idomが7月18日と19日に、東京と大阪のビルボードライブにて「idom Billboard Live」を開催する。
同月10日にアルバム「idom Deluxe Edition」をリリースするidom。今回の公演は、自身の葛藤や孤独の解像度をさらに引き上げた彼が次なるステップとして挑む、全編生演奏のステージだ。ライブの開催を記念し、音楽ナタリーではおよそ3年ぶりにidomにインタビュー。少年時代の苦悩を赤裸々に描いた「Treasure」の制作背景、教会でのクワイア収録によって得た救い、ステージ上で「祝福」を願う現在の心境から、「ライブはこうでなきゃいけない」という固定観念からの脱却にいたるまで、この3年間における彼の内面の動きを深く掘り下げた。
取材・文 / 真貝聡撮影 / YURIE PEPE
公演情報
idom Billboard Live
- 2026年7月18日(土)東京都 ビルボードライブ東京
[1st]OPEN 15:30 / START 16:30
[2nd]OPEN 18:30 / START 19:30 - 2026年7月19日(日)大阪府 ビルボードライブ大阪
[1st]OPEN 15:30 / START 16:30
[2nd]OPEN 18:30 / START 19:30
観客が増えるほど恐怖心が大きく
──音楽ナタリーの取材は2023年の2nd EP「EDEN」以来ですが(参照:idom「EDEN」インタビュー|コロナ禍の喪失を経て音楽の道へ、異色の経歴持つ新人が“楽園”に込めたメッセージ)、この3年間はidomさんにとってどんな時間でしたか?
「自分が本当にやりたい音楽とは何か?」を探る時間がかなり長かったです。今もその途中ですけど、「EDEN」のときは音楽を始めてまだ間もなかったので、何もかもが探り探り。正直、自分がやりたいことだけをやっていたというより、本来の自分だったらやらないだろうなってことや、苦手なこともやっていたんです。そこから少しずつ「心から納得できる表現を追求しよう」と必死に模索した3年間でした。
──自分のやりたいこと以外もやっていたときは、どんな心境だったんですか?
振り返ると、音楽活動を開始したのが2020年で、2022年からメジャーレーベルに所属させてもらっているんですけど、自分がこのシーンの中でどう動くことが正解なのかがわかってなくて。「こうしてみたら?」とアドバイスをもらったら、それをやらざるを得なかったというか。わからないことばかりだったので、ひとまずは言われたことをやっていくしかない。当時は、とにかく目の前のことをこなす日々でした。
──2024年7月に「B.M.S.」をリリースしたあと、一度立ち止まった時期がありましたよね。
まさにそのタイミングくらいから「自分が本当にやりたいことはなんだろう?」と深く考えるようになりました。「今、世の中にどんな曲を出したら受け入れられるのか」を意識しながら制作に臨んではいたんですが、それが自分のやりたいこととどう結び付くのかをずっと探っている感覚でした。
──あと、当時は人前でライブをすることが怖かったそうですね。
もともと僕は人前に出て話したり歌ったりするのがあまり得意なタイプではなくて。最初は仕事としてやってる意識が強かったんですよ。それが自分の曲を聴きに来てくれるお客さんが増えれば増えるほど、恐怖心が肥大していって。自分が会ったことのない不特定多数の人たちが“idom”を知ってる状況が、だんだんプレッシャーになっていきました。ライブに出るのがしんどくなったのは……いつくらいかな? 2025年2月に「Baby.U」を出すまではけっこうきつかったですね。覚えているのが、会社で「今後はどうしようか?」という話し合いになったとき、「曲を消費するようなリリースはしたくない」と伝えたんです。というのも、今はたくさんの音楽コンテンツが存在しているから「とにかく出せ出せ」といったように、次から次へと曲が作られては、すごい早さで消費されてるように感じて。
──サブスクが普及した影響もあって、今は月1曲、人によっては数週間単位で楽曲をリリースするアーティストも珍しくないですよね。
そうなんですよ。僕は曲を連発するよりも、一曲入魂じゃないですけど、1曲1曲、時間をかけて作っていくのが自分らしいなと思い始めています。あとは、自分のポテンシャルや強み、idomのよさが一番出る曲は何か、僕の音楽を求める人ってどういう人なのか──そういった分析も兼ねて、一度自分を見つめ直そうと。もともとは会社主体で活動していたところが少なからずあったけど、そこからは自分主体で進めるフェーズに移行しました。
──「Baby.U」を発表したときは悩みや葛藤が吹っ切れていた?
自分の中では自信があったんですけど、会社の人に初めて聴いてもらったときはあまり反応がよくなくて(笑)。でもSNSに曲の一部を上げてみたら自分が予想していた以上にちゃんと評価されて、やっぱり間違ってなかったと思えました。もちろん「Baby.U」の方向性だけが正解とは思ってないですけど、idomというアーティストの1つのスタイルとしては、こういうのもありだなと感じましたね。
「この経験は無駄じゃなかった」と思うために
──昨年11月7日にリリースされた1stアルバム「idom」は、どんなモチベーションで制作されたんですか?
メジャーデビューをする少し前から、J-POPをはじめ自分のルーツではない音楽も作っていたんですけど、このアルバムは「ちゃんと自分の源流に立ち返ろう」という思いで作りました。リリックもそうだし、トラックにおいても僕のありのままを表現した、自分らしい作品にしたかった。「Heaven」「byebyebye」「Only Baby」は、今まで一緒にやってきたビートメイカーの人と一緒に作ったんですけど、それ以外の12曲は全部自分で制作して。自分の中にあるものを表現した“裸のアルバム”になったと思います。
──収録曲「Treasure」ではご自身が学生時代にいじめに遭っていたことも含めて、過去のつらい出来事を赤裸々に表現されていましたよね。こういった経験も歌にするのかと驚いたし、idomさんの覚悟も感じました。
世の中には数多くのアーティストがいるし、名曲も数え切れないほどある。じゃあ自分は何のために曲を作るのかと考えたとき、過去のつらかったこととか、心を痛めた経験が「無駄じゃなかった」と思うために、自分にしか歌えない曲を書かなきゃいけないなと。僕は子供の頃から家が貧しかったり、家族が病気を抱えていたり、学校とか周りの環境もあまりよくなかったりして。10代の頃の自分は、この苦しみが永遠に続いていく感覚があったんですよ。何不自由ない普通の家に生まれた子と自分を比較して「うらやましいな。俺はずっとこの暗い場所にいるのかな」って。当時は悲観的に考えることしかできなかったけど、今は「そんなことはない」って言いたい。昔の自分と同じような気持ちでいる人たちに向けて、僕だからこそ伝えられる言葉があるはず。それを曲にしなきゃいけないと思いながら「Treasure」を作りましたね。
──歌詞の中に「中3で覚えた大嫌いなタバコ イジメに耐えても担任はシカト」という具体的な描写がありますけど、やはり中学時代が一番きつかったですか?
いや……ずっとハードなシチュエーションにいました。小学校の中盤ぐらいからそういう感じでしたね。まあでも、中学がけっこうきつかったかな。自分がいる環境のせいもあって、何をしても「俺なんて……」と思ってしまう10代を過ごしていました。
──「貧しかった」と言いましたけど、どのくらいの?
母の体があまり強くなかったこともあり、国からの保護、援助無しでは生きていけない状況でした。住んでいたのも取り壊し直前のボロボロの家で、2人で住むにはものすごく狭かったです。母は僕にちゃんとごはんを食べさせたいと思ってがんばってくれていた一方で、母自身は何も食べずに黙って我慢していたことも少なくなかった。僕自身もお腹が空いた時は枕をお腹に押し当てて空腹を紛らわせたり……もっと苦しい状況の方もいるとは思うのですが、だいぶ貧しいほうだったと思います。
──小中学生だったら「将来はスポーツ選手になる」「社長になる」などと大きな夢を抱く子も多いですけど、idomさんは将来の夢を描く余裕すらなかったのかなと感じました。
そうですね。だから「将来は〇〇になりたい」と思ったことがなかったです。そのときの自分が選択できる効率的な道──自分の環境で進めるベストな道に進もうとはしていたんですけど、まずその意識に持っていくまでが大変でした。中1ぐらいのときには、本気で人生を終えようかなと考えたこともあって。
──そこまで……。踏みとどまれたのはどうして?
やっぱり「親が悲しむな」って。悲しむというか、僕がいなくなったら母親には何もなくなるかもしれない。周りの同級生にいじめられたりとか、いろいろ絶望しましたけど、どこかで悔しさもあったんだと思います。このまま終わりたくないって。身近に亡くなった友達がいたので、それも大きかったです。
──僕が言うのも変ですけど、そんな極限状態の生活を送っていた人が、よくこんな立派になられましたね。
はははは。苦しい状況ではあったけど、母もそばにいてくれたし、近くに祖母も住んでて。家族が愛情を持って僕を育ててくれました。高校卒業後はお金がないから国公立の大学に進むことにしたんですけど、それを母親に言ったら最初は「へえ、そっか」と軽い返事で。でも家のパソコンを開いたら、検索履歴にバーッと大学のことを調べていた形跡があったんです。実は、かなり気にしてくれていたんだなって。母親は僕に干渉するわけではなくて、むしろわりと放任されていたんですけど、実際は誰よりも心配をしてくれていたんですよね。そんな家族のおかげで、なんとか持ちこたえられていた。あと僕は昔から音楽を聴くのが好きだったので、それこそ音楽に救われた部分もありますね。
自分を守れるようになった
──冒頭で「自分は何をすべきかを模索していた」と話していましたけど、idomさんが自身のルーツも投影したアルバムを作ったことで、“作るべき音楽”がより明確になったのではないかと思います。実際はいかがですか?
僕はラッパーでもなければ、音楽のジャンルもヒップホップではない。ですけど、自分のリアルを歌うことが重要だという思いがあります。過去の実体験から外れすぎる歌は作れないんです。もちろん企画によっては架空のシミュレーションで曲を書くこともいいとは思うんですけど、自分の魂から出た言葉がベースにないと聴き応えがないと感じるんです。idomの音楽を聴く付加価値はそこだと思いたい。歌詞とかメロディに関してはわりと一貫して、自分の身から出たもの、赤裸々な思いを曲にすることを常に目指していますね。
──大きな心境の変化があったというより、もともと意識していたことをより重要視するようになったということなんですね。アルバムのリリース後、11月14日にZepp Shinjuku(TOKYO)で開催された「idom Live 2025 "ONE LOVE, TWO HEARTS"」で「あなたを愛するように」を歌ったとき、「みんなが集まってくれて、今まで一番自分を愛せそうだよ」と発言していたのが印象的でした。
アルバムを作ってるとき、本当に孤独で。自分の過去を掘り下げていく作詞の作業は、メンタル的に大きなダメージを負ってきつかった。最後に「Hallelujah」という曲の収録を教会でやったんですよ。僕の周りにいるクリスチャンの友達に集まってもらって、クワイアを録ることにして。最初は数人に頼んでいたんですけど、友達がさらに別のクリスチャンを連れてきて、最終的には教会が人でいっぱいになったんです。そのときに「1人じゃないな」と思えたし、自分の苦しさも掬い上げてもらえた気がした。ライブも同じで、お客さんが集まってくれたことに感謝の気持ちが込み上げてきたんです。
──改めてこの3年間でidomさんが得たものはなんでしょう?
自分が表現したいものをまっすぐ形にできるようになってきた感覚があります。僕はわりと落ち込みやすい性格なので、この仕事を続けていくためのモチベーションを保つのが大変なんですよ。誰しも弱さとかダメな部分はあると思いますが、僕の場合は、曲作りを通して自分自身と向き合うことで成長している。以前は誰かと比較したり変な誤解や嫉妬をされたりもしたけど、そういったマイナスな要因から自分を守れるようになったのは大きな成長だと思います。
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「祝福」を願ってステージに立つ



