ナタリー PowerPush - ブラック・ジャック大全集

医療マンガの金字塔がフルカラー愛蔵版に!西炯子が恋心と感動語るインタビュー

ピノコとの関係性は、萌えどころ満点

──かなり読み込んできたという「ブラック・ジャック」ですが、好きなエピソードなどはありますか?

うーん。記憶をたどると、子供の頃はやっぱりピノコの視点で読んでたと思うんですね。

──自分に近い存在として。

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そうそう。印象的だったのは、「ハッスルピノコ」ってエピソード。ピノコがブラック・ジャックの手助けをしようと、女医になるために学校に入学しようとするんです。でも入試に失敗して、幼稚園からやり直そうと幼稚園に行っても、ヒステリーを起こして帰ってきてしまう。で、最後にブラック・ジャックが落胆するコマがあるんですよ。「幼稚園や学校なんざゴマンとあるさ」ってピノコを励ました次のコマで、このポーズ(机に突っ伏す)。ちょうど今朝、その話をホテルのロビーで読んでて、1人で泣いちゃってねえ。

──その涙はどういう涙なんですか?

なんだろう、ブラック・ジャックって、ピノコのことをどう思ってるのかなって子供の頃ずっと気になってたんですよね。娘と言ってるけれど、女性として見てるような描き方もされているから。いずれにせよ、彼はピノコの人生を引き受けてるわけです。その人を全部受け入れてる感じというか、そこが切ないのかな。どうしても大人になると、人を受け入れるのも条件付きだったりするじゃないですか。“配偶者だから”“肉親だから”とか。そういうことを超えて人を丸ごと自分で受け入れる、その覚悟が私の涙腺を刺激したのかなと。

──この机でブラック・ジャックが落胆するコマから、ピノコへの愛情を感じたんですね。

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そうですね。ピノコの気持ちになって「この人は私のことをすごく愛してくれてるんだ」ってことが1コマでわかって、たぶん安心したんだと思う。そういう、ピノコから見たブラック・ジャックが描かれてる回にすごく関心を持ってましたね。

──やっぱり女性が読むとピノコの視点で見てしまうというか、ラブストーリー的に読めるところがあるんですよね。私を女性として見てほしいのに彼は取りあってくれなくて、という。

保護者でもあるけど恋愛感情もあって、でも現実には、自分を作った人間であるという異常な関係にある。ブラック・ジャックも恋愛感情を持ってないかっていうとそれもすこーしあるような気がして。カテゴライズできない男女の関係のもどかしさがたまらないんですよね。よくこんないい設定を思いついたなって、同業者として憎たらしいです。萌えどころ満点ですよ。

長く描いてダメなものを生み出すくらいだったら、一番いいときに散ろうじゃないか

──同業者としての手塚さんと西さんの共通点として、とても多くの作品を同時に連載しているということがあると思ったんです。西さんがいま連載されてるのって、月刊flowers(小学館)で「姉の結婚」、なかよしで「恋と軍艦」、メロディ(白泉社)で「なかじまなかじま」と……。

あとChara Selection(徳間書店)で「それでもひとりで生きるモン!」、まんがタウン(双葉社)で「ちはるさんの娘」、南日本新聞で「のこのこ!」があって、小学館のルルル文庫のサイトでエッセイを書いてますね。

──まさに手塚治虫にも負けない仕事量ですよね。オーバーワークとは思わないですか?

思わないですね。1日13~17時間くらい働いてるんですけど、それくらいだったらもうルーティンなんです。どこかでなにかがぶっ壊れてるのかもしれない(笑)。ただ、実は先月健康診断を受けまして、不整脈と診断されて、再検査になっちゃったんです。

──ええ!?

命に別状はないんですよ。ただの過労で。

──いやいや、くれぐれもお大事にしてください……。

でもこれが死生観を見定めるいいきっかけになったんですよ。もう迷いがないというか、命の燃やしどころがわかったというか。長く描いてダメなものを生み出すくらいだったら、一番いいときに散ってもいいかなという気持ち。

──あの……「娚の一生」完結の際コミックナタリーでインタビューを受けていただいたとき、「80歳まで描き続けたい」とおっしゃってましたよね。言ってることが真逆になってるじゃないですか!(笑)

(笑)。あのときとは事情が変わってしまったから。これまでは体が丈夫なだけが私の自慢だったんですよ。健康であることを基礎に人生設計を組んでいたので、ここへきて不安要素ができてしまって。そんなときに、「ブラック・ジャック」の「ペンをすてろ!」というエピソードを読んだんです。あるマンガ家が賞を受賞するんだけど、実は彼は偽者で、本当に執筆している作家は重い病気に冒されて入院中、という。

──まさにいま自分が置かれている状況に重なったんですね。

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はい。その中で、ブラック・ジャックが「私がなおすあいだはペンを持つなといったはずだっ」て原稿用紙を破るんです。最終的にはその作家は腎臓を移植してもらい助かるんですが、それを読んで、涙が出て。私はこれからなにを大事にしてどう生きるのか、ということをすごく考えさせられた。

──ブラック・ジャックはもちろん、「生命が一番大事」と言うのでしょうね。

そう。でも私は、生命で何を為すかっていうほうが大事で、「何がなんでも生命が一番大事」っていうのは私の考え方とは合わない気がしたんです。

──それなのに、読んで涙を流したのはなぜですか?

ブラック・ジャックの生命に対する愛情に感動したんだと思います。自分の命が多少短くなることに対しては、為すべきことが為せるならば私はたぶんなんとも思ってないんですけど、生き物としては未練があるのかな。それは理性でどうにもならないところで。

──本能的に反応したんですね。

本能でしょうね。本当はやっぱり生きたいって言うのが本能で、それをぐっと理性がおしこんでる状態だと思うんですよ。それを無視して今働いてるので、本能の所を少しこういう風にケアされて、人間として本能的な部分で喜びを感じたんだと思います。

もし同時代に描いてたら、悔しくて廃業してる

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──「このマンガがすごい!2012」でオトコ編の1位になった「ブラック・ジャック創作秘話」(宮崎克原作、吉本浩二作画)って読まれましたか?

いえ。

──「ブラック・ジャック」を描いてる頃の手塚先生の鉄人エピソードや知られざる素顔をつづる作品なんです。まさに連載を何本も抱えていた手塚さんの仕事場がありありと描かれてて、編集さんが何人もピリピリしながら原稿を待っているシーンも出てくるんです。西さんの仕事場も、こんな修羅場があったり……?

うちは日付できっちり区切っていて、この仕事を納品したら次はここからここまで作業、というようにだいたいのスケジュールを各担当さんにお示ししてます。もう静かに淡々と原稿が終わっていって。21時になったらスタッフは帰ります。

──すごい。連載6本抱えてて、やろうと思ってもなかなかきっちりとできることじゃないですよ。

残業もほぼないですし、切った張ったもない、面白くなーい職場ですよ(笑)。でも手塚先生は、もっとスマートに描いてる印象があったなあ。「ブラック・ジャック」を描いた頃って、手塚さんおいくつくらいなんでしょうか。

──40代半ばくらいですね。

……メラメラしますね!

──あはは(笑)、それは嫉妬で?

これを今チャンピオンで連載している、同い年くらいのマンガ家がいると思ったら私、秋田書店の方向に行けないですよ! 悔しくって。私が描きたいことこの人が全部描いちゃってるじゃん! って思ったんじゃないかなあ。

──描きたいことっていうのは、さっきおっしゃったブラック・ジャックとピノコの絶妙な関係性とか?

というか、同じことを描いても私より遥かに高いレベルでやってしまうから、何をやってもじゃあ私が描く意味はないなってなると思う。この人がいたお陰で出てこれなかったマンガ家って、たぶん当時ものすごくたくさんいたんじゃないかなあ。同じ時期に描いてなくてほんとよかった! こんなどうあがいたって勝てない人が同時代にいたら、廃業してますよ。

──時代がずれていてよかったです、西さんのマンガが無事に読める(笑)。今回発売される「ブラック・ジャック大全集」は、これまで出版された中で最多のエピソード数が収録されるそうです。ほかの単行本ではなかなか読めなかったものもありますが、西さんは読んでみたいと思いますか?

読む時間もあまりありませんが、すこーしずつでも、やっぱり読みたいですね。メラメラと、「ちくしょー!」って言いながら(笑)。

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「ブラック・ジャック大全集」全15巻

全15巻/B5判(雑誌原寸大)/フルカラー/スリーブケース入り
2012年9月中旬より、毎月1巻ずつ刊行予定
全巻セット 予価 5万5125円(税込)
※各巻ごと単品(3675円)でも購入可能

復刊ドットコム通販では3大特典付き
手塚治虫(てづかおさむ)

プロフィール写真

1928年11月3日大阪府豊中市生まれ。5歳のとき現兵庫県宝塚市に引越し、少年時代をここで過ごす。1946年、少国民新聞大阪版に掲載され た4コマ作品「マアチャンの日記帳」でデビュー。1950年、漫画少年(学童社)にて出世作となる「ジャングル大帝」の連載を開始。以降「火の鳥」「リボンの騎士」といった歴史的ヒット作を連発し、人気マンガ家としての地位を確立した。1963年、自身の設立したアニメスタジオ「虫プロダクション」にて日本初のTVアニメとなる「鉄腕アトム」を制作。現代のマンガ表現における基礎を打ち立てた人物として世界的な知名度を誇り、その偉大な功績から“マンガの神様”と呼ばれ支持されている。1989年2月9日胃癌のため死去、享年60歳。

西炯子(にしけいこ)

プロフィール写真

鹿児島県出身。高校在学中、JUNE(サン出版・当時)でデビュー。「娚の一生」が「このマンガがすごい!2010」(宝島社)オンナ編で第5位を獲得したほか、「THE BEST MANGA 2010 このマンガを読め!」(フリースタイル)で第6位を受賞。そのほかの代表作に「ひらひらひゅ~ん」、「STAY」シリーズ、「亀の鳴く声」「電波の男(ひと)よ」などがある。2012年7月現在、月刊flowers(小学館)で「姉の結婚」、なかよし(講談社)で「恋と軍艦」、メロディ(白泉社)で「なかじまなかじま」ほか6本の連載を抱えている。2012年9月から3カ月にわたり、小学館・新書館・講談社・白泉社・徳間書店の5社合同フェアを開催予定。合計9冊・2000ページ近くにのぼる作品が順次刊行される。