ナタリー PowerPush - 浜田麻里

孤高の歌姫、ストイックな30年

15歳でプロのスタジオシンガーとしてキャリアをスタートさせ、1983年に20歳でデビューアルバム「LUNATIC DOLL」を発表した浜田麻里。当時のキャッチフレーズは「麻里ちゃんはヘビーメタル。」だった。それから30年──80年代後半に大ヒットを連発して女性ロックシンガーの頂点を極め、今また新たな黄金期に突入しつある彼女の足跡をたどったシングルボックス「MARI HAMADA -COMPLETE SINGLE COLLECTION-」がリリースされる。

持ち前の圧倒的な歌唱力とエネルギーが、デビュー30年を経ても衰えるどころか、さらに研ぎ澄まされパワーアップしているのは驚くべきことだ。世界的に見ても、女性ロックシンガーとしてほとんど唯一無二の存在と言える彼女の30年の足跡と、あまり知られることのなかったその素顔に迫った。

取材・文 / 小野島大 撮影 / 福本和洋

やっと周りに認められるようになった

──30周年おめでとうございます。

浜田麻里

ありがとうございます。早かったんですけど、よくよく思い返してみるといろんなことがあったし、いろんな環境の変化もあったし……その中で、女性ロックのメジャー化という意味では一定の役割を果たせたのではないかと思います。ロールモデルがいないので、ずっと手探り状態で来たんです。今もそんな感じですね。以前よりは私も歳をとって、やっと多くの方が認めてくれるようになりました(笑)。

──「やっと」ですか。

なんかそんな感じで(笑)。はい。だからやりやすくなりました、最近は。

──ある時期までは「認められてないな」という思いがあったわけですか?

そうですね。今よりもっとアルバムが売れてる時期もありましたけど、逆に本当の私でない、少しずれてる自分をイメージだけで見られていて、それをどこか嘲笑されているような違和感がなんとなくいつもありましたね。

──初期にヘヴィメタル路線で売り出されたときなど、自分はこうじゃない、これだけじゃない、という思いが強かったんでしょうか。

うーん、私の希望を尊重してもらってのデビューだったのは間違いないんですけど、微妙な温度差はあったかもしれませんね。デビューするにあたって、新しい女性ロックの形というか、パワフルで洋楽的な匂いがする、そういう新しいタイプのロックシンガーになりたいって強烈に思ったのは確かで。そのためにデビューまでいろいろ準備して。それ以前はまだ子供でしたが、自分は歌う職人だったので。歌うことに関しては、どちらかといえば器用なタイプなので、いっぱい選択肢があったんです。その中で自分は“女性ロック”っていうあり方や、パワフルな歌唱法が新しくてカッコいいと思ったんですね。それが現実になったうれしさはありましたけど、半分アイドル的な売られ方をされて。今思うと斬新だったと思うんですけど、コアなハードロックファンからは、作られたまがい物なんじゃないかと見られがちだったり。逆にロックファンじゃない人からは「ヘビメタでしょ」と聴く耳を持ってもらえなかったり(笑)。なんかこう……見えない壁がたくさんあるな、とは感じてました。

──初期のヘヴィメタル時代はアルバムのみでシングルは出されていなかったんですが、1985年の「Blue Revolution」以降はコンスタントにシングルをリリースするようになって、浜田さんの名前もどんどん一般に浸透していきます。今回のシングル集を聴いても、「Forever」「Call My Luck」「Heart and Soul」とか、そのあたりからの加速がついた感じの勢いはすごいと思いました。

ああ、あの頃はそうですね。高揚感がありますね。手応えを感じて。いけるぞって感じはありました。もっともっといけそうだなという手応えがありましたね。

──アメリカでレコーディングするようになって、音楽性もポップになっていきましたね。

浜田麻里

自分としては、ポップになろうと思ってアメリカに行ったわけでもないし、売れ線を狙ってこうなった、というわけでもなかったんです。ほんとに自然に周りの影響を受けて。それからアメリカに行って外から自分を見られるようになって、自分の中の頑なさが消えたのが大きかったですね。狭い日本の音楽シーンの中の狭いロックシーンの中の自分、っていうのを客観的に見て、肩肘張った頑なさみたいなのは無意味だし、古臭いなと思うようになって。自然に音楽的に広がってきたんだと思います。

──アメリカで現地のプロデューサーと仕事をされたのも大きかったのでは?

それまで自分が見知ったものよりも、もっとすごい、飛び抜けたプロデューサーがいるんじゃないかと思ってたんですよ。ちょうどアメリカではいろんなプロデューサーが台頭し始めた時期だったんです。なのでプロデューサーを求めてアメリカに行ってみようと思ったんですね。最初に仕事したのがマイク・クリンクっていう、後に“Guns N' Rosesのプロデューサー”として有名になった人なんですけど。彼と一緒に曲を探しに音楽出版社を回って、いろんな曲を聴いたり。そういう経験が自分にとってプラスになりましたね。結果的には自分が求めていた“すごいプロデューサー”に出会うことはできなかったんですけど。

──浜田さんのおっしゃる“すごいプロデューサー”ってどういうものなんですか?

ノウハウもそうだし、違う自分を引き出してくれて「この人にならすべて任せられる」と思えるような人ですかね……。

──合わせてくるタイプではなくて、引っ張ってくれるタイプ。

ええ。そういうものがなんなのかもわからないまま、すごい人がいるんじゃないかなって思ってアメリカに行ったんですけどね。求めてた感じとは違いました。アメリカで会った人たちは、どちらかといえばエンジニアプロデューサーみたいな人たちが多かったから、アルバムの内容の細かい判断は全部自分でやるしかなかった。ぼーっとして何もやらなければ、誰かが代わりにやってくれたかもしれないけど、そうすると流されてしまって、全然私じゃないものになってしまったと思います。自分でジャッジしていかなきゃならなかった。だからより我が強くなった(笑)。ほんとの意味で自分がプロデュースしなきゃいけないんだって気持ちは強まりましたね。若い頃は、いちボーカリストとしての意識が圧倒的に強かったと思いますけど、そういう経験を重ねてアーティスト志向が強まってきたと思います。

今の時代の中で自分は何をやるべきか

──アルバムでいうと「Marigold」(2002年リリース)あたりから、再びロック色が強くなってきてますね。

浜田麻里

そうですね。自分の意識は常にロックというところにあったと思うんですけど、90年代後半は音楽的にもちょっと広がっていきましたね。聴く人を驚かせたいって気持ちが強いんですよ。パワフルな歌を歌っているときに、あえてウィスパーを前面に出すとか。そういうのが90年代後半にあったんですけど、そういう時期を抜けて、またパワフルに歌いたいという気持ちが出てきたんですね。で、ライブ復帰も決めて「Marigold」からギターメインのバンドサウンドに復帰して。

──ここ最近はダークなヘヴィメタル色も強くなってますね。

そうですね。なんとなく時代背景といいますか社会状況で、ハードな音楽をバックに歌いたい、ハードな音楽性にしていきたいと自然に思ったんですね。よく“原点回帰”と書かれるんですけど、そういう感じではなく、今までの流れの中で一歩先に行きたいと考え始めた結果ですね。

──時代背景や社会情勢はかなり敏感に感じるほうですか?

そうですね……今の時代の中で自分は何をやるべきかなと考えます。メロウなものが流行ってるときに、すごくハードなものをやりたいという気持ちもある。

──震災以降に意識が変わったとする音楽家も多いですが、浜田さんの場合は?

私の場合、意識が変わったということはないですけど、より意識を強く持てるようになった、という言い方はできると思います。震災以降優しい曲を歌う人が多くなったと思うんです。絆とか思いやりとか……でも自分の場合はロックシンガーとしての立場で、逆のアプローチで人の気持ちを癒やしたり慰めたりすることができるんじゃないかと思いました。なので、よりハードなサウンドにしたり強い言葉を選んだりしてるんですよ。ある種のカタルシスですね。自分自身のカタルシスでもあるし、聴いてくださる方にもカタルシスを与えられるような。優しく歌うんじゃなく、ハードなものだったり強いものをやることによって何かを昇華させる。音楽を通せば、そんなことも可能なんではないかと。そういう意識でここ2作はやっています。

浜田麻里(はまだまり)

浜田麻里

中学時代よりスタジオボーカリストとして活躍し、大学時代に所属していたMISTY CATSでオーディション「EAST WEST '81」東京ブロック出場時にスカウトされる。その後1983年4月のソロとしてアルバム「LUNATIC DOLL」でデビューし、女性ロックボーカリストとして台頭。激しいロックチューンを歌いこなす圧倒的な歌唱力で、「ヘヴィメタルの女王」としての地位を確立させる。1987年よりレコーディングの拠点をアメリカに移し、海外のアーティストとの制作活動を開始。1989年に発表したシングル「Return to Myself~しない、しない、ナツ~」およびアルバム「Return to Myself」はロックファン以外からの支持も集めた。1996年~2001年はライブを一時休止し、音楽制作を中心とした活動を展開する。デビュー20周年を目前に控えた2002年よりライブ活動を再開。デビュー30周年を迎えた2013年にはベストアルバム「Inclination lll」をリリースした。2014年1月にはコンプリートシングルボックス「Mari Hamada ~Complete Single Collection~」と、過去18タイトルのオリジナルアルバムをSHM-CD化してリリース。4月には東京・東京国際フォーラム ホールAにてアニバーサリーライブを開催する。