏奈子、大鷹明良(奥)、武居卓、緒方壮哉。

さらに木ノ下歌舞伎ならではの難しさとしては、古語をどこまでそのままの表記で字幕にするか、という問題もある。たとえば、「算盤算用も小春を請出す金の工面か」というセリフそのままでは読みにくいので、「そろばん算用」と仮名にしたり、「工面(くめん)」と読み仮名を振るなど、モニターの文字を追いながらそれぞれに意見を出し合う。また歌のシーンでは、以前ほかの木ノ下歌舞伎作品でも取り入れられていた、カラオケ方式が採用された。つまり歌の進行に合わせて文字の色が変化していく見せ方で、それによって音の伸ばし具合やテンポを視覚的に表現することを目指している。歌の字幕を見ていた大石が「聞こえる人にとっても、歌詞の字幕があると何を歌っているのかがわかって助かりますね」と言うと、木ノ下は「確かにそれはありますよね。特に群唱だと、歌詞が伝わりにくいことがあるから」とうなずいた。ただし歌詞部分の字幕表記に関しては、読みやすさを重視した古語の場合とは違い、木ノ下は「糸井さんが漢字で表現した箇所は基本的には仮名に直さず、読み仮名を振る形にしたい」ときっぱり。「糸井さんの意図があって漢字にしていると思うので、そこは漢字優先にしたいです」とクリエイターの意向を重んじた。

字幕全体をさらいながら、議論すること約2時間。それぞれの意見を集約し、各自の“宿題”とスケジュールを密に確認して、その日の字幕打ち合わせは終了した。木ノ下が打ち合わせ中、何度か冗談で「これは合宿しないと(間に合わない)!」と言っていたが、実際にはその時間すらないほど、各セクションで初日までにやることが山積み。さらに初日までには当事者チェック、それを経てのさらなるブラッシュアップ……と時間はいくらあっても足りないのだった。

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版の稽古の様子。左から西田夏奈子、武居卓、緒方壮哉、大鷹明良、日髙啓介。

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版の稽古の様子。左から西田夏奈子、武居卓、緒方壮哉、大鷹明良、日髙啓介。

歌と身体と芝居が絡み合う稽古場

字幕打ち合わせを終えた木ノ下は、そのまま歌稽古に合流。稽古場に組まれた舞台美術の中で、俳優たちが動きをつけながら歌稽古を行っていた。初演・再演では島次郎による舞台美術が使用されたが、今回は島に師事した角浜有香が美術を担当。網をイメージしたこれまでの美術を踏襲しつつ、2026年版「心中天の網島」という新しさも感じさせる舞台美術となっている。

稽古場ではちょうど、小春のナンバー「錆びた時計」の歌稽古が行われていた。遊女の日常の中で、小春が自身の置かれている現実と心の中の矛盾を訥々と語る、切なく美しいシーン。湯川は伸びのある高音を響かせ、小春の可憐さ、やるせなさ、乾いた絶望を表現した。すると伊藤は湯川に「独り言にならないように、それぞれの言葉がどこに向かっているかを考えて歌ってみて」とアドバイス。それを受けて湯川の歌い方や動きに変化が出ると、伊藤は「小春の心が動いているのが伝わってきた!」と笑顔を見せ、木ノ下も「いいですね!」とうなずいた。

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版の稽古の様子。左から大鷹明良(奥)、緒方壮哉、西田夏奈子、武居卓、湯川ひな。

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版の稽古の様子。左から大鷹明良(奥)、緒方壮哉、西田夏奈子、武居卓、湯川ひな。

続けて治兵衛と小春による心中への道行の場面では、まず最初に伊藤が日髙と湯川を背中合わせに立たせて、歌のどこで力を入れ、どこで抜くのかをお互いの背中で体感させた。最初はそのタイミングが合わず、よろめいていた湯川だが、徐々にコツを掴み、最後は自分の脚でしっかりと立ち、堂々と歌う姿が見られた。またこのシーンは、武居、大鷹、西田、緒方らコーラス隊が、状況を客観的に説明しながら、歌で治兵衛と小春に寄り添う、ハーモニーが美しいシーンでもある。状況が複雑化すればするほど思考はよりシンプルに、メロディは極めて優しく明るく……というのは糸井作品の真骨頂だが、治兵衛と小春が通り過ぎた幾つもの橋、その先にある三途の川、そして彼岸という視界の広がりが、6人のハーモニーを通して感じられた。

その日の稽古は、治兵衛とおさんの「箪笥の思い出」のシーンで締めくくられた。小春を請け出す金を工面するため、箪笥から金目のものを引っ張り出し、思い出もひっぱり出してしまうおさん。学生時代、結婚、出産と2人が重ねてきた時間をギュッと凝縮して振り返るこのシーンは、過去と現在、建前と本音、現実と夢など、さまざまな時空間がないまぜになる難解なシーンだが、おさんの切々とした思いを、伊東は歌と芝居を織り交ぜた絶妙なニュアンスで表現した。ちなみに日髙と伊東は初演からの続投メンバーで、長年連れ添った夫婦の阿吽の呼吸を、潮の満ち引きのようなコンビネーションで見事に体現した。

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版の稽古の様子。左から伊東沙保、日髙啓介。(提供:まつもと市民芸術館)

まつもと市民芸術館プロデュース 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」アクセシビリティ版の稽古の様子。左から伊東沙保、日髙啓介。(提供:まつもと市民芸術館)

シーンが終わると歌唱指導の伊藤はふと、「こんなにいい奧さんがいるのに、治兵衛はひどい男ですよね……」としみじみと発言。実は、字幕打ち合わせの場でも同じ話題が出ていたのだが、木ノ下は「現代的な感覚では確かにそう感じられるところがあるのだけれど、おさんと治兵衛がなぜ夫婦としてダメになったのかということは、このシーンやこのシーンの前からも垣間見えるところがあると思う」と指摘。また何度もこの役に向き合ってきた伊東も「おさんは多分、治兵衛を邪険にしているわけではないけれど、“今は一番大事な存在ではなくなってしまった”ということではないかと思う」と分析した。そのやり取りは、古典か現代劇か、歌舞伎かミュージカルかといった違いを超えて、作品の芯に全員が触れた瞬間だと感じられた。