ナタリー PowerPush - 山下達郎

全音楽ファンに贈る、究極のオールタイムベスト

1stテイクは超えられない

──このアルバムにセルフカバーやライブテイクが入っていない理由はよくわかりました。さらに伺いますが、達郎さんはリミックスについてはどう捉えていますか?

以前はよくやってましたけど、最近はレコーディングの方式が変わったこともあって、だんだん興味が失せてきた(笑)。

──そうなんですか?(笑)

やっぱりそのときに作ったものは超えられないんですよ。だから今回もいろんなミックスの選択肢があったんだけど、ほとんどが最初のテイクを選択しました。「蒼氓(そうぼう)」って曲も「TREASURES」のときにリミックスしたんだけど、今回結局最初のトラックに戻してる。そっちのほうが全然力があるんです。不思議なものでね。

──やはりオリジナルが一番強いということでしょうか。

だからリミックスとかセルフカバーっていうのは、僕が思うに編曲とかオーディオ的な耐用年数が確保できないときにするものなんです。「あの曲の音、古いよね」ってなったら、今の音で録り直すわけ。その必要がなければやる必要ない。

──達郎さんのアレンジは基本的に古くならないから必要ないという。

そこまでは言いませんよ(笑)。だけど、それで忘れられるのならそれが運命だもん、その曲の。それをなんで死人に人工呼吸するようなことするのかってね。だから僕はセルフカバーはやらない。僕の主義に反する。

──なるほど。

それにシンガーソングライターだから人のカバーもあんまりやりたくないし。今の安直なカバーブームっていうのは曲が書けないからなのか、わからないけど、だけど新しい曲を作るパッションがまだあるうちは、自分で書いた曲を歌いたいと思ってます。

デジタルへの変化が大きな転換点

──ところで達郎さんはこれまで長年にわたってポップミュージックの第一線で活動し続けてきたわけですが、その間に自分にとっての転換期があるとしたら、それはいつ、どのタイミングでしたか?

あんまり質問の答えになってないかもしれませんけど、精神的な面に関して言えば、自分の頭の中にいつも鳴ってる音世界がいくつかあって、そうした色彩的、絵画的なイメージは37年間それほど大きな変化はない。むしろそれを具体的な音に実体化していくための道具、レコーディング環境の変化には何度も悩まされた。80年代中期のアナログからデジタルへの大転換と、2000年代のPro Tools、このふたつは特に大変でした。ノミとカンナを使って家を作ってると、いきなりレーザーメスを渡されるわけです。それで「今日からこれで柱を削れ」とか言われてもできるわけない(笑)。要するに、デジタルになったりPro Toolsになったりってそういうことなんですよ。

──デジタル環境への変化はやはり大きかったと。

そういうレベルの転換点はいくらでもありますけど、リスナーの方に話しても、あまり面白い話題じゃないし。

──逆に言えば、周囲の環境や技術的な面での変化はあるにせよ、達郎さんの中の音楽に対する姿勢自体は変わらず、ここまでずっと地続きだったと考えていいんでしょうか?

まあそうですね。ただ、それを変えずに続けようとした結果、いろいろと紆余曲折もありましたし、何度もクレバスに落っこちかけた(笑)。まあ偏屈というか意固地というか、固執するといいこともあるし、悪いこともあるし。

──自分は偏屈だと思います?

そりゃあもうめちゃくちゃ偏屈でしょ(笑)。何にそんなにこだわるのかってみんな言うんですけどね。でもそれは自分の業だから。高校に入るところまではごく普通の人生だったんだけど、1970年の政治騒乱の時代にドロップアウトしてこの世界に入ったので、最初は職業音楽家としての教育も訓練もない、音楽家としてはシロートだった。だからその分、自分で学習して自分をチェックし続けなきゃなんなかった。

音楽だけはどんなときも自分を裏切らなかった

──達郎さんは大学に進学してから、本格的に音楽の道に進んでいったわけですよね。

プロのミュージシャンになるなんて夢にも思わなかったけど、それまでも音楽は好きでしたからね。音楽出版の勉強でもやろうと思って大学は法学部に入って、だけど結局投げ出して(笑)、20歳の頃にバンドを作ってね。別にスターになりたかったわけでも金が欲しかったわけでもないんです。ただ音楽が好きで、音楽だけはどんなときも自分のことを裏切らなかったから、どこかにもぐり込めればいいやくらいな(笑)。結果論ですけど、あのときはそれしかやりたいことがなかった。なのでそういう経緯で音楽を始めた人間がどういうことをやるべきかっていうことは、常に自問して今までやってきた。

──どういうことですか?

どんな音楽をどのような立ち位置で表現するべきかということですね。スタイルという面で言えば自分で自分を分析して、僕の声にはアバンギャルドなことは向いてない。ならばミドル・オブ・ザ・ロード、つまりポップミュージックかなと。僕はポップミュージックというのは大衆への奉仕だと思っているので。自分が作りたいものがある一方で、お客がこれを聴いてどれくらい喜んでもらえるかっていうこともすごく重要で。そのバランス感覚は今も昔も全く同じなんですよね。

──達郎さんは自分の音楽がこうして20年、30年と聴かれ続けることを予想していましたか?

いやいや、とんでもない。「DOWN TOWN」を37年後にリマスターしてるっていうのは実にストレンジな気分ですよ(笑)。

──でも音楽を長く続けたいとは思っていた?

それは僕に限らず誰でも思ってるでしょうけど、でもまさか今でもやれてるなんて夢にも思ってなかった。

──とは言えアレンジにも気を配って耐用年数の高い、長く聴かれる音楽を作ろうとしていたわけですよね。

長くっていったって、せいぜい5年とか10年先そこいらしか考えてなかったですよ(笑)。だって20代の頃に還暦なんて発想すらありえないもん。そもそもミュージシャンなんていうのはカタギな人間がやる商売じゃないから。それが今は60歳を過ぎても現役でみんなちゃんとやってる。そんな時代が来るとは全く思わなかったですよね。

オールタイムベストアルバム「OPUS ~ALL TIME BEST 1975-2012~」2012年9月26日発売 / 3980円 / Warner Music Japan

山下達郎(やましたたつろう)

1953年東京出身の男性シンガーソングライター。1975年にシュガー・ベイブの中心人物として、シングル「DOWN TOWN」とアルバム「SONGS」にてデビュー。翌1976年のバンド解散を経て、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビューを果たす。1980年に発表したアルバム「RIDE ON TIME」が大ヒットを記録し、以後日本を代表するアーティストとして数々の名作を発表。1982年には竹内まりやと結婚し、彼女のアルバムをプロデュースするほか、KinKi Kids「硝子の少年」など他アーティストへの楽曲提供も数多く手がけている。また、代表曲「クリスマス・イブ」は1987年から四半世紀にわたってオリコン年間チャート100位以内を記録。2011年7月に通算13枚目のオリジナルフルアルバム「Ray Of Hope」を発表し、2012年9月には初のオールタイムベストアルバム「OPUS ~ALL TIME BEST 1975-2012~」をリリースする。


2012年9月25日更新