「さんピンCAMP」とその時代 第4回 後編 [バックナンバー]
「さんピンCAMP」が次世代のヒップホップシーンにもたらした功罪とは
RYO-Z(RIP SLYME)×DABO(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)対談
2026年6月16日 19:00 9
伝説のヒップホップイベント「さんピンCAMP」の全貌に迫る連載企画「『さんピンCAMP』とその時代」の第4回は、
取材
DABOが「さんピンCAMP」のステージに上がった経緯は?
──お二人は「さんピンCAMP」開催の情報をどのように聞いたんですか?
RYO-Z 僕は洋服屋さんで働いてたからフライヤーで知りました。「ポスター貼ってください」「わかりました」とか言って。
DABO 最初はもっとデカい話だったよね。ヒップホップの映画を作るって。
RYO-Z そう。「ナイトフライト」(TOKYO FM「HIP HOP NIGHT FLIGHT」)でも宣伝してたし。
DABO 日本版「WILD STYLE」を作るって聞いてたから、えらいことになるぞと思ってたら、結局イベントになったんだ、みたいな。
RYO-Z それでも当時にしたらすごいことだよね。日本初のヒップホップオンリーフェスだったんだから。
──「さんピン」当日、DABOさんは
DABO あの日、俺たちは「袖で見れるぜ、イェイ!」でしかなかったんですよ。シード枠のヘッズって感じで。だから、出番前で集中してるMUROくんに「がんばってください」とか声かけたりして。うざいよね(笑)。
RYO-Z がんばるに決まってるのにね。今、声かけんじゃねえよ、みたいな(笑)。
DABO そしたらMUROくんが「みんなもステージに出て盛り上げちゃってよ」って言うのよ、急に。あと30秒でDJ WATARAIが音を出しますよっていうタイミングで。野音のステージなんか立ったことないし、3000人の前に立つこと自体ないから「マジか!」って。それで初めてのモブ(笑)。
RYO-Z モブじゃなくて、ポッセね(笑)。
DABO でも何やっていいかわかんないし、手を挙げるぐらいしかできない。ステージの前のほうなんて怖くて行けないし、客の目も見れないし。ただ、忘れもしない。MUROくん一流のあのキザな紹介の仕方で、「俺の右の翼と左の翼を紹介しよう」って
ステージ上のDABOを羨望の眼差しで眺めていたRYO-Z
──RYO-Zさんは、「さんピン」当日どこにいたんですか?
RYO-Z 客席にいました。
──最初から観ていたんですか?
RYO-Z リハからいました。そしたらリハに
──楽屋ゾーンには行ってないんですか?
RYO-Z 行ってないです。だからDABOが出てきて、「すげえ!」と思った。こっちは呼ばれてもいないのに(笑)。
DABO だから順番がおかしいんですよ、俺とRYO-Zの。
RYO-Z 俺らは先にCDを出したけど、DABOは「さんピン」のステージに上がってて、「ずりい」とか思って。それより前にさかのぼると、雷が西麻布のYELLOWでやった「亜熱帯雨林」のオープンマイクに俺と
DABO 俺、その光景を観てたんですよ。
RYO-Z そういう切磋琢磨があったから、「さんピン」のステージに出てるDABOに俺はジェラスですよ。俺たちがデビュー間もない頃に錦糸町のNudeで一緒にイベントやってた
DABO そうだったの?
RYO-Z で、TWIGYくんも出てないでしょ。SHIKIも辞める。それがアンダーグラウンドの判断なんだなと勝手に思ってた。
DABO シーンが次のフェーズに入っていたのかもね。「お前ら、歌えてうれしいだろ?」「うれしいっす」で終わらない動きが出てくるくらいシーンが成熟していたっていう。あえて出ないという判断が出てくるってことは、そういうことですよね。
RYO-Z そう。「こんな大きなフェスから声がかかったんだから絶対出ます!」っていうんじゃなく、SHIKIは自分の信念を通して、「さんピンに出るなら、俺辞めます」って言ったわけで。
DABO 暗闇にある俺たちの宝物が日の当たる場所に出ちゃうような感覚だったんだろうね。そこでSHIKIは「暗闇でいい、暗闇にいたい」と思ったのかも。
RYO-Z でも、そういう考え方もあるんだなと思った。「だから俺も出ないんだ」って、出てない自分を正当化してた(笑)。自分は呼ばれてないだけなのに。
RHYMESTER「口からでまかせ」がシーンに与えた影響
──当日は、RHYMESTERが出演していますが、FUNKY GRAMMAR UNITで出ようという話はなかったんですか?
RYO-Z それはなかったですね。クルーとしては「FG NIGHT」や「YOUNG MC’S IN TOWN」をやってたけど、それ以外は当時から全部個別の活動だったから。むしろRHYMESTERがこういうことをやるんだったら俺たちは違うことをしようとか、全員そういう感じでしたね。クルーといえど、ちょっとしたライバルでもあるという。
DABO RHYMESTERって当時、特別な使命を帯びてて、どことも付き合える人たちだったじゃん。キングギドラとSOUL SCREAMをフィーチャーしたRHYMESTERの「口からでまかせ」がシーンに与えた影響はめちゃくちゃ大きかったと思う。「全然スタイルは違うけど認め合ってるんだ、ここ」みたいな。それによってシーンのコクが深くなったというか。
RYO-Z それまではバラバラだったからね。ペイジャー一派がいて、FGがいて、雷がいて、LBがいて。一見、それぞれ対立してるような図式になってたけど、実はそうじゃないんだというのがあの曲で可視化されたかもしれない。
DABO 「口からでまかせ」はゲームチェンジャーだと思うね。それをRHYMESTERが送り出したっていうこともデカい。FGのメンバーではあるけど、Dくん(
RYO-Z まだ雷が始まる前、西麻布のZOAでやってた「BLACK MONDAY」にDさんが1人で乗り込んだんですよ。「ナメた口きいてるやつがいたら、ラップで返してやる」という空気で。それがすごかったな。
DABO 侍みたいだったよね。マイク1本でどの派閥でも乗り込んでいく。そんなDくんとZeebraがくっついて、そのあといくつも曲をやるのは、もう必然っていうか。そりゃそうだよってなるよね。シーンのハブの2人なんだから。
シーンに異常な一体感があって、その到達点が「さんピンCAMP」だった
──お二人の目から見た「さんピン」の印象は?
RYO-Z すごく楽しいイベントだったはずなんだけど、とにかく雨がムカついたっていう(笑)。その翌週に「大LB夏まつり」があって、そっちは晴天の中でめっちゃイケてて。スチャさんの周りの方たちも超楽しそうで、来てるギャルもめっちゃかわいいんですよ。もう絶対こっちだと思った(笑)。
──「大LB夏まつり」も1人で行ったんですか?
RYO-Z そっちは
──DABOさんはどんなイメージで「さんピン」を捉えていますか?
DABO 僕たちは90年代前半のシーンを見てるじゃないですか。RHYMESTERになる前のライムスターオールスターズが、「モグラネグラ」(1992年~94年頃にテレビ東京で放送されていた深夜番組)に出てる姿とかを観てるわけですよ。今でもDくんに「お前そのVHSは絶対捨てろ」って言われるんですけど(笑)。
──よく覚えてますね(笑)。
DABO ラッパーが映ってたらなんでも見てましたから。メディアに乗らないカッコいいことがどんどん起き始めて、地下のマグマがもうボコボコボコボコ吹き出してきていて。あの頃は演者だけじゃなく、ヘッズもシーンに参加してたんですよ。レコ屋はもちろん、洋服屋さんもシーンの一部だと思ってやってるし、客も自分がシーンの端くれにいる意識だったと思う。異常な一体感があって、その1つの到達点が「さんピンCAMP」だったんじゃないかな。でもそこに自分が入り込みたいとか全然思ってなくて。俺の好きなカッコいい先輩たちが1個のお祭りを作り上げて、盛り上がってるヒップホップを外に向かってアピールするんだ、これは楽しみだっていうくらい。エイベックスというメジャーなレコード会社からの支援が入って、こういうことになってるんだっていうふうにも見てたし。
──ちゃんとビジネスになっていくんだっていう。
DABO そう。でも俺もSHIKIみたいなところがあって。アンダーグラウンドのピュアネスを愛してたんで、ラップを商売につなげるっていう考えがなかったんですよ。ただ、生活はどんどん限界に近付いていて(笑)。
RYO-Z 当時バイト先で店番してたら、閉店ギリギリにDABOが来て、「電気が止まっちゃったんだけどさ、お金貸してくんない」って(笑)。いまだに忘れられない(笑)。
DABO だんだん身内も「あいつヤベえぞ」って感じになっていって。その頃、HAZIMEが相棒だったんだけど、俺がいないところでSUIKENとかに「DABOはもうダメかもしれねえ」って言ってたぐらい生活がヤバかったんですよ。
「さんピンCAMP」を通じてシーンの節目を感じた
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