Archeが信じるのは生きづらい人生も反転させる音楽、メジャーデビューアルバム「THE BLACK SHEEP OF THE FAMILY」を語る

Arche(アーキ)がニューアルバム「THE BLACK SHEEP OF THE FAMILY」をポニーキャニオンより6月24日にリリースし、メジャーデビューを果たした。

ヒップホップやネオソウルの影響を受けたボーカルスタイルを基盤に、日本語特有の曖昧さを生かして人間の内面を描く歌詞で独自の音楽性を築いてきたR&BシンガーソングライターArche。メジャーデビュー作には、昨年11月発表の「Life」、カンテレ×FODドラマ「顔のない患者-救うか、裁くか-」のオープニング曲「do for love」、柊人を客演に迎えた「or(feat. 柊人)」など8曲が収録されている。音楽ナタリーではメジャーデビューを果たした心境やアルバムの制作経緯について詳しく聞いた。

取材・文 / 矢島由佳子撮影 / YOSHIHITO KOBA

メジャーデビューしても変わらずにいきたい

──ニューアルバム「THE BLACK SHEEP OF THE FAMILY」で、ついにメジャーデビューですね。最近は「メジャーとインディーの差がなくなっている」と言われることもありますが、Archeさんはメジャーデビューをどう捉えていますか?

10代の頃は「プロの歌手になるにはメジャーデビューという方法しかない」「歌手を目指す=メジャーデビューを目指す」だと思っていたんですけど、インディーで音源を出すようになってからは、メジャーでもインディーでも関係ないと思っていました。でも、リスナーへ「メジャーデビューします」という報告をしたとき、思った以上に喜んでくれてびっくりしました。

Arche

──「THE BLACK SHEEP OF THE FAMILY」でのArcheさんの表現は、メジャーに行くからといって丸くなることは一切なく、むしろよりとがっていて、今の社会に言ってほしいことを言ってくれているなと感じました。

そうですね。メジャーだから丸くなるとかはなく、むしろその対極に行ったんじゃないかな(笑)。これをメジャーでやるのが、「使命」とまで言ったら大袈裟かもしれないですけど、自分がやる意味だと思っています。メジャーデビューしていきなりきれいなことを言い出したら「なんのために歌ってんの?」って自分で思うから、そこは変えずにいきたいなと思っていました。

10代の頃は周りが全員敵だと思っていた

──そもそも「THE BLACK SHEEP OF THE FAMILY」=「一家の黒い羊、家族の中の変わり者」という意味の言葉をタイトルにしたのは、このアルバムでどういうテーマを歌いたかったからなのでしょう。

前作「sublimated」と同じく、どこに行っても厄介者、はみ出し者みたいな扱いを受けることが多かったんですけど、自分は音楽に居場所を与えてもらったと思っていて。感受性が強すぎるせいか、考えなくていいことまで考え込んじゃう性格で、親とも相性が合わなくて関係がうまくいってなかったし、学校、バイト先、恋愛、対人関係でも「生きづらいな」と悩むことが多くて。10代の頃は「周りの人は全員、敵」みたいに思って、道ですれ違う人全員をにらみつけるくらいだったんです。そんな中で、ユング心理学に出会って自分が生きづらい原因がわかるようになって、それからは自分のことも人のことも否定しなくなりました。フラットにものを見られるようになったというか。

──自分のことも他人のことも否定から入ってしまうという考えに陥っている人は、年齢関係なくいると思っていて。そういった人たちへ、ご自身の経験から伝えられることがきっとあると思うんですけど、Archeさんはそこからどうやって変われたんですか?

周りを敵だと思っていたときは、他人軸で生きていたんですよ。全部、他責だった。自分の内面や感情を深掘りして理解することなく、周りに振り回されていたし、それで余計に周りを傷付けてしまう、という悪循環で。でも自分軸で生きるようになってからは、「自分が今こうなっているのは、こう思っているからだ」ということが冷静に見えるようになりました。もう1人の自分が上にいる感じ。そうなったら、人に対して「なんだこいつ」と思っても、「この人は今こういうふうに思っているから、こういうことを言ったんだな」ということが分析できるようになって、前ほど「全員敵」だとは思わなくなりました。

Arche

他人は自分を映す鏡

──例えば1曲目「do for love」で書いている「すれ違った 二度と会うことのない人にもある それぞれのLife」などは、今話してくれたことそのままですよね。この楽曲だけでなく全体を通して、愛のないSNSの世界に対する言葉をいくつも表現していて、画面やコンテンツの中ですれ違う人にももっと想像力を働かせようよ、ということを発信されていると思うんです。

そうですね。誹謗中傷とかいろいろ、みんな暇潰しで言っているんだと思うんですけど、2、3日したら言った本人は忘れているんですよ。そんな言葉に振り回されるのは馬鹿馬鹿しいなと思うし、信じられるのは自分しかいないじゃんとも思う。他人軸で生きても自分を苦しめるだけで、自分と向き合うより他人に振り回されて生きるほうがすごくしんどい。だから昔の自分のような人には、そういうふうに思ったほうが楽だよということを知ってほしいですね。「別に周りはどうでもよくね?」と思ってほしい。「インスタ映え」「TikTokバズ」みたいなものが「他人から評価をされていない自分は価値がない」という他人軸の考えを助長していると思うんですけど、そうじゃなくて、もっと自分と向き合う人が増えたら、何かが変わるんじゃないかと思います。

──私は最近SNSを見ていて、「なぜ人は、こんな言葉や行動を公の場に出せてしまうのだろう」と絶望することが多いんですけど、この曲を書いたときのArcheさんは、どういう感情が一番大きかったですか? 絶望、あきらめ、怒り、もしくは希望など……。

「do for love」は、冷静に見ているかもしれないです。「人の振り見て我が振り直せ」と言いますけど、人のことを言うとき、それは同時に自分のことを言っていると思うから。結局他人って、自分を映す鏡だと思う。自分自身も同じことをしているんじゃないかなと思ったら、偉そうなことや綺麗事をあまり言えなくなるなと思います。

Arche

怒りを善に使うのか、悪に使うのか

──2曲目「in the room」でも「手のひらの世界の中で 悲劇と喜劇をスワイプ 指先は鋭いナイフ」などと画面の中の世界について歌われていると同時に、「流れてるビートの中で 洗い流す 煩悩だけ 凶器が音に変わるだけ」と、Archeさんにとって音楽とは何かということも歌われていると思います。これはどんなことを考えながら書いた曲ですか?

この曲のテーマは怒りですね。怒りを何に使うかによって、価値あるものにもなれば、マイナスなものにもなると思っていて。結局、表現の仕方だなと思う。自分の場合は怒りを音楽にぶちまけられるからどうにかなっていますけど、怒りは誰にでもあるもので、怒りで我を忘れてしまう人のことを他人事とは思えないというか。この曲はある事件の犯人をモデルにして書いたんですけど、その人も表現の仕方が違ったら、怒り自体が何か違うものを生み出す種になっていたかもしれない。だから、その人が部屋で怒りを音楽にぶちまけている場面を表現してみようと思った曲です。怒りを善に使うのか、悪に使うのか、その分かれ道を書きたいなと思っていました。

──怒ること自体を「ダメ」とする考えもあるけど、私も怒るべきときは怒ったほうがいいと思っていて、おっしゃる通り、それをどう消化し表現するかを考え続けたいですね。

今思い出したんですけど──そう思うようになったきっかけは、サルバドール・ダリ展で衝撃を受けたことでした。ダリはシュールでぶっ飛んでいる系の作品が有名だと思うんですけど、それだけじゃなくてグロテスクな作品がいっぱいあったんです。ダリもネガティブな感情を絵に昇華する方法を持っていたから、誰かを傷付けることはなく、カリスマと言われたわけじゃないですか。自分もそうなりたいなと思いました。

2026年6月26日更新