ステージナタリー Power Push - 追悼 蜷川幸雄

演出家・藤田俊太郎インタビュー 演出助手としてそばに居た10年

蜷川さんが「お前は助手だ」って言ったら助手

──カンパニーに参加したきっかけは、なんだったんでしょう。

藤田俊太郎

僕は高校中退の引きこもりでした。何かを表現したい気持ちはあるものの自分の目指す居場所がわからず、家でずっと映画と空だけを見てました。大学に入学して演劇評論家の長谷部浩さんのゼミに入ったのですが、そこで蜷川さんを知り、蜷川さんの芝居を観るようになって、ファンに。そして2003年に上演された藤原竜也さん主演の「ハムレット」に、あまりにも感動して、放心状態で芝居が終わって立てなくなっちゃったんです。そのときにチラシの束に入っていたのが、「ニナガワ・カンパニー俳優募集」のチラシ。「これだ!」と思ったんですよ。そこから自分の人生が一気に変わりました。芝居をやったことなんてなかったんですけど。

──それでスタートが“俳優”だったのですね。

はい。でも役者としては本当に下手だったんです。2004年の「ロミオとジュリエット」の公演中に、新潟の地でたまたま蜷川さんと2人でご飯を食べる機会があって、そのときにものの5分で24年分の自分の人生を蜷川さんに見抜かれちゃいました。「藤田はニナガワ・カンパニーでここにいるのがありえないぐらい下手だけど、それよりもまず自意識がありすぎる。そういうやつは役者では大成しない」って。本当にその通りだと思うし、観られることより観ることのほうが好きなので、蜷川さんが言い当ててくださってうれしかったです。

藤田が演出助手として初めて携わった、「KITCHEN」(2005年)の台本。蜷川から直接手渡されたこの台本には、蜷川用を示す「1」のナンバリングがされている。

──そこで演出助手になることを勧められた?

ええ。勧められたというより、話の中で自分から申し出ました。「演出助手やらせてください」。僕は蜷川さんの言葉だったら100%信じますし、尊敬する蜷川さんが「お前は助手だ」って言ったら助手なんです。そういうことなんです。

「その時点で才能ないね、藤田くん」

──演出助手の先には演出家という仕事があると思うんですが、そこに向けての自分の将来像は見えていたんですか?

まったくなかったですね。自分が演出家として世に出ることまで考えたら、蜷川さんの現場に行って演出助手はできない。蜷川さんの力になることしか考えてなかったです。

──蜷川さんにすべてを委ねたんですね。

藤田俊太郎

でも蜷川さんは別に自分から手は差し伸べないんです。来る者は拒まないけど、こっちから1歩そこに踏み出すかどうか。これもよく言われる話なんですけど、蜷川さんの芝居に出たくて出たくてしょうがない若者ってたくさんいるじゃないですか。中には稽古場の前で毎日、「稽古を見学させてください」って正座して待ってる人がいるんですよ。根気強く通われると、蜷川さんは稽古場に入れるんです。で、「あまりにもしつこいんで、◯◯っていうやつを稽古場に入れました。皆さん気にしないでください、いや、気にしましょう! 生意気なんだから」とかって笑いに変えつつ紹介して、みんなが「この人だれだ?」って思うような状況にしないんですよね。

──懐が深いですね。

藤田俊太郎

僕にだけじゃないんです。蜷川さんの周りはいつも若者たちであふれてました。あと新しいものへの好奇心も強くて、演出にラップを取り入れたのも早かったですもんね。答えは演劇だけじゃないって言って、現代アートにも興味を持ってましたよ。オラファー・エリアソンの展覧会が原美術館であったときも、蜷川さんはすごく早いタイミングで行かれて、僕が「もう行ったんですか?」って聞いたら「まだお前行ってないの? その時点で才能ないね、藤田くん」って言われました。「蜷川より先に行ってない段階で、何が東京藝大出身だ」とか「現代アートやってきたとか言われてるけど、こんなに忙しい蜷川が行ってるのに……」とか、からかわれましたね。横浜トリエンナーレでもいち早くオノ・ヨーコさんの作品をキャッチして「観た?」「や、あー、観てないです」「あーもうだめだね。やっぱその時点で藤田くんは才能ないね」って(笑)。

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9月ラインナップ
「冬物語」
2016年9月17日(土)23:00~ ほか
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2016年9月25日(日)25:15~
「ジュリアス・シーザー」
2016年9月30日(金)25:15~
「ヘルタースケルター」
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「さくらん」
2016年9月9日(金)23:00~
蜷川幸雄(ニナガワユキオ)
蜷川幸雄

1935年10月15日、埼玉県川口市生まれ。1955年に劇団青俳に入団し、1968年に劇団現代人劇場を創立。1969年に「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビューした。代表作は「身毒丸」「NINAGAWA・マクベス」「ハムレット」など多数。肺炎による多臓器不全のため2016年5月12日に逝去。8月には森田剛、宮沢りえ出演の「ビニールの城」、12月には「1万人のゴールド・シアター2016」、2017年には「NINAGAWA・マクベス」が追悼公演として上演される。

藤田俊太郎(フジタシュンタロウ)

1980年生まれ、秋田県出身。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科在学中の2004年、ニナガワ・カンパニーに入る。当初俳優として活動を始めたが、2005年以降は蜷川幸雄作品に演出助手として参加。2011年、「喜劇一幕・虹艶聖夜」で初めて作・演出を手がける。2012年にさいたまネクスト・シアター「ザ・ファクトリー2(話してくれ、雨のように……)」の演出を担当。2014年に、新国立劇場小劇場にて上演された「The Beautiful Game」で第22回読売演劇大賞杉村春子賞優秀演出家賞を受賞。2015年に「美女音楽劇 人魚姫」、2016年にミュージカル「手紙」「ジャージー・ボーイズ」の演出も手がけた。12月には「Take Me Out」、2017年1・2月には「ミュージカル 手紙」が控えている。なお演劇活動の傍ら、2011年より、絵本ロックバンド「虹艶 Bunny」としてライブ活動も展開中。