穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース「荒れ野」平田満×桑原裕子|寂しさをまとった生身の人間を描く

愛知県豊橋市により、2013年4月にオープンした穂の国とよはし芸術劇場PLATが、18年に開館5周年を迎える。それにあたって、同年4月に芸術文化アドバイザーが平田満からKAKUTA・桑原裕子へ交代することが発表された。そんな節目に上演されるのが、桑原が作・演出を手がけ、平田が出演するPLATプロデュース「荒れ野」だ。「インスピレーションが降りてきた」と平田が語る、2人の出会いと創作への思いとは? 11月中旬、稽古真っ最中の2人に話を聞いた。

取材・文 / 熊井玲 撮影 / 金井尭子

いいスタートダッシュが切れた5年

──平田さんは豊橋のご出身で、2011年に穂の国とよはし芸術劇場PLATの芸術文化アドバイザーに就任。13年のオープンから約5年間、“劇場の顔”として劇場の周知と基盤作りに取り組まれてきました。当初、どのような思いから芸術文化アドバイザーをお引き受けになったのですか?

平田満 “芸術文化アドバイザー”がいったいどういうことをする役目なのか、僕も豊橋市の方も当初はよくわかっていなかったと思います。僕が聞いていたのは、豊橋市が初めて舞台に特化したホールを建てるので、地元出身の舞台人に関わってほしいと市の方が考えていらっしゃるということ。ただ豊橋は演劇祭などをずっとやってきた場所ではないし、エリアの広さから考えても、いきなり芸術監督が立って仕切っていくのはどうだろうと思いました。また、各地に芸術監督という立場の人がいらっしゃいますが、いざ芸術監督となると僕にできることはそんなにないと思っていたので、それよりは広告塔と言いますか、“豊橋出身の人間が関わっている劇場”と思ってもらえたらという気持ちでお引き受けしたんです。

左から桑原裕子、平田満。

──平田さんもたびたびPLATの舞台に立たれていますね。

平田 そうですね。開館前には僕も仮設スペースで公演をやりましたし、こけら落としには劇場との共同プロデュース作品「父よ!」(田村孝裕作・演出)をやりました。PLATには客席数約780の主ホールと約200のアートスペースがあって、僕はもともと小劇場出身ですから、小ホールがあるのはいいなと思っていました。東京だと毎夜行われている小劇場公演も、豊橋にはほとんどないのですが、だからこそ若い人たちがやれる場所は必要だと思ったんですね。近年はさまざまなカンパニーが来てくれるようになって、主ホールでも歌舞伎やミュージカルなど、これまで名古屋や東京に行かないと観られなかった作品が豊橋で観られるようになりました。

──確かに開館から5年というのが信じられないほど、劇場の名前が広く浸透したと思います。

平田満

平田 僕が思っていた以上にとてもいいスタートダッシュが切れた5年だったんじゃないかと思います。ただ僕がいつまでどういう関わり方をするかはっきり決めないままスタートしたので、これからこの劇場がより活発に活動し、長く持続していくためには、どこかできちんとその方向に向かって準備したほうがいいだろうとも思っていました。また、僕がもともと強力なリーダーシップを発揮して「俺の世界を作ってやるんだ!」というタイプではないのと(笑)、とにかくいろんな人がクリエイティブなことに関われる、創造する楽しみのある場所になればという夢があったので、新陳代謝と言いますか、自分より若い世代の方に僕のあとを継いでもらって、どんどんネットワークが広がっていってほしいとも思っていたんです。開館5年というのはたまたまで、“きり”がいいなと思っただけのことだったんですけど、ちょうど「荒れ野」の企画が始まっていて、桑原さんとお話したり、KAKUTAの公演を拝見したりする中で「あ!」って、つい……。

桑原裕子 「つい」!(笑) そんな出来心みたいな!

平田 いやいや(笑)出来心じゃないですけど、「そうだ、いい人がいるじゃないか!」って。次の方を決めるには、例えば公募したり、専門家から推薦してもらったりって手もあるでしょうけど、インスピレーションが降りてきちゃったんです(笑)。桑原さんはリーディング公演をやっていたり、北九州芸術劇場プロデュースで「彼の地」を滞在制作されたり、すごくいい作品をいくつも手がけられていて、それを知っていたから「荒れ野」をお願いしたんですけれど、実際にお話する中で、桑原さんの作品作りの姿勢にとても感銘を受けましたし、やっぱりどこか自分と通じている人、自分がやりたいと思ったことに少しでも重なる部分のある人に次の芸術文化アドバイザーをやっていただきたいと思っていたので、ぜひとお願いしました。桑原さんの作品は玄人や若者にしかわからないというようなものではなく、守備範囲がとても広い。また女性という点でも新しいものが開ける気がするし、劇団を20年以上やってらっしゃって統率力もある。こんなぴったりの人ね、ほかにはいないだろう!って(笑)。

桑原 あははは(笑)。そうなんです、公演の話からすごい事件が起きました。

平田 と言うわけで、僕はちゃんと次の方を連れてきて、“立つ鳥後を濁さず”で去っていき……でも実は去ってはいかなくて、アソシエイトという立場で、しばらく仲間として側にいるんですけれどね。桑原さんが困ったときや大変なときには、サポートできればと。そういう形で、PLATに1人2人って仲間、アソシエイトが増えていけばいいのかなと思っています。

桑原裕子

桑原 このお話をいただいたときは、本当に私でいいのかなって思いがありました。演劇をやってない方からすれば私は無名ですから、「本当に私が平田さんの後任でいいんですか?」と何度も確かめて(笑)。そもそもPLATは、劇場ができると知ったときからKAKUTAでも公演をやらせてもらえないかとずっと思っていた場所で、でもなかなか劇団として上演することが叶わないまま3年経ち、ようやく2016年に実現したんです。そうしてやっとお近づきになれたと思ったら、まさかこんな形で関わらせていただくことになるとは(笑)。

──就任に向けて、桑原さんの中ではどのような気持ちの変化があったんですか?

桑原 平田さんが芸術文化アドバイザーを務められたことで、PLATに“何か面白い芝居をやっていそうなイメージ”が付いたことは、とても大事なことだと思っているんです。そのうえで「じゃあ私にできることってなんだろう?」と考えていくうちに、平田さんもおっしゃってくださったように、私は19歳のときから劇団を21年やってきて、何もないところから少しずつグループを育て演劇を作ってきた経験があるので、PLATという場所に仲間たちが集まって来るためのお手伝いができるのかもしれないと思うようになって。また、遊園地で野外劇をやったり、プラネタリウムで朗読劇をやったりと、劇場を離れていろいろな無茶をやってきたので(笑)、演劇は演劇をやる人と演劇を好きな人のためのものだけじゃなくて、もっともっとみんなのものであっていいんじゃないかと思うようになったんですね。遊園地のアトラクションを楽しむように演劇を楽しんだっていいし、おしゃべりが下手な人が友達作りのために演劇を使ったっていい。いろいろな人が手軽に演劇に触れられるようになれば、私がPLATに関わらせていただく意味が少しはあるのかなって、“そう思うように”して(笑)、恐縮ばかりしている日々を終わらせようとがんばっています!

質を保ちつつ、おもちゃ箱のような場所に

──またPLATでは開館以来、高校生のための演劇や市民劇など、地域との関わりも大事にされてきました。豊橋の方々と演劇の距離感を、お二人はどう感じていらっしゃいますか?

平田 意外と受け入れてもらえるものだなと思いました。豊橋時代、僕は実感がなかったけれど、潜在的に文化的な街だったんだなと(笑)。がさつな街ではなく、わりと温和な大人しい人が多いので、なかなか劇場に寄って来てもらえないんじゃないかと思ったんですが、共演者や劇場に来てくれた方たちが「素直なお客さんで、すごく身近に観てくださってる方が多いね」と言ってくれて。実際、僕もPLATの舞台に立つと最初に戯曲を読んだときの反応がそのまま返って来るような感覚があって、とても力になってうれしいし、やってて楽しいと思うことが多かったんですよね。

桑原 私もPLATで公演をしたときに、素直な反応を感じましたね。ワークショップでも、ガツガツ来る感じではないんだけど、参加者の皆さんが楽しんでることをちゃんと伝えてくださって。演劇ってそもそも発掘作業みたいなところがあると思ってるんですけど、潜在的に文化的なものを求めている人たちがもしかしたら豊橋にはたくさんいて、そういう人たちを発掘し、さらに彼らと面白い表現を発掘していけたらと思いましたね。

──桑原さんが2代目芸術文化アドバイザーとして、引き継ぎたいこと、新たにやりたいことはありますか?

穂の国とよはし芸術劇場PLATのロゴマークを持つ桑原裕子(左)と平田満。

桑原 壊したくないと思うのは、平田さんがアドバイザーとしてお立ちになった7年間に作られた劇場の質を、私が入ることで変に砕けさせたくないということ。親しみやすさばかり前に出ちゃって、なんか砕けちゃったなってなりすぎないようにしたいと思っています。その一方で、おもちゃ箱みたいな感覚の劇場と思ってもらいたくて、特に街の人には面白いことがある場所だと思ってほしいなと。プロデューサーの矢作勝義さんとも話しているんですが、例えば役者だけじゃなくて照明や音響、声楽やダンスなど芸術文化に関わるいろんなジャンルのワークショップを開催して、私は校長先生的な立ち位置で(笑)、スクールとかコミカレみたいな感じにできたらと思っています。演劇を観るだけじゃなく、例えば「何曜日のアレに行く?」って街の人たちの話題にのぼるような企画ができたらなって。

穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース
「荒れ野」
「荒れ野」

撮影:伊藤華織

  • 2017年11月30日(木)~12月6日(水)
    愛知県 穂の国とよはし芸術劇場PLAT アートスペース
  • 2017年12月9日(土)・10日(日)
    福岡県 北九州芸術劇場 小劇場
  • 2017年12月14日(木)~22日(金)
    東京都 SPACE 雑遊

作・演出:桑原裕子
出演:平田満、井上加奈子 / 増子倭文江、中尾諭介、多田香織、小林勝也

平田満(ヒラタミツル)
1953年愛知県生まれ。早稲田大学在学中につかこうへいと出会い、74年に劇団つかこうへい事務所の旗揚げに参加。82年公開の映画「蒲田行進曲」(深作欣二監督)では舞台と同じ、ヤス役を演じて日本アカデミー賞最優秀主演男優賞ほかを受賞する。82年に劇団解散後は、舞台、映画、テレビドラマと幅広く活躍。2006年に企画プロデュース共同体、アル☆カンパニーを立ち上げ、平田俊子、青木豪、蓬莱竜太、前田司郎、松田正隆、田村孝裕、三浦大輔ら、気鋭の劇作家・演出家と数々の新作を生み出す。01年に第9回読売演劇大賞最優秀男優賞、14年に第49回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。11年に愛知・穂の国とよはし芸術劇場PLAT芸術文化アドバイザーに就任、18年4月からは同劇場のアソシエイトとなる予定。
桑原裕子(クワバラユウコ)
1976年東京都生まれ。劇作家、演出家、俳優。96年にKAKUTAを立ち上げ、作・演出・出演の3役を務める。阿佐ヶ谷スパイダース、双数姉妹、道学先生、ブラジルなどへ客演するほか、舞台、映像、ラジオ、ノベライズ小説、ゲームシナリオなどさまざまな分野へ脚本を提供。2009年にKAKUTA「甘い丘」再演で第64回文化庁芸術祭芸術祭新人賞を受賞、11年には世田谷パブリックシアターに書き下ろした「往転」が岸田國士戯曲賞、鶴屋南北戯曲賞の最終候補作として選出される。また同年、ブロードウェイミュージカル「ピーターパン」の潤色・作詞・演出を担当。15年には「痕跡(あとあと)」が第18回鶴屋南北戯曲賞を受賞した。18年4月に愛知・穂の国とよはし芸術劇場PLAT芸術文化アドバイザーに就任予定。