「さんピンCAMP」とその時代 第5回 前編 [バックナンバー]
「さんピン」直撃世代の2人が語る90年代ヒップホップファンの熱く純粋な“ソルジャーマインド”
サイプレス上野(サイプレス上野とロベルト吉野)×SATUSSY(韻踏合組合)対談
2026年7月6日 19:00 12
伝説のヒップホップイベント「さんピンCAMP」の全貌に迫るべく、当時の関係者や出演アーティストへのインタビューなど、さまざまなコンテンツをお送りする連載企画「『さんピンCAMP』とその時代」。最終回となる今回は、観客として「さんピンCAMP」の会場に足を運んでいた
取材
当時10代だった人はいかにして「さんピンCAMP」を知ったのか
──日比谷野音で行われた「さんピンCAMP」の現場には、3000人のB-BOY / B-GIRLが集ったことが、この連載の第1回で明らかになりました。
SATUSSY ってことは、僕らはその3000分の2ですか?
サイプレス上野 組合長(SATUSSY)もいたんですか?
SATUSSY 行ってますよ!
サ上 大阪から? 半端ないっすね! 組合長とは付き合いが長いけど、「さんピン」の話をちゃんとしたことはなかったな。
──組合長は1人で行ったんですか?
SATUSSY そうです。誘ったけど誰も来なかったですね。なんせ東京やし。でも僕は1人でも行くみたいなバイブスでした。僕は大阪で行われた「さんピン」にも行ってますからね(連載初回でも触れられているように「さんピンCAMP」は東名阪ツアーとして行われた)。その両方に行ったのは、おそらく僕1人なんじゃないかなと自負してます(笑)。
サ上 俺は当時やってたグループ・DREAM RAPS(MCの上野、WATA、TERA、DJの油井俊二によるユニット)の3MCで行こうと思ってチケットを取ったら、ほかの2人が「行かねえ」って。それでヒップホップにあんまり興味がない高校の同級生と行きました(笑)。
──SNSもない時代に、テレビで大々的に告知されていたわけではなかった「さんピンCAMP」の存在は、どのようにして知ったんですか?
SATUSSY 僕は当時のCISCO大阪店ですね。試聴機のところにフライヤーがブワッと置いてあって、「なんなん、これ?」と。しかもフライヤーのサイズがデカかったんですよ。A4サイズぐらいで、映画のパンフレットみたいな感じで2つ折りになってて。作りが珍しいから目について、広げたら「すげえ! こんなメンツが出るイベントがあるんや!」と衝撃を受けて。今もそれを明確に覚えてますね。
サ上 メンツの豪華さにびっくりしましたよね。俺は最初、雑誌の「Fine」で知ったのかな。とにかく七夕は空けとかなきゃって。そのあとに俺もレコ屋でそのフライヤーを見て、さらにワクワクしました。
SATUSSY フライヤーが映画のパンフレット形式になってるのは、「さんピン」のドキュメンタリー映画を撮ろうっていうところから逆算してのことだったのかな?
サ上 プロデューサーの
SATUSSY イベントをやります、それを映画にします、それに先がけてサントラ(コンピレーションアルバム「さんピンCAMP ECD PRESENTS THE ORIGINAL MOTION PICTURE SOUNDTRACK」)を出します、という一連の動きの中に、パンフレット形式のフライヤーがあった気がする。イベントの告知もそうやけど、サントラの宣伝的な意味合いも、あのフライヤーからは感じたよね。
サ上 そうっすね。当時あのサントラを聴いて「メジャーのエイベックスからこんなCDが出せるんだ!」と単純に思ったんで。
大阪から野音に駆け付けたSATUSSY、一方のサ上は日比谷線で…
──「さんピンCAMP」が開催された1996年は、組合長が19歳、上野さんは16歳になる年ですね。その時点で日本語ラップはかなり聴いていた?
サ上 聴いてました。俺は「さんピン」の映像に収録されてる、
SATUSSY それはヤバい!
サ上 でも、あれは“帰国ライブ”じゃなかったみたいですけど。すでに、ちょっと前に日本に帰ってきてたっていう(笑)。「さんピン」の映像でも、ブッダのメンバーがニューヨークから帰国するシーンがあるけど、アメリカから帰ってきたっていう画作りのために空港で撮影して、実はスーツケースは空だったそうで(笑)。あくまで“帰国”を前面に押し出して。
SATUSSY あるよね。そういう“言ったもん勝ち”に俺らも夢を見てたわけで(笑)。
サ上 最高ですよ。でも今思えば、ブッダが凱旋帰国して、「さんピン」に向かっていくぞ、大トリに出るぞ、シーンもデカくなるぞって、ストーリーがつながってはいたんですよね。そういうシーンの胎動を感じさせるような空気は、俺も含めて多くのリスナーやファンが感じていたと思うんです。「さんピン」に来なかったDREAM RAPSのほかの連中以外は(笑)。
SATUSSY 当時はヒップホップを聴くやつが限られてたから、みんな情報を探っていたよね。
サ上 マインドとしては“ソルジャー”でしたよ(笑)。
SATUSSY そう! 当時のヒップホップファンは、みんなヒップホップのために戦うっていう、ソルジャーマインドがあったよね(笑)。
サ上 だから「さんピン」に向かう道中も怖かったっすよね。みんな気合い入ってた。俺は地下鉄の日比谷線で向かったんですけど、目の前に座ってたB-BOYっぽいやつに「お前、ラッパー? 俺、上千代っていうんだけど」っていきなり声をかけたんですよ。
SATUSSY (ラッパーネームが)“上千代 THE 闇スナイパー”時代(笑)。
サ上 それで、「言刃(コトバ)」って曲が入った自作のデモテープを「これ聴いてくれよ」って渡して謎のマウントを取ったんです(笑)。16歳のガキが精一杯イキがって。
──かわいすぎる(笑)。
サ上 でも、連絡先を書いてないから、そこからなんの発展もなくて。向こうも変なやつに急にデモテープを渡されただけ。
(一同笑)
──相手もただダボダボの服を着てただけの人かもしれないんでしょ?
サ上 そう、「さんピン」に行くかもわからない(笑)。
SATUSSY ははは! でもそういう時代だったよね。同じような格好してるやつを見たら、仲間みたいに思うノリがあったわ。だから、上ちょ(サイプレス上野)が日比谷線で声かけたのもすごくわかる。
サ上 なんていうか……寂しかったんですよ(笑)。日比谷線なんて乗ったことなかったし。それで同じような格好してるやつを見たから、うれしくなって慌ててデモテープ渡しちゃって。本当に渡すべき人には渡してない。
SATUSSY 会場で関係者とかに渡さんと!(笑)
サ上 そうなんすよね~。それぐらい舞い上がってたし、緊張もしてた。
SATUSSY でもわかるな。僕も行きの新幹線は、上ちょの日比谷線とは比べものにならないくらい心細かった。もちろん野音も初めてやったし。でも日比谷駅から同じような格好の人についていったら野音に着いた(笑)。
サ上 迷彩服に身を包んだ軍隊みたいなやつらと一緒に(笑)。
SATUSSY そうそう!(笑) 俺も迷彩のショートパンツを履いてたと思う。当時のヘッズはみんな迷彩服を着てたよね。
サ上 俺は「さんピン」の映像に客として映ってるんですけど、意外とおしゃれにエディー・バウアーを着てるんですよね。
SATUSSY しゃれてんな。どこが闇スナイパーやねん(笑)。
サ上
SATUSSY が語る90年代の大阪ヒップホップシーン
──せっかくなので90年代の大阪のヒップホップシーンについてもお話を聞かせてください。当時の大阪のシーンは、組合長からはどのように見えていましたか?
SATUSSY すごく局地的で狭いシーンだったと思いますね。イベントの本数も限られてたし、そもそもプレイヤー自体が少なかった。だけど、それぞれの個性はめちゃくちゃ濃かったと思いますね。ファミコンのカセットで「いっき」ってあったじゃないですか? ゲームとしてのクオリティは今と比べものにならないんだけど、めちゃくちゃ個性的で、のちのちまで語り継がれるっていう、そういう感じ(笑)。
──当時は大阪や地方のシーンの情報を見聞きする機会が本当に少なくて。
SATUSSY そもそもヒップホップの記事が少なかったし、そうなるとやっぱりメディアが集中してた東京のシーンが取り上げられますよね。それは仕方ないとわかりつつも、それに対して僕らのような地方のラッパーは、「俺らのほうがイケてるんちゃう?」と思うことはやっぱりありました。名古屋の
サ上 俺は「Fine」で情報をチェックして、今はCOCOLO BLANDというアパレルをやってるHARA-Qさんの12inchとか買ってましたよ。
SATUSSY すげえな。HARA-Qさんは大阪の第1世代やからね。
サ上 その話をすると「昔の話をするな!」ってすげえ怒られるんですけど(笑)。ちなみに大阪でいうと、脱線3はどんな立ち位置だったんですか?
SATUSSY 脱線3は大阪の第1世代から生まれたスターって感じ。パブリックイメージとしてはお笑いみたいな感じがあると思うし、実際そういう部分もあるけど、実は脱線3はめちゃくちゃハードコアな、大阪のヒップホップシーンの核みたいなところから出てきた人たちやから。僕が聴き始めた頃には、すでにソニーから「XXX JAPAN」(1995年)でメジャーデビューしていて、所属事務所は吉本興業という、もう完全に「売れてる人」だった。
──音楽番組やCMにも出ていましたからね。
SATUSSY 確か、メンバーの丹南さん(KING 3LDK)から聞いたけど、
──昔のイメージ通りの吉本興業!(笑)
サ上 わはは。でも、そもそも大阪でもプロップスがある人たちだったんですね。
SATUSSY もちろん。超ストリートなゴリゴリのアメ村第1世代。俺もすごくリスペクトしてる。
──KING 3LDKさんは韻踏合組合でも「口癖」などのプロデュースに関わっていますね。
SATUSSY でも、当時は
──実際、LBネイションのメンバーだし、「さんピンCAMP」の1週間後に同じく日比谷野音で開催された「大LB夏まつり」にも出演していました。
SATUSSY 当時のヘッズは「『さんピン』はハードコア、『LB』はおしゃれでナード」みたいなイメージで分けてる感じがあったよね。
サ上 そうっすね。高木JETくんに映像を貸してもらって「大LB夏まつり」を観たんだけど、本当に「さんピン」とは真逆な雰囲気なんですよね。ソルジャーが誰もいない(笑)。
SATUSSY そうなんや。
サ上 俺はスチャも大好きだったから「大LB夏まつり」も行きたかったんですよ。でも、高校野球の予選大会の日と重なっちゃって。当時、俺は応援団に所属してたから絶対、野球の応援に行かなきゃいけなかったんです。それで「大LB夏まつり」はあきらめました。悔しくて泣きながら応援してましたね、あの日は(笑)。
アンダーグラウンドシーンの総力戦
フォローして最新ニュースを受け取る
サイプレス上野 p.k.a.上千代the闇スナイパー @resort_lover
「さんピンCAMP」とその時代 第5回
よっしゃっしゃっす🙌
https://t.co/yLniFfpZx3
https://t.co/2pTIG73RUW https://t.co/r29hOtZWr9