山田菜々はなぜアイドルプロデューサーになったのか?大阪発の王道グループ・すべての瞬間は君だった。に注ぐ情熱

NMB48の1期生として活躍し、2015年にグループを卒業したあとはタレント活動などで広く親しまれた山田菜々。2021年に芸能界引退を発表した彼女だが、2024年にアイドルグループ・すべての瞬間は君だった。のプロデューサーとしてエンタメシーンに帰ってきた。表舞台から姿を消していた彼女は、どのような思いで再びアイドルに関わることになったのか。そして、自身が手がけるグループの活動ビジョンをどう思い描いているのか。これまでの歩みを振り返りつつ、山田にたっぷりと語ってもらった。

取材・文 / 小野田衛撮影 / 二瓶彩

2015年にNMB48を卒業したあとの道のり

──このインタビューでは、山田菜々さんがアイドルグループ・すべての瞬間は君だった。をプロデュースするようになった経緯を中心にお話をお聞きできればと考えています。まず山田さんがNMB48を卒業したのが2015年のこと。そこからの道のりを簡単に振り返っていただけますか?

卒業したのがもう11年前か……。ヤバいですよね(笑)。当時はまだ若かったということもあって、とにかくなんでもやってみたかったんです。だけど、その中でも自分が進む道はバラエティが中心になるのかなとは感じていました。

山田菜々

──NMB48時代からバラエティ適性は抜群でした。

バラエティ番組に私が出ると、家族がすごく喜んでくれるんです。それが単純にうれしかったですね。でも、難しいなと悩むこともありました。すごく覚えているのは、「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ系)に出させていただいたときのこと。本当に何もしゃべれなかったんです。で、楽屋に戻って大泣きですよ(笑)。自分の不甲斐なさに腹が立って仕方なかった。

──あの番組、矢のような勢いでトークが繰り広げられますからね。

グループと違って、ソロだと全責任が自分自身にあるじゃないですか。間違いなく大きなチャンスだったのに、それを自分が潰してしまって……。マネージャーさんや周りの人たちはすごくがんばって、その出演枠を取ってくれたはずなんですよ。そのことに対しても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。今でも収録したスタジオの近くに行くと胸がキュッと締めつけられます。

──バラエティだけでなく、映画や舞台でも活躍してきました。

私、石原さとみさんが大好きなんです。演技は向いていたかどうかわからないけど、いつも全力で取り組んでいましたね。あとは写真集とかカレンダーのお仕事も続けていました。結局、ソロになってからの私は、自分の実力というよりも周りのスタッフさんが一生懸命お膳立てしてくれていたんです。だから私としては、なんとかしてその期待に応えたいとがんばっていました。

──よくメディアにも取り上げられていたし、傍からは順風満帆に見えました。それだけに2021年の“芸能界引退”発表は唐突に感じたんですよね。

それはやっぱりコロナが大きかったです。あのときは日本中がステイホームということで、いつもロケに出ていた「王様のブランチ」(TBS系)も自宅から出演したりしていましたし、急に暇になりましたし。

──当時は全タレントがそんな感じだったと思います。

私、もともと家でじっとしているタイプじゃなかったんですよ。NMB48時代はもちろん、その前の高校生時代だってずっと週6ペースでバイトのシフトを入れていました。だから自分はじっとしていたら死んじゃうサメみたいな存在かと思っていたんですけど、意外に大丈夫というか、「おうちにいるの超楽しいやん!」って価値観がガラリと変わりました。ついでに言うと、その頃にワンちゃんを飼うようになって、それも自分の中では大きかったですね。「とにかく仕事!」というモードじゃなくなったんです。それよりも「かわいいこの子を幸せにしたい」という気持ちのほうが大きくなりました。

──それで表舞台から姿を消すわけですけど、すべての瞬間は君だった。を立ち上げるまでの間は何をしていたんですか?

ワンちゃんの洋服をプロデュースしたりもしましたけど……実質的には、ほぼニートみたいな生活でしたね(笑)。あとはSNSかな。といっても、本格的にインフルエンサーとして活動している方みたいに数字を懸命に追いかけていたわけでもなく、のほほんと更新していただけ。自分と自分のワンちゃんが幸せに生活できるくらいのお金があればいいやという考えでした。

山田菜々

ずっと持ち続けていたアイドルへの思い

──そして2024年にグループを立ち上げるわけですけど、NMB48卒業後はアイドルの仕事から遠ざかっていましたよね。

確かに仕事としてはアイドルから距離を置いていたんですけど、プライベートでは一貫してアイドルオタクを続けていました。アイドルはずっと大好きなんです。そもそも私は小学校2年生のときにモーニング娘。さんに憧れてアイドルを目指すようになったのが出発点で、そこから基本的な考え方は1mmもブレていないんですよ。

──ちなみに当時の推しは?

……ずいぶん難しいことを聞きますね(笑)。でも、私が最初にコンサートに行ったときは「ハッピーサマーウェディング」が最新シングルで、ちょうど4期生(石川梨華、吉澤ひとみ、辻希美、加護亜依)が入ったタイミングでした。なので、自然と4人を応援するようになりました。中でも強いて推しメンを挙げるとしたら、石川梨華さんですかね。

──NMB48加入前には、アップフロント関西でSI☆NAというグループに参加したこともあるとか。

そうなんですけど、そのときは学業を理由に辞めて、1回は芸能界をあきらめたんです。それで高校卒業後は医療系の学校に進むことが決まっていたんですよ。だけど親戚からNMB48のオーディションを薦められて、あれよあれよとデビューすることになりました。

山田菜々

──なるほど。いずれにせよ、“アイドル好き”ということに関しては筋金入りということですね。

はい。この前もモーニング娘。'26の牧野真莉愛ちゃんの卒コンに行きましたし、プライベートでもアイドルのライブにしょっちゅう行っています。だからアイドルをプロデュースするというのも、急に思いつきで始めたことではないんです。実際、それまでも何度か「やってみませんか?」というお話をいただいていました。

──そうだったんですね。

でもアイドルが本当に好きだからこそ、中途半端なことはしたくなかったんです。やるからには真剣勝負で関わりたかったし、何よりもメンバーを悲しませるような真似は絶対にしたくなかった。「これは生半可な覚悟じゃできないぞ」という気持ちが強かったんですよね。そんな中、私の考える条件と合うところと出会えたので、すべての瞬間は君だった。のプロジェクトが始まったんです。

──その“条件”というのは、すべての瞬間は君だった。を語るうえで重要な要素かもしれません。差し支えなければ、教えていただけますか?

まず、今のアイドルシーンってすごく幅があるじゃないですか。ライブハウスを主戦場にするライブアイドルもいれば、テレビに出ているようなメジャーアイドルもいて、その中間層もいる。そんな中で私がグループをプロデュースするなら、絶対メジャー志向にしたかったんです。もちろんライブアイドルにはライブアイドルの素晴らしさがあるのは私も知っていますよ。でもモーニング娘。さんに憧れてアイドルを目指すようになり、NMB48で大阪城ホールに立った身としては、やっぱりテレビでキラキラしている姿を見てもらえたのは幸せだったし、アイドルへの憧れってそういう部分もたくさん詰まっていると思っています。

──言葉に説得力があります。

だから最初の打ち合わせの段階で、「CDデビューさせたい」ということをお話ししました。今は配信が中心の時代なので、フィジカルの盤をリリースしないことも多いですよね。でも、ちゃんとレコード会社のレーベルに所属して、そこからきちんとモノとして残る形でリリースするのが大事だと思ったんですよ。

──ビジョンが明確ですね。

あとは条件として「メンバーをお金儲けの商品として扱わない」という部分も強調しました。純粋に夢を持って集まった女の子たちをお金儲けの対象として接するのは絶対にやめてほしいし、ちゃんと1人の人間として誠実に会話してあげてほしい。結局、それはスタッフの心構えの話になるから、最初に方向性を決めておきたかったんです。

王道アイドルが放つ“致死量のキラキラ”で圧倒したい

──グループ結成時、どういうコンセプトにしようと考えたんですか?

王道! ド真ん中の王道アイドルにするつもりでした。世の中にはいろんなエンタメがありますけど、アイドルの楽しさって本当に独特だと思うんです。私、好きなアイドルがステージに出てくるだけで泣けてきちゃうんですよ。キラキラ光っている子たちが歌って踊っていて、そこには夢しか詰まっていなくて、日常の嫌なことなんてすべて忘れさせてくれる。私はこれを「致死量のキラキラ」と呼んでいるのですが、その輝きで見ている方を圧倒させたいんです。大阪に王道アイドルってあまりいないですし。

すべての瞬間は君だった。

すべての瞬間は君だった。

──“大阪発”というのもキーワードになりそうです。

やっぱりアイドルの総数が東京と大阪では全然違うんですよね。東京で王道アイドルを作ろうと思ったら、すでにライバルたちが大勢いるところで戦わなくてはいけない。大阪は数がそこまで多くないからこそ、王道が埋もれないと考えたんです。

──大阪発の王道アイドルという点で大事にしていることは?

ひと口に「王道」と言っても、捉え方は人それぞれだと思うんです。私が考える王道アイドルというのは、まずはなんと言っても楽曲! 曲はめっちゃ重要です。誰が聴いても「アイドルとしてド真ん中の曲だね」と感じてもらえるようなものにしたかった。なので意識してストレートなアイドル曲に寄せています。

──すべての瞬間は君だった。の楽曲には、どこか懐かしいテイストがありますよね。

ああ、それよく言われるんですよ。「やっぱり48グループの人なんだね」とか(笑)。TikTokとか見ていても「これ、いいな」と思った知らない曲が秋元康さんプロデュースだったりするから、もう染みついちゃっているんでしょうね。

──山田さんが本当に好きなものを作っていることが楽曲から伝わってきます。「今はかわいい系の曲が流行っているから、それっぽく作ってください」みたいなことではなくて。

それだったら、山田菜々がプロデュースする意味がないじゃないですか。そうしたら売れるとも限らないですし。あとやっぱり、うちは今どきのグループには珍しくアイドル未経験者ばかりなので、今はとにかく歌とダンスの地力をつけたい時期なんです。だから楽曲もそこに合わせている部分はあります。例えば私はハロー!プロジェクトさんも大好きですけど、ハロプロの曲って技術がめちゃくちゃないと歌えないし、すぐに同じような感動を伝えることは不可能ですから。

山田菜々

──すべての瞬間は君だった。というグループ名もインパクトがありますけど、これも山田さんが決めたんですか?

はい。本当はカッコいい英語のグループ名にして、サブタイトルとして「すべての瞬間は君だった。」と入れるつもりだったんです。でもいろいろと考えているうちに「それがグループ名でよくないですか?」という話になりまして。この名前は自分の経験を言葉にしたものなんですよ。自分の4年半のアイドル人生を振り返ったとき、めっちゃ青春だったし、すべてをNMB48だけに費やしていたことは間違いなくて……応援してくれていた人も、その日その瞬間は私のためだけに会場に来てくださっていたと思うんです。だから「振り返ってみたら、あの瞬間は君だけだったな」という感情なんですよね。

──メンバーだけじゃなくて、ファンの思いも代弁しているわけですか。

アイドルにおいて、ファンの方の存在ってものすごく重要なんです。実際に自分のグループのライブを観ていても、腕がもげるんじゃないかという勢いでファンの方が手を伸ばしている姿を目にすると、思わず感動しちゃいます。その熱狂ぶりが本当に青春だなと思っていて。