“デスメタルシンガー”の杉本ラララが5月13日に新作EP「死ぬとき笑えるように」をリリースした。
杉本は大学時代に音楽活動を開始し、紆余曲折を経てさわやかな音楽性と高い実力を誇るシンガーソングライターとして地道にそのキャリアを重ねてきた。そんな彼の人生は2025年、アーティスト写真やビジュアルを変えて死神に“キャラ変”したことで一変。爆笑必至のMCや圧倒的な歌唱力に裏打ちされたパフォーマンスで瞬く間にSNSを席巻し、動画の再生数もSNSのフォロワー数もうなぎ登りとなっている。
新作のリリースに際した音楽ナタリーのインタビューでは、そんな杉本の生い立ちから音楽活動を始めるまでの“人間時代”の様子、死神に転生しライブの動員数も急上昇させている現在に対する素直な戸惑い、「自分のために人生を謳歌する」ことをテーマにまとめ上げたというEPの収録曲、そしてこのリリース後に控える大きな夢について、「現在の年齢は一京と41歳」という死神・杉本にたっぷりと語ってもらった。
取材・文 / 真貝聡撮影 / YOSHIHITO KOBA
弾き語りの原点はゆず
──まずは、ラララさんの生い立ちやこれまでのキャリアについてお聞きします。幼少期はどんなお子さんでしたか?
“幼少期”ということは、私の人間時代のことだよな?
──そうですね、ラララさんが死神になる前の話です。
そうだな……わりと物静かな子供だったな。RPGが好きで「ドラゴンクエスト」ばっかりやっていた。
──ということは、外で元気に遊ぶような感じではなかった?
ああ、家の中でじっと静かにしていた。
──(笑)。音楽はいつお好きになったんですか?
きっかけとなったのは、小学校低学年の頃に行った山口県下関市にある地元の祭りだな。私の父である通称・杉本パパパがアマチュアバンドを組んで、JAYWALKの「何も言えなくて…夏」を歌っていたんだが、それが非常にカッコよくてな。「音楽はとても面白いな」と思ったのが始まりだ。
──それ以降はどんな音楽を聴かれました?
私の学生時代は、ゆずの勢いがすごくて、クラスにもファンがたくさんいたんだ。かく言う私もご多分に漏れず、ゆずが好きだった。あるときクラスメイトとゆずのコピーをしようとなり、私は北川悠仁氏のパートを歌いたかったんだが、相方が非常に声が低い男であったために、キーが高い岩沢厚治氏のパートを任されたんだ。当時は不本意ではあったが、そのおかげでハイトーンボイスが出るようになった。今は相方にも感謝しているし、岩沢氏にも非常に感謝している。ゆずはもちろん、岩沢氏は憧れのシンガーの1人だな。
──ギターを弾くようになったのはいつ頃ですか?
中学生の頃だ。家にパパパが使っていたYAMAHAのギターがあったので、私もなんとなく触るようになった。
──そのときにゆずのコピーを?
ああ、そこからコピーをしていった感じだな。
──そんなラララさんの初ステージは高校生のときで、地元の商店街のイベントだったそうですね。
それ、どこの情報だ! なぜ知ってる? いやいや、さすがナタリーだな。
──ハハハ、ありがとうございます。
そうなんだ。そのときは仲間とバンドを組んで、OasisとかBon Joviのコピー、自分のオリジナル曲も混ぜながら5曲ほど披露したな。今でこそライブのMCがYouTubeのショート動画やインスタでバズって、杉本ラララを知ってもらう機会が多いけれども、当時はひと言もしゃべらず、バンド名も名乗らず、演奏が終わったらステージを去るライブをしていたんだ。
──だいぶとがってますね。
主催の大人から「ひと言ぐらいはしゃべったほうがいいよ。人柄も知ってもらわなきゃいけないから」とすごく注意をされて。まさかね……その20年後にこんな状態で、歌よりもむしろしゃべりで注目されるアーティストになるとは思わなかった。
──杉本ラララに歴史ありですね。そこからは、どのように音楽の経験を積んでいったんですか?
東京の大学に進学して軽音楽サークルに入った。大学は2年で中退したものの、サークルには4年間在籍してな。そこで音楽仲間と出会って、プロとしてやっていく感じではなかったが「音楽って素晴らしいな」と思った。当時の仲間の1人に今wacciでベースを弾いている小野(裕基)氏がいたんだ。私と小野氏は同じサークルだった。wacciのキーボードである因幡(始)氏は先輩にあたるな。
──サークル在籍当時はどのような活動をしていたんですか?
アマチュアバンドを続ける一方で周りのみんなは就職していき、私は大学を中退して宙ぶらりん。アルバイトをしながら日々をつなぐ生活を送っていたんだけれども、これじゃいけないと思ってだな。本気で音楽をやってみようと思った。横浜の戸塚という街があって、そこで路上ライブを始めたのが22、3歳だな。当時の私はとてもプロとは言えないレベルだったけれど、それがスタートラインだった。
──ちなみに上京して初めて立ったライブハウスは渋谷La.mamaだったそうですね。
なぜ知ってる!? ナタリーにはそういう独自のネットワークがあるのか?
──ハハハ、ないですよ。
La.mamaは私の大好きなスピッツやMr.Children、そして爆笑問題が出ていたライブハウスで。当時の私は技術も何もない中でLa.mamaの門を叩いたんだ。よくあそこでライブをしていたな。これは先の話になるが、あるときワンマンが決まったんだけど、本番の前日にLa.mamaが火事になったんだ。半焼してしまってそのライブは中止になった。そのまま一度もワンマンができていないから、いつかリベンジしたいな。
死神への転生は「私自身が求める私になろう」
──その後、2007年にはスリーピースバンド・おつかれーずを結成します。
路上ライブで少しずつ人が立ち止まってくれるようになってきて、「ライブハウスで活動したらどう?」とか「私のお店で歌ってみない?」と声をかけてもらえるようになり、いろんなところでライブをやるようになったんだ。その流れでバンドメンバーと出会い、結成したのが、おつかれーずというわけだ。
──バンド名の名付け親は、Something Elseの今井千尋さんですね。
そう、「ラストチャンス」で一世を風靡したSomething Elseの今井千尋氏が命名してくれた。まあ、私としては「あんた方は横文字でカッコいいバンド名なのに、私はひらがなのコミカル系かい~!」と最初はちょっと不満があったけれど、せっかく命名してくれたんだからってことでね。ありがたく名乗らせてもらって、7年ほど活動したかな。
──そこから、どんな流れでソロ活動を始めることになったのでしょう?
音楽だけで生活できなかったのもあり、メンバーが抜けると言い出して、ユニットとして2年ほど活動したあとソロ名義でやることになった。まあ、おつかれーずは複数形の名前なのに、私1人なのはおかしいとなってな。1stアルバム「ラララララ」を一緒に作ってくれた、音楽仲間のハシグチカナデリヤが“杉本ラララ”という名前を考案してくれて。「すごくいい名前だ。これしかないな」と思って、今の名義で改めて再出発をしたんだ。ただな……名前を発表したときは大炎上した。
──どうしてですか?
「ふざけた名前だ!」「やる気はあるのか!」と本当に心ないリプがたくさん飛んできた(笑)。私としては覚えやすくて、どんな音楽をやっているのかが名前を見ただけでわかるから、最高の名前だと思ったので、全部無視してやったぞ。
──さすがです。再出発をしてから、どんな思いで活動されていたのでしょう?
当時はコツコツと弾き語りを練習しては、ライブをする繰り返しで、本当にお金もなかったし、1日1日を食いつなぐことでいっぱいいっぱいだった。そんな中で、さわやかなシンガーソングライターとして活動し、お客さんも女性ばかりの中で、求められるものを提供していたんだ。ただな、どこかで「何か違う、これは本当の自分じゃない」と。周りに遠慮して求められるものに合わせてるモヤモヤを抱えながら、活動していたんだ。
──去年9月、別所哲也さんのラジオ番組「J-WAVE TOKYO MORNING RADIO」に出演されたときに、当時は人に気を使う青年だったと話していましたよね。
そうだな。社会が求める私になるんじゃなくて、私自身が求める私になろうと思った。昨年6月に沸々としていた思いが爆発して、突然このスタイルになったんだ。あるライブを境に死神の姿でステージに出ていったら、その場にいた客は呆然としていたな。
──好青年のシンガーソングライターから、まさかの“おぞましきデスメタルシンガー”になったわけですからね。
前日までさわやかボーイだった人間が、急に「デスメタルを生業とする」と言い出して、ただでさえ少なかったファンがもっと離れていった。最初は先輩方もお客さんも「大丈夫か!?」「おかしくなったんじゃないか」と心配していたんだが、その日のステージは非常に楽しくてな。本当にやりたいことを表現できてるな、といまだかつてない自由を感じたんだ。それが大きなターニングポイントだな。
──SNSでは“毒とキレ”のある存在感が話題となり、インスタのフォロワー数は昨年6月から半年で2000人から約10万人に急増しました。
最初はよくある一過性のバズりだと思って、そんな気にしていなかったんだけれども、ライブに来てくれる人も急に増え始めて。去年9月には大阪にあるJANISという会場でワンマンライブを開催したら、すぐにソールドアウトになったんだ。
──これはすごいことになっているぞ、と。
いや、そのときも「ミーハーな人たちが集まっているだけだ」と信じてなかった。でも、そこからさらに大きい反響があって、お客さんも増えていった。夏から本当に状況も変わったので、正直まだ戸惑っています……。
──まだ戸惑いの渦中にいらっしゃる(笑)。
本当に信じられないというか、奇跡が続いてる。ずっと戸惑っているし、今ナタリーに取材を受けていることも正直信じられない。これは壮大なドッキリなんじゃないかって。
──違いますよ(笑)。
本当か? とにかく私は運がいいなと思う。この状況に感謝をしながら1日1日を送っているな。
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今は救うというよりも、自分自身が楽しいかどうかがテーマ


