音楽ナタリー Power Push - 浜崎貴司×奥田民生

同い年2人のマイペースな音楽談義

いろいろお世話になって困っちゃってます

──行動を共にされてみて、民生さんからご覧になった浜崎さんの印象は?

奥田 やっぱりフットワーク軽いし、いろんなことを知ってるから質問しがいがありますよね。知り合いも多いし。仲間うちだと斉藤和義とか吉井和哉とかトータス松本とかと一緒になることが多いんですけど、やっぱり浜ちゃん中心に人が集まってくるみたいな。

左から浜崎貴司、奥田民生。

浜崎 俺が店を予約したりするからじゃないの?

奥田 それも含めてだね(笑)。

──お2人は同い年ですが、浜崎さんはまずファンクバンドのボーカルとしてデビューされています。

奥田 ファンクの帝王ですよ。俺は16ビートの細かさが欠けてる男だから(笑)。歩んで来た道は大きく違うよね。

浜崎 でも、俺も民生くんもThe Beatles好きだし、清志郎さんのことも好きだし。ロックンロール的な共通認識はお互いあると思います。兄貴が聴いてたビートルズのカセットを聴いて、ジョン・レノンのシャウトがカッコいいって思ったのが音楽を始めるきっかけになったようなもんなんで。でかい声で叫ぶ人が好きでしたね。

奥田 まあ、俺らの年代はビートルズはみんな通るから。

浜崎 俺は民生くんの天才っぷりにすごく興味あるからレコーディングについて「あれ、どうやってるの?」とか聞くわけですよ。でもそんなに考えてないことが多くて、僕が「やっぱり感覚的に捉えて作ってるんだ。すげえすげえ」って思って、次の話に行く的な。あと、機械に詳しい。コンピュータがうまく使えないときに教えてもらったりして。挙げ句の果てに自転車までもらったり。

奥田 いや、あれは売ったんだよ。100円で(笑)。

浜崎 はい。いろいろお世話になって困っちゃってます(笑)。

ソロ始めた頃はカスカスだった

浜崎 民生くんはソロになって初めてアルバム作るとき大変じゃなかった?

奥田 いや、俺は逆に楽だった。あの頃まだ曲いっぱいできたもん。ユニコーンでは合わないからやめとこうと思ってたこともできるようになったし。アルバムを「29」「30」って続けて出したけど、むしろ楽でしたね。

浜崎 ユニコーンはデビューから解散するまでが早かったからね。解散した頃って、一番エネルギーがある歳だったでしょ?

奥田民生

奥田 うん。デビューしてから7年ぐらいしかやってなかったし、ユニコーンはほかのメンバーも曲を作るから俺はそんなに才能が枯渇してなかったしね。意欲的にも能力的にもピークでした。だって1曲作るとそれに似たような曲はなるべく作らなくなるじゃない? そしたらどんどんアイデアが減っていくに決まってますから。

浜崎 いいなあ。俺なんてソロ始めた頃はカスカスだったから。FLYING KIDSの後期は疲れ果てて、なんでこんなに毎年アルバム出さなきゃいけないんだぐらいの思いでいたし。そんな状態でソロになったから「何やるんだっけ?」っていう感じはありましたね。全部自分で曲作ってるタイプの人は、ソロになっても作業的には何も変わらないっちゃ変わらないわけで、常に新しい刺激を探していくしかないんだよね。

──バンドとは違うものを生み出さなきゃいけない葛藤があったり。

奥田 まあ、そういうのは人それぞれの個人的な性格の問題でね。俺は何も考えてないわけですから(笑)。

すげえな、こんな曲できちゃったんだ

──浜崎さんはソロ活動を始めた頃にニューヨークに行かれたんですよね。

浜崎 そうそう。セッションみたいなことをやりましたけど、結局1曲もできなかったですね。行ったわりに大したものはできないまま帰って来たという。

奥田 ははは(笑)。俺もニューヨーク行ったよ、ソロ始めたとき。

浜崎 でも、それはレコーディングに行ったんでしょ? 俺はプリプロだから。1人だから何をしたらいいのかわかんなくてさ。

奥田 プリプロだったらそうなるよ。俺もさ、ソロになって暇になったから、全国各地に釣りしに行ったことがあってさ。でも、ミュージシャンたる者、ギターぐらいは持って行かなきゃと思って車に積んだんだけど、1回もケース開けなかったから(笑)。

浜崎 なんとなくだと、やる気にならないもんだよね。やっぱり。

奥田 まあ、俺はもともと曲は家で作る派なんで、やらねえだろうなと思いながら出発したけど本当にやんなかったね。ギターがあることすら忘れてた(笑)。ほかのことをしてて何かの拍子に曲が浮かぶことはまずないから。釣りしてるときなんて、もってのほかだね。

浜崎 俺も家じゃないと曲は作れないなあ。民生くんも和義くんもメロディをためたりしてるんだけど、俺はそういうのもほぼなくて。ゼロから作り始めるから1曲完成するまでけっこう時間がかかったの。挫折してはまた違う曲作り始めてってやってるうちに1カ月経ってたりするから、アルバム作るのはすごく大変でヘトヘトになるからヤだなあと。

奥田 ヤだなじゃねえよ(笑)。そこは作ろうよ!

──浜崎さんは誰かと一緒に作るほうが好きですか?

浜崎 ええ。俺は人に任せちゃうのが好きなんで。土台を作って、こんな感じでっていうのをまず持っていきますけど、そこから返ってくるものをすごく大事にするんです。相手にもよるんですけど、民生くんのときは最初の入り口の部分を作ってデモテープを送ったら、その続きを録音して送り返してくれて。聴いたときは衝撃受けました。すげえな、こんな曲できちゃったんだって。

浜崎貴司ソロベストアルバム「シルシ」2016年2月24日発売 / 3240円 / SPEEDSTAR RECORDS / VICL-64527
「シルシ」
収録曲
  1. BAILA BAILA
  2. サンクチュアリ(SEIなるふたり)
  3. 呼吸のしるし
  4. MUSASINO
  5. オンナLIFE
  6. 時はただ今だけを乗せて
  7. ダンス☆ナンバー
  8. 恋サクラビト(featuring 小泉今日子)
  9. トワイライト(NEW VERSION)
  10. サーフライダー / MCU feat.浜崎貴司
  11. オリオン通り / 斉藤和義&浜崎貴司
  12. 君と僕 / 浜崎貴司×奥田民生
  13. ウィスキー / 浜崎貴司×おおはた雄一
  14. 君の笑顔 / 浜崎貴司×YO-KING
  15. ゴールデンタイム
  16. 幸せであるように(GACHI 高野山開創1200年 LIVE ver.)
浜崎貴司(ハマザキタカシ)
浜崎貴司

1965年生まれ、栃木県出身。1988年にファンクバンドFLYING KIDSを結成し、個性的な歌声とポップなサウンドで人気を集める。1998年のバンド解散後はソロに転向し、同年にシングル「ココロの底」をリリース。2004年にはMCUとユニット・マツリルカを結成する。ソロとして活動を続ける一方、2007年夏にFLYING KIDSを再結成し、「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZO」に出演する。現在はソロとFLYING KIDSの活動を並行して展開中。2016年2月にソロとしては初めてのベストアルバム「シルシ」を発表した。

奥田民生(オクダタミオ)
奥田民生

1965年生まれ、広島県出身。1987年にユニコーンのボーカリストとしてデビューし、1993年のバンド解散までに「すばらしい日々」「大迷惑」など多数の楽曲を発表した。解散後はソロアーティストとして活動を開始。1994年にシングル「愛のために」でソロデビューを果たし、以降はマイペースに作品を発表し続けている。また、井上陽水奥田民生、O.P.KING、THE BAND HAS NO NAME、地球三兄弟、サンフジンズに参加したり、PUFFYのプロデュースを担当したりと多角的に活動。2009年にユニコーンが復活して以降は、ソロと並行してバンド活動も行っている。