原田郁子が舞台初挑戦! いしいしんじ&郁子が語る「トリツカレ男」の本質
いしい あのね、俺ちょっと今の話を聞いてて思ったんやけど、そのみんな「物語」とか「ストーリー」っていうものが、言葉で出来てると思いがちなんやけど、全然そうじゃないんですよね。その人が物語を作る前から、もともと大きな塊みたいなものがダーンとそこにあって、言葉っていうのはそれに輪郭を与えるための模様でしかない。で、言葉にならへんもんのほうが実は多くて、言葉にしたときに表面だけのものやったら、そんなにじーんときたりしないんです。言葉になってへんことのほうが大きくて、それが大事やから俺はそれをできるだけ崩させんように言葉を選ぶし、あるいはそういうのを崩したくないから勢いでガーッと言葉を書いてまうし。言葉っていうのは俺はただの画材みたいに思ってるんですよ。絵の具とか、あるいは音符とか。だから郁子ちゃんが物叩いたりいろいろリズム取ったりしながら作っていったっていうのは、それは最初にそのでっかい塊をね、感じてしまったんですよ。で、あとはそれをどういうふうにして浮上させるかってことで。物をカンカン叩くっていうのは世の中の出来事を呼び覚ますってことやから、そういうふうにやりながらそのでっかいものが出てくるのを待って、出てきたらヒュッてつかむみたいなね、そういう感じやったと思う。だから自分が“作る”っていうことじゃなくて、あらかじめそこにある大きいものを、自分を通して世の中に“出す”っていう行為が、俺は「物語」っていうものやと思ってるし、それは言葉で書いてうんぬんかんぬんっていうものではなくて、例えばそれは音楽でもあり得るし、絵でもあるし、インストゥルメンタルのジャズとかでも物語性っていうのはあるわけでね。なにか人間じゃないものに触れたときにそれを感じるんじゃないかな。だから神社にお参りしてもそれはあるしね。
郁子 うん、それすごくよくわかる。私もまったく同じふうに思う。一字一句違わず、そう思ってる(笑)。
いしい よくね、2人とも神社に行ってお参りするんですよ。神社があったらとりあえず挨拶するみたいな感じで。それはたぶんそういうことやね。
郁子 そうだね。あの、お地蔵さんが目の前に来たときの、あのなんとも言えない静けさってあるよね?
いしい うん、あるある。
郁子 すぐそばが大通りに面してても、そこだけヒンヤリとしてるみたいな。なんかそういうほうが本当っていうか、しっくりくる。だから、さっき何て言った? 呼び覚ますって言ったっけ?
いしい うん。まだ世の中に出てきてへんものがあるわけですよ。それを郁子ちゃんの場合は音で、俺の場合は字で浮上させる。それはもうすでにそこにあって、目に見える、あるいは耳に聞こえるギリギリまできてるわけ。それを何かの拍子でヒョッてこう浮上させることができるんです。それがライブやったり、小説を書いてるっていう時間やったりするんやと思う。なんかあるなっていうだけで、それは自分たちにもわかれへんもんだったりするんですけどね。
郁子 だからね、わかりやすく「これは○○です」って言っちゃえば、みんな納得できるし、簡単なんだけど、その箱の中に収まらないような塊っていうのが実はいろんなところにムクムクいて。それには形がなくて、いろんなことが混ぜこぜになってて、整理されてもいない。でも「それがそこにある」ということはちゃんと伝わってくるわけ。ある人から見たら曖昧なことなんだろうけど、それをもし丁寧に表現できれば実は具体的になるって思うんだよね。
いしい 本当に音符とか画材とか言葉っていう、それぞれのメディアが違うだけなんですよ。そこに言葉で書いてあるから意味があるって思いがちやし、音符で作られてるからメロディやハーモニーがあるって思いがちやけど、例えばゴッホという人はあんなにひまわりを描いてて「これひまわりやねんけど、どうもひまわりじゃないと思うねん」と思うからすごいひまわりを描くわけ。絶望の中で、誰も見てくれへん中で、とにかくひまわりや、あるいは麦畑を「なんで俺には麦畑がこんなふうに見えんねん。でも描いてみる描いてみる。そしたら麦畑のことがわかるかもしれへんから描く。なんでこういう風に見えるかわからへんけど」って思いながら描くわけ。で、郁子ちゃんもそうなんですよ。「世の中の物事っていうのが、私にはこういうふうに聴こえる。だからこういうふうにピアノを叩いて、このリズムで、次には絶対こういうふうに叩かないと気が済まないけど、それは何かって言われてもわからへん」と。俺も同じやねん。こういう小説書いてこういう話になって、なんでそんなん書くのって言われてもわからへん。でもなんかやってる最中、演奏の最中とか、画家が描いてる間とか、小説家が言葉を書いてるときの、その時間の中には特別なものがあって、そこでは表現してるものと自分とが溶け合ってて。その溶け合った深いところでは、みんな同じ塊を共有してるのかもしれへん。
郁子 うんうんうん。こうグーッと(自分の中に)降りていったらね、下では繋がってるのかな。出し方が違うだけで同じなのかもね。
いしい そう、それぞれ境遇が違うから、生まれた場所も違うし時間も違うし会った人とか言われたことも違うから、出てきたものの形は違うけど、「なんかこのへんにこういうのあるんちゃう?」って思うのは一緒なんやないかな。
郁子 そうだよねー。いやー、こういう話をできるっていうのがすごいなあ(笑)。今みたいなことをさ、本当にそうだなって思うけどね、人に言葉で説明できないんだよね、私は。今いしいさんの話を聞いて、なんかこういうにょろにょろ(溶け合ってるもの)が見えたもん(笑)。
いしい ええねん、そのにょろにょろ見えたってだけでええねん。それが大事やから。
郁子 今ね、よくわかったもん(笑)。
いしい うん。俺がそれを言葉にできるのは、いつも言葉を使って「これは何やろう?」ってことをやってるからちゃうかな。郁子ちゃんもピアノがここにあったらすぐに「こういうことでしょ? その次こうじゃない?」ってできるっていう、そういうことだと思う。
ジュゼッペのあだ名は「トリツカレ男」。何かに夢中になると、寝ても覚めてもそればかり。オペラ、三段跳び、サングラス集め、潮干狩り、刺繍、ハツカネズミetc. そんな彼が、寒い国からやってきた風船売りに恋をした。無口な少女の名は「ペチカ」。悲しみに凍りついた彼女の心を、ジュゼッペは、もてる技のすべてを使ってあたためようとするのだが……。