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studio report “いい音”の現場から ~ビクタースタジオ訪問~

どんなにハイスペックな機器で高解像度の音源を聴いても、“いい音”で録られた音でなければ楽曲の魅力が見えにくい。では音を録る現場、レコーディングスタジオでは、どのような努力と工夫を凝らしてアーティストの楽曲を音源化しているのか。ここでは多くのアーティストが信頼を寄せる東京・ビクタースタジオを訪問し、スタジオ長の秋元秀之氏に詳しく話を聞いた。

取材・文 / 臼杵成晃 撮影 / 佐藤類

ビクター専門スタジオから多角経営へ

1969年、東京都渋谷区に設立されたビクタースタジオは、ビクター音楽産業(現在のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)の専用レコーディングスタジオとしてその歴史をスタートさせた。現在よりも小規模ながら、当時から5つのレコーディングスタジオを備えていたビクタースタジオにとって、最初の大きな転換期は1982年。スタジオ内の大改修が行われ、アーティストの要望を最大限に採り入れるよう再設計され、スタジオは全部で7つに。またビクター以外のレーベルに所属するアーティストにも使用してもらえるよう、外部営業が開始されたのもこの頃だ。

ビクタースタジオの正面入口。

ビクタースタジオの正面入口。

ビクタースタジオ入口には、おなじみのビクター犬・ニッパーくんが番犬のように鎮座している。

2000年にはさらに事業の多角化が進み、DVDやBlu-rayといった映像作品の制作を行うオーサリング事業、外部スタジオでレコーディングされた音源のマスタリングのみを請け負うマスタリング事業も強化されていく。マスタリング事業は、より多くのアーティストが利用しやすいようあえてビクターの名を冠さず、「鋭い嗅覚」「ものを見極める才能」などの意味を持つ「FLAIR」(フレアー)と名付けられた。また確かな腕を持つエンジニアを多く擁するのも、ビクタースタジオがアーティストから愛される理由の1つ。「どんなに立派な設備を整えても、これらはあくまで“道具”であって、使う人がいて初めて成立するんです。スタジオは、エンジニア事業というのも大きな柱の1つなんです。中には外部の仕事が続いて、半年ぐらいビクタースタジオに顔を出さないエンジニアもいますよ」と秋元氏は語る。

多角事業化のビクタースタジオにおいて近年需要が集まっているのが、アーカイブ事業。これは過去に制作された作品の原盤となる音源を、WAVなどのデジタルデータとしてファイル化するというもの。ビクタースタジオのようなインフラを持たないレコードメーカーや、アーティストが所属する事務所などからのオファーが絶えない。

また高音質化のアプローチとして、ビクタースタジオが独自に開発したデジタル高音質化技術「K2」を用いたマスタリングシステム・K2HD MASTERINGも展開している。16bit / 44.1kHzのCD用マスター音源ではカットされてしまう20kHz以上の高域音声情報を最大100kHzまで再現し、ハイレゾ相当のサウンドで過去の名作に新たな光を当てている。

世界有数の規模と機能を誇る301st

現在では、アーティストの演奏スタイルやプロジェクトによって使い分けられる8つのスタジオを擁するビクタースタジオ。部屋ごとの差をなくすよう設備を整えるスタジオも多いが、8つそれぞれがまったく別の機能を持つよう設計されているのが当スタジオの特長だ。

ビクタースタジオのスタジオ長、秋元秀之氏。

ビクタースタジオのスタジオ長、秋元秀之氏。

301stはビクタースタジオ最大となる124.7㎡の広さを誇るメインエリアで、ビッグバンドやオーケストラなど大編成のレコーディングにも対応したさまざまな機能を備えている。内部には9つのブースが設置されており、楽器ごとに最適なサウンドが得られるよう、アンビエントなどが繊細にチューニングされている。さらに演奏者が各ブースに分かれていてもアイコンタクトが取れるよう配置されているため、指揮者のタクトに合わせてのオーケストラの一発録音も可能。著名な映画やアニメの劇伴もこのスタジオで数多くレコーディングされており、エンドロールにビクタースタジオがクレジットされているケースも少なくない。

秋元氏曰く、1969年の開設当初はさらにひと回り大きい「体育館のような空間だった」という301st。それを1982年の大改修で302stと2つに分割して、ビクター以外のレーベルにも門戸を開いた。以前よりは小さくなったとは言え、それでも国内はもちろん、世界でもトップクラスの規模を誇る301stは、今でも業界内で高い支持を得ている。そんな301stだが、コンピュータプログラミングによる音楽制作スタイルが普及したタイミングでは、予算のかかる大編成でのレコーディング作品は大幅に減少し、窮地を迎えたこともあった。301stは解体し小規模なスタジオルームを多数設置する案も挙がったが、「ビクターにとって音楽作りの原点であるこのスタジオを、積極的に維持していこう」という判断から、再度設備を徹底的に磨き上げると共に、外部への営業を積極的に実施。今ではビクタースタジオ内でもっともスケジュールの押さえにくいスタジオになった。またスタジオを磨き上げる際、ピアノブースにはドイツ・ハンブルグの名門STEINWAY&SONSのフルコンサートグランドピアノD-274が導入される。世界的に有名な高級機だが、ビクタースタジオでの1回の使用料は驚くほど安価である。

STEINWAY&SONS D-274が設置されたピアノ用ブース。

STEINWAY&SONS D-274が設置されたピアノ用ブース。

「回収するのに300年ぐらいかかるんですよ(笑)。でもピアノの音というのは、スタジオの音でもあって。大きなグランドピアノは持ち運べないから『あそこのピアノがいいから、あのスタジオを使おう』というケースもある。301stが皆さんにご支持いただいている理由の1つが、このピアノなんです」

高級機材≠いい音

301st には新旧さまざまなマイクが常備されており、ストックルームにはさらに20倍以上のマイクが保管されているという。マイクは機種ごとに異なる特長があるが、秋元氏は「結論から言うと、どの楽器にどのマイクを立てなきゃいけないという決まりはまったくございません。プロデューサーやエンジニアの好み、アーティストの意向で自由に使ってもらっています」と語る。301stにはボーカル録音にも適した名機、NEUMANNの真空管マイクM49も複数本あるが、アーティストによっては主に楽器用マイクとして小さな練習スタジオにも置いてある安価なSHURE SM57で、歴史に残る数々のヒット曲の歌声を収録しているケースもあり、使用されるツールはさまざまだ。高級な機材をそろえて録音すればそれが“いい音”、というわけではない。

NEUMANNの真空管マイクM49。

NEUMANNの真空管マイクM49。

左がNEUMANN M49、右がSHURE SM57。

左がNEUMANN M49、右がSHURE SM57。

レコーディングにおいては、楽器やマイクをつなぐケーブルもまた音のよし悪しを左右する。出音が細い場合は音が太めになるケーブル、シャープな音を狙うなら音の立ち上がりがよいケーブルと、ミュージシャンの望むサウンドに応じてケーブルを選ぶ。また音色的な種類だけでなく適切な長さであるかどうかも重要で、必要以上に長いケーブルは電気の流れを減衰させるし、不要なノイズを防ぐにはコネクタなどの接点が少ないほうがいい。なおビクタースタジオでは一目でケーブルの長さがわかるよう、長さごとにケーブルの色を統一している。

301studioに常備されている多種多様なマイクとケーブル。

301studioに常備されている多種多様なマイクとケーブル。

「どのマイクをどの位置に立てるのかで、音は全然違ってくるんです。併せてどのケーブルを使うか、どの機材を使うかでも音は変わってくるし、同じスタジオ内でもブースによって響きが違う。ひと口に『ピアノの音』と言っても、録り方によってまったく違うんですよ。だから通常は音の基準はあいまいになりがちですけど、ビクタースタジオではどんな条件で、どんなマイクポジションで録られたかというのが分かっていますので、原音の基準がしっかりとあります」