マッツ・ミケルセンが自分をジョン・レノンだと思い込んでいる男を演じる──。どんな奇想天外な物語が展開されるのか期待に胸を膨らませている映画ファンも少なくないだろう。北欧の至宝が“超新境地”を開いた映画「さよなら、僕の英雄」が6月19日に全国で公開される。
デンマークにて実写映画における興行記録を塗り替え、歴代1位に輝いた本作は、強盗事件での服役を終えたアンカーが事件の際に大金を預けた兄マンフレルと15年ぶりに再会したことから物語が展開していく。しかし兄はその隠し場所を忘れ、さらにはジョン・レノンとして現実世界を生きていた。田舎を訪れた2人は、森に埋められたはずの大金を掘り起こそうとするも、リンゴ・スター、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンを自称する男たちが現れ、“ビートルズ”を再結成。事態は混乱の一途をたどっていく。
予測不能な兄弟の旅路を描き出したのは「愛を耕すひと」などの脚本で知られ、「ブレイカウェイ」「アダムズ・アップル」など監督作すべてでミケルセンとタッグを組んできたデンマークの鬼才アナス・トマス・イェンセン。ニコライ・リー・コスがアンカーを演じ、ミケルセンとダブル主演を務めた。
映画ナタリーでは本作の公開を記念した特集を展開。マンガ家・河井克夫による描き下ろしイラストと、よしひろまさみちのレビューで作品の魅力を紐解いていく。
イラスト / 河井克夫レビュー / よしひろまさみち
マッツ・ミケルセンが新境地を開く!映画「さよなら、僕の英雄」予告
プロフィール
河井克夫(カワイカツオ)
1969年4月16日生まれ、愛知県出身。1995年にマンガ雑誌ガロでデビュー。主な作品に「女の生きかたシリーズ」「クリスチーナZ」、松尾スズキとの共著「ニャ夢ウェイ」シリーズ、「久生十蘭漫画集 予言・姦」「うつ病九段」「ラーゲリ 収容所から来た遺書」などが挙げられる。マンガSPA!で「彼女は石碑と夢を見る」を連載中。俳優としては映画「恋の門」「クワイエットルームにようこそ」や連続テレビ小説「らんまん」などに出演した。
デンマークを代表する映画人たちのファミリー映画
還暦を迎えてなお俳優としての挑戦を続けているマッツ・ミケルセン。同世代のグローバル俳優でいくと、挑戦のベクトルは違うけど、ひたすらからだを張った役に挑戦し続けている63歳のトム・クルーズにも似た知名度、そして制作側からの人気と出演作の質の高さでは?と思ってしまう。しかもトム・クルーズと違うのが、タイプ俳優ではないこと。スタントを使うけどアクション(というかスーパーヒーローものやファンタジー)もやれば、時代ものでコスプレ系もできるし、現代劇のコメディからシリアスヒューマンドラマまで、善人も悪人も演じられて全ジャンルをカバーする器用者ですよ。おまけに、デンマークとスウェーデンでキャリアを積んできたから、母国語だけでなくスウェーデン語も堪能で、英語もパーフェクト。そのうえ、アスリート~ダンサーの経験もあるから姿勢と身のこなしが美しいのも彼のグローバル人気の支えになっているところかも。と、マッツのファンには当たり前過ぎる情報はここまでにしましょう。
そんな彼が挑んだ最新作「さよなら、僕の英雄」は、6回目のタッグとなるアナス・トマス・イェンセン監督作。しかも共演はデンマークの人気俳優で、彼とは幾度となく共演歴があるニコライ・リー・コス。この座組がどれほど本国で人気かという良い例があります。2020年に公開されたマッツの主演作は2作あって、ひとつが米アカデミー賞国際長編映画賞を獲得したトマス・ヴィンターベア監督作「アナザーラウンド」、それとこの座組だった「ライダーズ・オブ・ジャスティス」でした。
かたやオスカー獲得の超有名作、かたやブラックコメディですが、じつは後者のほうが本国ではインパクト大。オスカー効果もあり世界興収は「アナザーラウンド」のほうが上だったものの、デンマークでのオープニング成績は「ライダーズ・オブ・ジャスティス」のほうが上。なんせデンマークの至宝マッツ&ニコライの共演で、彼らの守護神のようなイェンセン監督作ですもの。日本でこの手の座組をたとえるなら、60代のころの千葉真一さんと今の真田広之さんが深作欣二監督と組んではちゃめちゃアクションコメディを撮ったら(無理ですが)、同じようにその年最大の国際的話題作よりも注目される現象が起きる……かも?
そんな座組の「さよなら、僕の英雄」はいったいどういう作品なのか。マッツ演じるマンフレルとニコライ演じるアンカーは兄弟。15年前にアンカーは強盗でゲットした大金を兄に託して刑務所へ。出所したアンカーは兄と感動の再会を果たすものの、マンフレルはなんとお宝の隠し場所を忘れているばかりか、自分をジョン・レノンと思い込んでしまい、本名で呼ばれると不機嫌になるほどの記憶障害に。2人で探すしかないものの、記憶はない、カネはない! さぁ困った困った……というコメディ。これだけだとドタバタコメディのまま終わりそうだけど、そこはさすが「愛を耕すひと」や「悪党に粛清を」などの脚本を手掛けたイェンセン監督。トンデモ描写と人情味あふれるヒューマンドラマをバランスよく配置しています。ネタバレになるので細かい言及は避けますが、兄弟の大金探しの旅で得るものは、自分らしさ。そしてトンデモ描写は後半部にどっさり出てきます(「愛を耕すひと」の牧歌的芋掘りと地主の強烈な嫌がらせにも似たバランス感覚です)。
特にすごいのはマッツの変貌。記憶を失ってジョン・レノンとしてミュージシャン生活をしている(と思い込んでいる)マンフレルは、見た目もちょっとだけジョン・レノンに寄せているものの、次に何をしでかすかわからない危なっかしさがあるキャラクター。これまで全くタイプの違うさまざまな役をやってきたマッツですが、まだこの手の役はなかったか、と思わせる新鮮さがあります。彼が演じるマンフレルとその周辺キャラが巻き起こす騒動があるからこそ、この作品に笑いの彩りが加わり、重めな展開となる終盤戦にも備えられるというもの。いや、このキャラがなく、アンカーの宝探しにフォーカスしていたら、バイオレンスミステリーになってしまい全然別ジャンル映画に。記憶を失ったことによって新たなアイデンティティを得てしまったマンフレルの旅路が、この物語のテーマ「喪失と再生」にも結びつくという仕掛けになっています。
じつはマッツとニコライが兄弟役を演じるのは本作が初めてではありません。イェンセン監督が手掛けた2015年の不条理コメディ「メン&チキン」で異母兄弟を演じています。同じ父をもつ兄弟が父親にまつわる謎を探るというストーリーですが、これまた凸凹キャラで、マッツは性欲で頭がいっぱいのエリアス(これまたルックスに特徴あり)、ニコライは彼らの父親の屋敷で暮らすヤバい弟(ちなみに異母兄弟の構成は5人)。ぶっとんだキャラ設定は「さよなら、僕の英雄」に始まったことではないけど、「メン&チキン」のキャラクターをより研ぎ澄まして観客の共感度をあげてきた、というのが「さよなら、僕の英雄」といえるのではないでしょうか?
最後に、共演ニコライの話もしておかねばなりません。なぜなら、彼もまたデンマークを代表する俳優の一人であり、イェンセン監督、そしてマッツとの相性も抜群のベテランですから。スサンネ・ビアやラース・フォン・トリアーなどの作品にも出演した彼の代表作は「特捜部Q」シリーズ。ユッシ・エーズラ・オールスン原作の同名ミステリー小説の映画化で、心に問題を抱えた主人公の刑事カール役がハマり、シリーズ4作品で主演しました(まだ観たことがないという方はぜひ。英語リメイクしたNetflixシリーズ「特別捜査部Q」のオリジナル版です)。これを観てから「さよなら、僕の英雄」を観るとさらに驚きがあるんですよ。シリーズ4作目の「特捜部Q カルテ番号64」で捜査協力者役として出演しているニコラス・ブロは、ニコライの学生時代からの旧友。そんなニコラス・ブロは、「さよなら、僕の英雄」でニコライ演じるアンカーを困らせるフレミングという役で登場します。「さよなら、僕の英雄」は「デンマークを代表する映画人たちのファミリー映画」というべき作品ではないでしょうか。
