今年70歳を迎える長渕剛が、キャリア初となるミニアルバム「JUST ONE」をリリースした。
本作には「乾杯」「とんぼ」「RUN」という、時代を超えて愛される“普遍の歌”のリメイクに加え、現在の彼のリアルな思いを詰め込んだ新曲3曲が収録されている。古希を前に長渕はなぜ今、自身の過去の代表曲を、現在の声で歌い直そうと考えたのか。インタビューでは家族への純粋な思いを封じ込めた新曲「ざくろ」の誕生秘話や、表現者としてのこだわり、新作を携えギター1本で臨むアコースティックツアーへの覚悟など熱く語ってもらった。不器用なまでに音楽と己の人生に向き合い続ける長渕。その揺るぎない熱き魂の言葉をお届けする。
取材・文 / 冬将軍
みんなに愛された歌たちを今の肉声で歌い直す理由
──長渕さんは昔からよく“普遍の歌”の話をされますよね。ご自身の代表曲である「乾杯」(1980年)、「とんぼ」(1988年)、「RUN」(1993年)は、そういった歌になっているのではないかと思います。
僕は最初の頃、アマチュア時代も含めて女言葉で紡ぐ恋の歌が多かった。「女性の気持ちをよく理解してるんですね」とインタビューで聞かれ、「そうですか」と答えていましたね(笑)。その頃は、歌というものは自分の私小説と、男と女の歌、というふうに思い込んでいたところがあったんです。「僕が君に」と、誰かと恋をする。そこから今度は「私は」と、相手が主語になる。その次は第三者として客観的に「この二人は」という3つの歌ができる。一人称なのか二人称なのか、客観なのかで、歌を書いてきたように思うんです。流行ではなく、みんなの心にひたひたと響く普遍の歌というのは、まずメロディが凝りすぎていない、それから歌詞が難しくないこと。この2つは20代後半にはわかってきますが、なかなか簡単にはそういう曲には行き着けないんです。
──わかってはいるけど、なかなか形にできない。
歌を書くには言葉がたくさん必要で、簡単な表現には変換できないんです。僕は作詞家でもあるわけですから、日常を生きて、いつも詩を探している。この言い回しがいいな、花鳥風月の風景を見て詩にしたいな、と大学ノートに走り書き、殴り書きします。曲を書く時期になると、テーマに合わせそのノートに赤線を引きながら詩を拾い集めて、ひとつの作品にしていきます。簡単に歌にはならないんですよ。余計な言葉がいっぱいあるんです。余計な言葉とはなんなのだ?と分析していくと、「俺はさ」っていうエゴなんですね。このエゴを昇華しないと次へ進めない。そういう局面もたくさんありました。エゴをエゴだと客観視し、打ち消していって、簡単な言葉に置き換えていくのは難しい作業だった。でもそれこそが作家冥利に尽きると根差したのは35歳くらいからでしょうか。
──気付いてから、それができるまでにだいぶ時間がかかった。
ええ。それまではよくわからなかった。わかっていても違うと思っていたのかもしれない。その中で「順子」(1979年)はたまたまできたんです。「乾杯」、これもたまたま。「とんぼ」は頭をひねりました。そこからあとの作品は、自分が受けた衝撃や傷、自分が他人に与えた傷みたいなものをどう昇華していくかというところと純粋性から歌を書きました。そこにエゴが入ってくると“みんなのもの”にならない。「それは長渕さん、あなたのことでしょ」って。何小節でもいいから鼻歌として残るように当て込んで考えて、それを削除してみんなのものにしていくことが大事。だけど、やっぱり痛いし苦しいわけですね。そうやって書き上げたものが何曲かあります。「Myself」(1990年)もそうですし、言葉は多いけれども普遍になったものが「西新宿の親父の唄」(1990年)。言葉を削っていくのは非常に苦しい作業なので、今でも難儀しながら書きます。その中で「乾杯」「とんぼ」「RUN」が異常にみんなの心に染み込んだわけです。僕はよくこういう表現を使います。「聴いてる人たちが育ててくれた」と。世に放って10年、20年経ち、自分の作った歌が日本だけでなく今度は韓国から聞こえてくる、中国から聞こえてくる、どこかの国の戦地から聞こえてくる。自分から離れてみんなが育ててくれた、その歌たちが20年、30年経って自分の胸中に帰ってくるようなイメージでしょうか。「みんなに育ててもらってよかったね」と。「乾杯」という歌に対して、「とんぼ」に対して、「RUN」に対して、そういう気持ちになります。「よくがんばったな」と。
──そうした3曲を、今なぜ歌い直そうと思ったのでしょうか?
青春時代であるとか、若き日に聴いていた歌をいつまでも聴くこと、僕にとってそれはいわゆる黄昏ですね。黄昏は自分の人生を肯定してくれないときが多いんです。罪悪感だとか「こうすればよかった」とか、そういった思いで夕日を見て涙を流す。これは前進性がないんです。黄昏は誰にでもありますが、だから今の自分の肉声、69歳の肉声でみんなに愛された歌たちを歌い直す。聴いてきた人たちに今の肉声で聴かせてあげたい、聴いてもらいたい、そういう思いです。そうすると黄昏ではなく、自分の人生の肯定感、あるいは後悔の念、そういったものを全部ひっくるめて、それぞれの人生で前進する大事な何かをもう一度宿らせる。みんなに育てられた歌たちにまた今度は違うエネルギーを注ぎ込んで送っていく。歌たちよ、もう1回飛んで行きなさい!と。詩風に言うと、「おおとんぼよ、勝ち虫よ さぞかしお前の羽も傷ついたであろう もう一度羽を修復してやるから もう1回飛んで行け 勝ち虫として日本、そして海の向こうへ飛んで行け」という、僕と歌だけの秘めやかな話として。それが、歌い直した理由です。
普遍の歌は熟成され返ってくる
──3曲とも原曲イメージを大切にしながら、今の時代にアップデートした印象を受けました。特に「とんぼ」「RUN」のホーンアレンジは新鮮でした。
そうやって言っていただけるのはうれしいです。もちろんリスナーに喜んでいただくために作るんですけど、作った途端に「もっとこうすればよかった」と思うんです。音楽は破壊することが大事ですから、もっとやれたんじゃないかと。なので、正直僕の思いとしては声ですね。声だけは正解かな。ホーンセクションやアレンジを変えたり、ギターを入れ替えたり、ベースを入れ替えたり、それが正解かどうかは正直わからないです。確かなものは今の声で収録したこと。
──自分の今の声で歌った手応えは感じられたと。その反応はリリースされ、多くの人に聴いてもらわないとわからない。
また10年、20年はかかるんじゃないかな。すぐに結果は出ませんからね。そこが流行歌と違って面白いところですね。やっぱり普遍の歌というのは熟成されて返ってくるんで、何年後にどういうものが返ってくるかわからないです。
──「乾杯」は20代のときに作られ、30代のときに歌い直し、シングルとしてリリースされてヒットしました。そして今70歳を迎えようとする長渕さんの「乾杯」。気持ちはどう変化していったんでしょう。
「許す、許せる」っていう気持ち? こんな歌書いちゃって「迷惑してんだ」という時期もあるわけです(笑)。どこ行っても「乾杯」、どこ行っても「とんぼ」。最初は「順子」でしたね。「順子」がヒットしたときは、「歌うもんか!」と10年間歌わなかったんですから。でも一周回ってくると「よかったね」「よし、許す」という気持ちになりますね。ヒットに対する動きについて、音楽だけの力だったのか、テレビの力だったのかとか、いろんなことを考えます。そういったものに対する感謝の気持ちも、やっと自分の中で「ああ、こうやって皆が力を貸してくれたんだな」と思えるようになって楽になりましたね。幸せな気持ちがします。「乾杯」は一時期、教科書に載ったりして、すごくこそばゆかった時期もありましたけど。今はもうあんまりそんなことないですね。
──ちょうど10年前、「2016 FNS歌謡祭」(フジテレビ系)に出演されたとき、生放送で「乾杯」をブルース調のものすごいアレンジで披露しましたよね。
破壊しました!(笑) あれ、僕の最後の抵抗かもしれません。「歌うもんか!」というね。
──賛否両論の反応がありましたけど、すごくよかったです。私の周りでも、特にアーティストからの評判がよかったんです。表現者として表現したいものと、周りから求められるものの差という部分で、共感できるところが多かったんだと思います。
今進むべき方向と、押し寄せてくる波のポイントがずれてくるんですね。「今、そこじゃねえんだよ」って。そういうのって邪魔なんです、生きるうえで。ヒット曲一発打てば10年ごはんが食べられます、ってのはひと昔前の話であって、そこにあやかったらアーティスト人生は終わります。ヒット曲にすがることは昭和歌謡の歴史の一番よくないところだと感じます。どんどん次の作品、新しいものを生み出す。それが巨大な影響力を持ってうねりとして帰ってくるわけですから。そのうねりが自分の行こうとするところにフィットしていればウェルカムだけど、「今、そこじゃねえんだよ」ってときには邪魔だから破壊しちまえ!と意地を張ってやってきたところはありますね。うまくは言えないんだけど、「乾杯」を本当に心から喜んで歌ったことは数少ないと思います。「とんぼ」もね。今は「みんなに聴いてもらおう」「一緒に歌おう」という思いがありますけど、そんなに聴きたいはずがないと思ってましたから。
──「乾杯」をライブで披露するとき、長渕さんは歌わずお客さんに歌わせる光景も珍しくなかったです。
「お前らが歌いたいんだろ、弾いてやるからな」って(笑)。
──長渕さんのライブは、最初から最後までお客さんみんなが歌ってますからね。コロナ禍の声出し禁止の中で開催された「Acoustic Tour 2021 REBORN」ツアー中盤の公演で「乾杯」を披露したとき、それまでみんな我慢していたのに思わず誰かが歌い出しちゃって、最終的に大合唱になった光景をよく覚えています。長渕さんの歌の力のすごさを改めて感じるとともに、「これぞライブ!」という醍醐味を実感しました。
ありましたね。あの時代も、僕らエンタテインメント世界の人たちは「声、出せ出せ」と思ってました(笑)。制作陣営は大義があるので、いろんなことを試みていたわけですけど。今だから話せることだけど、「絶対歌わせてやる!」と思ってましたし、みんなもその扉を開ける瞬間を待っていたように感じました。いい突破口をアーティストとオーディエンスが作りましたね。




